1-3

 翌朝、紗月は窓から差し込む明るい陽の光で目が覚めた。カーテンのない窓の外によく晴れた青空が広がっている。昨日の部屋、ソフィアに案内してもらった自分の部屋だ。

 パジャマがわりに着ていた入院着から昨日のセーラー服に着替える。窓を少し開けると温かい風が入ってきた。昨日お茶を飲んだあとソフィアがこの古い木造の建物の中をざっと案内してくれたが、時計を目にしたのは一階の食堂だけだった。この部屋にもない。

(智偉くん、起きてるかな……)

 そこでふとひやりとした――彼は今日もいるだろうか?

 ドアを開けて廊下に顔を出したとたん動くものが目に入り、紗月は反射的に頭を引っこめた。一瞬見えた浅黒い肌、短い黒髪――おそるおそる、息を殺してもう一度のぞいてみる。体格のいい男性の後ろ姿が廊下を歩いていく。彼は服の上からでもわかるのではないかというほど大きくはねあがり、そのまま破裂寸前の勢いで鳴り続けている紗月の心臓の音は聞こえなかったらしく、そのまま一番奥の部屋に消えた。

 昨日窓の下にいた男性だった。

 知らず知らず、紗月は足を踏みだしていた。静まりかえった廊下、木の床も壁もぐるぐる渦を巻いている。智偉の部屋はどっちだっただろう。早く、早く彼に――振り返ったとたんぬっと目の前にその顔が現れた。

「紗月?」

「ひゃっ!」

「おっと、ごめん。大丈夫?」と智偉が腕をつかんだ。智偉も昨日のシャツとズボンに着替えている。「え、ほんと? ってことはその人も地球から来たってことかな。そうか、僕らだけじゃないのか」と智偉はほっとしたあまりへたりこみそうになった紗月を支えながら廊下の先に視線を走らせた。その隙に紗月は深呼吸をくり返し、とにかくも心臓を落ち着かせた。

「よく眠れた?」

「うん……智偉くんは?」

「僕もちゃんと寝られたよ。いびきの音も聞こえなかったし」

「だっ、だから、もう! 私いびきかいたりしないってば」

 あはは、と智偉は楽しそうに笑った。

「……本当は、今朝目が覚めたらやっぱり夢だったってことにならないかなって思ってたんだけど」

「あ、やっぱり? 僕も。でも現実だったな。ま、平和そうなところでよかったんじゃない」

 智偉は適応力が高いらしい。

 食堂にはいい匂いがたちこめており、二人が入っていくとすぐ奥の調理場からデイが出てきた。「おはようございます。昨日はご迷惑をおかけ致しました。申し訳ございません」とデイはまず二人に深く頭をさげ、神妙な顔で智偉に向き直った。

「申し遅れました。私はデイと申します。昨日は大変失礼致しました」

「いや、大丈夫だよ。僕は高村智偉。よろしくお願いします」

「よろしくお願い致します。……智偉様、ですね」

「昨日はたしかにちょっとびっくりしたけど、デイが大丈夫ならよかったよ」

 響きを確かめるように小さくつぶやいたデイに智偉が笑いかけた。

 一瞬デイが表情をゆがめた。まるで泣きだす寸前、のように紗月には見えたが、デイは「ありがとうございます」と再び頭をさげ、体を起こしたときには普通の表情だった。

「それではさっそくですが、朝食の準備ができております。お席にどうぞ」

 広い食堂には細長い木のテーブルが並んでおり、そのほぼ中央にパンとスープとサラダが二人分用意されていた。これまで地球で何を食べていたかは覚えていないが、紗月は違和感なく食べることができ、しかもとてもおいしかった。智偉も同じだったらしい。

「お口に合ってよかったです。ほかにもお好みの料理や避けたほうがよい食材等ありましたら遠慮なくお申しつけください」とデイはほっとしたように表情をくずして調理場に食器をさげ、かわりに琥珀色のお茶が入ったガラスのポットと白い陶器のカップをお盆にのせて戻ってきた。壁の時計は八時を指している。

「本日はこのあと王宮に参ります。ですがその前に、この星とお二人の状況について私から少しご説明致します。少し長い話になります、座ってもよろしいでしょうか」

「あ、うん。もちろん」

「ありがとうございます。失礼します」

 デイは一礼し、紗月の隣に座った。


「まず初めに、ここはアトラスという星です。地球ではありませんが、地球にいらっしゃるのとあまり変わらずお過ごしいただけると思います」

 アトラスははるか昔砕けて剥がれた地球の一部分であるらしい。決まった軌道を持たず、自由に不規則に宇宙空間を浮遊しているが、時折地球に引きつけられて近づき、地球の核とアトラスの核が共鳴することがある。その瞬間に意識を失った地球人は浮遊意識体ふゆういしきたいと呼ばれる状態になってアトラスに運ばれてくる。紗月と智偉もそのようにして昨日ここに来たそうだ――が、紗月に理解できたのはほんの一部分だった。

「意識を失ったって……どういうこと?」

「病気、あるいは事故や災害などで強い衝撃を受けたことにより、脳と身体が一時的に機能を停止しているということです」

(意識を失うほどの衝撃……事故……)

「私たち、死んじゃったってこと……?」

 智偉がはっとしたように顔を上げたが、デイは「亡くなってはいません。ご安心ください、それはたしかです」と大きく首を振った。意識が何らかの原因によって身体から飛びだし、地球とアトラスをつなぐ道を通ってアトラスに入る際に実体化した、それがお二人の現状です。地球にある本当の身体が怪我をなさっている可能性はありますが、命にかかわる状態ではありません。地球にある身体が回復し目覚める準備が整うのを意識体のお二人がここで待っているんです――デイの声が耳の上をすべっていく。

 ふいに温かいものがふれ、我に返るとデイが紗月の手を握っていた。

「大丈夫です、紗月様。地球には必ず帰れます」

 昨日も出会ってすぐデイは同じことを言ってくれた――恐怖がふわりと溶け、紗月は小さく頷いた。正面に座る智偉の肩から力がぬけたのがわかった。

「お二人がアトラスにいらっしゃる間、ひとつだけ注意していただきたいことがあります。それは決して怪我をなさらないようにしていただきたいということです。今ここにいらっしゃるお二人と地球にあるお二人の本当の身体はつながっていますので、お二人がここで怪我をなさると地球にある身体にも同じことが起きてしまうんです」

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