3-1

 二人は村の学校に通いはじめた。

 子供の人数が少ないため、一年生から九年生まで全員同じ教室で授業を受けている。紗月は年齢からいくと九年生なのだが、まずはサヤルルカ語の読み書きを勉強するべく低学年の授業を受けることになった。後ろの子の視界を遮らないようなるべく身を縮め、高さの違う肩を並べて一年生用の書き取りをする一日の楽しみは色とりどりのおかずが詰まったデイのお弁当だった。

 三日目の水曜日、学校を出て歩いていると後ろから「おい」と声がした。

 ドネル・ルウマだった。目がちかちかするような細かいチェックのシャツに不思議な渦巻き模様の七分丈のズボン、焦げ茶色の革の鞄をななめにかけている。思わず身を引いた紗月の前でドネルは気まずそうにズボンのポケットに手を突っこんだ。

「このあいだは悪かったな」

「えっ? ……あ、ううん」

 ドネルは右ななめ下に視線を泳がせている。

「……えっと、じゃあ、また明日」

 再び歩きだそうとすると「な、なあ」とあわてたような声がすぐに追いかけてきた。

「あのさ、あのとき一緒にいたもう一人のほう……智偉、だっけ。どこにいるんだ?」

 智偉は別の教室で年齢相応の高校クラスに出席している。アンドリュー・エイブスからもらったノートと英語の辞書でサヤルルカ語の基礎はおおよそ理解できたらしい。それを聞いたとき、紗月はあまりの驚きにしばらく言葉が出なかった。

「智偉くん……天才なの?」

「うーん、実はそうみたい」と智偉はにやりと笑っていた。

「ほんとか? すげえな、だって紗月と同じ地球人なんだろ? すげえなあ」とドネルの顔に驚きの、続けて尊敬の色が浮かんだ。

「……あの、智偉くん今図書館にいるんだけど、よかったら一緒に帰る?」

 高校クラスは午前に国語や数学などの一般教養科目、午後に専門的な選択科目の授業をしているらしい。智偉が出るのは午前だけでよいことになったが、一年生から九年生までは午後も授業があるため、その間図書館で待ってくれているのだった。

「え、いいのか⁉」

「――ドネル! 待ってよ!」

 大きな声がし――とたんにドネルが「げ、見つかった」と首を縮めた――学校のほうから女の子が走ってきた。白い半袖のブラウスにピンクのスカート姿、背負っている茶色い革の鞄が忙しく上下しているのが肩ごしに見える。女の子は二人に追いつくなり「もう、なんで先に行っちゃうの⁉」とドネルの腕をつかんだ。

「うるせえなあ、俺の勝手だろ。ついてくんなよ」

「勝手じゃない! あたしはドネルと帰りたいの!」

「あ、あの」

 女の子がキッと紗月を見上げた。躊躇のない敵意に満ちた目つきだった。高い位置で二つに結んだ栗色の髪が勢いよく揺れる。

「ご、ごめんね。私、平岡紗月(ひらおかさづき)」

「知ってるわよ」

「だ、だよね、ごめん。あの、あなたは名前なんていうの?」

「ルンゲ・ソフィアよ」と女の子は胸をはってあごを突きだす。あ、と紗月は思わずしゃがんだ。

「ね、あなたのお母さん、王宮で働いてるよね? 私たちね、ここに来てすぐあなたのお母さんにすごく親切にしてもらったの。嬉しかったし、買い物にも一緒に行ってもらったりしてすごく助かったんだよ」

「そうなの?」とルンゲは驚いたように目を見開いた。

「うん。これから、よろしくね。ルンゲ」

「……わかった」

「というわけだからルンゲ、今日は一人で帰れよ」

「やだ!」

 紗月に対してしおらしく頷いたルンゲはドネルがどさくさにまぎれて逃げようとしたとたんもとの勢いを取り戻し、ドネルの手を強く握った。またどなるのではないかと紗月はひやりとしたが、意外にもドネルは「なんだよ、もう」と空をあおいだだけで、その手を振り払うことはしなかった。

「しょうがねえなあ。悪い紗月、今日は……じゃ、また明日な」

 もう片方の手で頭をぼりぼりかきながらそう言ったものの、ドネルはなかなか歩きださない。なんとなく先に立ち去らないほうがいい気がして紗月も足を出せずにいると、ルンゲが催促するように揺らす腕はそのままにドネルはもう一度口を開いた。

「あのさ、――わーかったからちょっと待ってろって。あのさ、俺も智偉と話したいんだけど、話せるときねえかな」

「えっと……明日の帰りは?」

 ドネルが肩をすくめてルンゲを目で示す。

「あ、じゃあ――」

「ほんとか⁉ 頼む」とドネルは目を輝かせた。

 よろしくな、と声をはずませるドネルの手を握り、ルンゲは飛びはねるように歩いていく。嬉しそうに踊る二つ結びの髪をほっこり見送って図書館に入ると、智偉の正面に座っていたデイがぱっと立ちあがって会釈した。

「お待たせ致しました」と差しだされたものを目にしたとたん何かがぐっと喉元までせりあがってきた。お礼もそこそこに紗月はそれを肩にかけている鞄にしまった。


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