3-3

 ドネルが智偉の教室の入口に現れたのは昼休みが始まってすぐだった。一緒にお弁当を食べてあげてほしいと紗月に頼まれていたため待っているつもりだったのだが、本当に鐘が鳴り終わった直後で、智偉が手を振ると足早に歩いてきて席のそばで立ち止まった。

「……よう。ここ、座ってもいいか?」

「うん。どうぞ」

「あの、このあいだはごめん」とドネルは隣の席に腰をおろすなり先日の剣幕とはうってかわった神妙な顔つきで頭をさげたが、それよりも智偉が気になっていたのは自分たちのせいで大変だったという言葉の意味のほうだった。「ああ。ルンゲ、知ってる? 一年生の」とドネルは頭をかいた。

「俺んちあいつんちのすぐ近くなんだけど、あの日あいつの母さんが急に仕事に行かなきゃいけなくなったって、あいつをうちに預けていったんだよ。俺店手伝わなきゃいけないのに、あいつがいるとうるさくてさ。ファビーとアディーの面倒もみなきゃならないし、それでつい」

 やれやれというように大きく息をつき、ドネルはふと我に返ったように顔を上げた。

「それよりさ、智偉、地球のこともっと教えてくれよ」



 ドネルは毎日昼休みにやってくるようになった。勢いよく、早いときはまだ鐘が鳴り終わらないうちに教室に飛びこんできて、隣の席があくや否やどすんと腰をおろす。

 お弁当もそっちのけでいろいろ質問し、熱心に話を聞くドネルの姿で特に印象的だったのは、地球からは同じ星を定期的に見られると知ったときの驚きぶりだった。夜空の風景は毎晩違うのが当たり前だったドネルにとって、星の名前は初めて聞くものだったのだ。そのほかにも周期的に規則正しく姿を変える月(毎日形が違うのになんで昨日と同じ星だってわかるんだ?)、その月と太陽を始めとする太陽系、自転や公転といったことから、星座やそれにまつわる神話まで智偉が語ることは何でも目を輝かせて聞いた。

 智偉がまず質問したのは、というよりとっかかりとして質問しやすかったのは地球にとっての太陽にあたる光のことだった。アトラスは銀河の法則(そんなものがここでは無意味であることはとっくにわかっていたが)とはまったく関係なく自由に宇宙空間を浮遊しているのだから、地球と同様毎日ほぼ同じ時刻にのぼって沈んでいくあの光源はアトラスの付属物ともいうべき天体なのだろう。ドネルは「太陽」と言ってはいるが、それは翻訳機によってそう置きかえられているだけだ。しかしそのあたりのことを詳しく聞こうにも、時差は「なんだそれ?」、地域による寒暖の差は「地域ってか、地方によって暑いとか寒いとかはあるらしいけど」、要するに地球を判断と理解の基準にすることははなからできないと言ってよく、またドネルのその口ぶりからはアトラス人の誰に何を聞いてもおそらく同じような結果になるのだろうということが想像できた。デイとあの時計店のギルリッソの言葉を借りるなら「すべてアトラス様のお力」なのだ(もしかすると光源があるように見えているだけの可能性すらある)。富裕に関しては不規則といいながら実は何らかの法則があるのかもしれないが、観測しようにもすべがなく(万が一知っている星が真上にあったとしても、まわりとの位置関係が地球から見ているのと違えばそれがそうだとはわからないだろうし、第一サヤルルカの夜空には星が多すぎた)学校の隣の図書館でも詳しい資料はまだ見つけられていなかった。町やほかの地方にはもっと大きな図書館があるのだろう。ほかの地方、そのなんとも魅力的な響き――しかしそれはもう少しあとでもいい、と智偉は前向きな自制心でその場にとどまっていた。今いるこの場所でまずは充分だ。毎日同じ星しか見えないのはむしろつまらないことなのかもしれない。

 その日は地球が丸いことを証明する方法(空の高いところから見ると地平線が湾曲して見えるし、寒い地域や暖かい地域――国ではなく――があるのは太陽の当たり方が違うからなんだ)について話している最中に鐘が鳴り、二人は話を途中で切りあげて教室を出た。

「あーあ、もっと時間がたくさんあればいいのになあ」

「学校が終わったあと宿泊所に遊びにくる、のは無理か……あのさ、ドネル、お父さんは?」

「いないんだ。三年前に死んじゃったから。じゃ、また明日な」と至極あっさり答え、ドネルは教室に入っていく。その後ろ姿に、智偉の頭にふとある考えが浮かんだ。

「待って、ドネル。あのさ、――」

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