1-2
「そういえば自己紹介してなかったな。僕は
少年が腕組みをほどいて笑顔を見せた。年齢は紗月と同じ十五歳だそうだが、そのほかのこと、目が覚める前のことはやはり何も覚えていないらしい。
「君も? そっか……あのさ、なんて呼べばいいかな。紗月、でもいい?」
「あ……うん」
「ありがとう、僕も智偉って呼んで。――わけがわからないけど、とりあえず危ない状況ではなさそうだな」と智偉は部屋の中をぐるりと見回した。彼の言う通り、混乱してはいるが、恐怖はあまり感じなくなっていた。窓の外の景色ののどかさと、目が覚めてすぐに会った二人が友好的だったおかげかもしれない――それにしてもデイはどうしたのだろう。
もう一度窓に歩みよるとすぐ下に人影が見えた。紗月はどきっとして智偉を振り返った。
「智偉くん、下に誰かいる」
窓の下にいたのは浅黒い肌の男性と赤ちゃんを抱いた女性だった。女性は長いウェーブの髪を後ろでひとつに結んでおり、身振り手振りを交えて話す男性を首を少しかしげるようにして見上げている。
やがて男性がうつむいた。女性が赤ちゃんの背中を優しくたたいていた手をとめ、その髪にふれる。頭を優しくなでるようなしぐさだった。男性が女性の背中に手をまわし、赤ちゃんごと抱きしめる。
なんとなく、幸せな場面ではないように見えた。のぞき見しているようで少し気まずい気がしてちらっと見ると、智偉の横顔はもの珍しげに下を向いたままでいる。
「……なんか、見ないほうがいいかも」
「あ、待って、誰か来た」
坂道をもう一人女性が登ってくる。窓の下の二人は気づいていないようだったが、歩いてきた女性がすぐそばで立ち止まると、声をかけられたのかぱっと離れた。抱きしめられていた女性はさほどうろたえた様子でもないが、男性は歩いてきた女性に気まずそうに返事をしている。歩いてきた女性はそのまま二人の横を通りぬけて建物のドアを開けた。
「あれ? 今の人、ここに入ってきたみたい」
智偉の声が聞こえたかのように、ふいに下の女性がこちらを見上げた。色が白くきれいな顔立ちで、大きな目に不思議な奥行きがあった――瞳の色が左右違う。
紗月がびくりと一歩後ずさりしたとき、コンコン、と軽いノックの音がした。
「こんにちは。入ってもいいかしら?」
歩いてきた女性が入口に立っていた。白い開襟ブラウスに明るい水色の膝丈スカートをはいている。女性は紗月が返事をする前にするりと部屋に入ってくると、スカートのポケットから例の銀色のイヤホンを取りだし、「これ、つけていないのはどっち? ああ、あなたね」と戸惑ったように視線を行き来させている智偉に差しだした。
翻訳機を耳に入れた智偉の反応は先程の紗月とまったく同じだったが、すぐに好奇心がその驚きを上回ったようだった。なにでできてるんだろう、とつぶやきながら眺めまわし、女性が「じゃ、まずは自己紹介しましょうか。私はソフィア・リングドールよ」とにっこりする間に耳に入れたり出したりをすでに二、三度くり返している。
とりあえず座りましょうか、とうながされ、窓のそばを離れるときにちらっと見下ろしたが、下にはもう誰もいなかった。
ソフィアの話によるとここはアトラスという星で、今三人がいる建物はアトラスに来た地球人のための宿泊施設だということだった。デイはここで働く世話係であり、通常ならばこういう説明もデイがするのだが、先程急に具合が悪くなってしまったという連絡があり、本日仕事が非番だったソフィア(町の中心部にある王宮で働く料理人だそうだ)が急遽来てくれたらしい。「だから私はあなたがたがなぜここにいるのかを説明することができないのよ。あなたがたが今一番求めているのもそういう説明だと思うけれど。ごめんなさいね、あんまりお役に立てなくて」とソフィアはすまなそうな顔をしたが、紗月は頭の中で渦を巻いていた混乱がその優しい声と穏やかな話し方によってだんだん落ち着いていくのを感じていた。ここが地球ではないということだけでもはっきりした、おかげでふわふわしていた体に自分の重みが戻ってきたようだった――有益な情報が得られず、智偉は心なしかがっかりしているようだったが。
デイのことが気になったが、ソフィアは「大丈夫よ、たいしたことないって言っていたから。明日は来られるそうよ」と微笑み、ところで、と改めて二人を見回した。
「ねえ、あなたたちおなかはすいてない? 今ちょうど三時よ。よかったらお茶にしましょう。――ああ、でも、まず着替えたほうがよさそうね」
上の階にはドアが並んでおり、階段のすぐそばのドアが二枚細く開いていた。小さな部屋で、正面に窓が、その窓をはさんで右側に白い寝具が乗ったシングルベッド、左側に木の机と椅子がある。ベッドの足元の壁際に背の高さほどのクローゼットがひっそり立っており、中のハンガーにかかっている白い長袖のシャツとクリーム色のニットのベスト、黒いズボンを見て「これは僕かな」と智偉がつぶやいた。
隣の部屋には紺色のセーラー服があった。白い靴下とスニーカーもある。「あら、かわいい服。紗月ちゃんに似合いそうね」とソフィアはにっこりし、着替えたら食堂に来てね、一階よ、と階段を下りていった。紗月が初めに着ていた服らしいが、着替えてクローゼットの扉の内側の鏡を見てもぴんとこない。スカートのポケットに黒いゴムが入っており、紗月は毛先が肩にふれている髪をほとんど無意識に頭の後ろでひとつに結んだ。やっぱり夢なのかもしれない。勝手に出演させてしまって智偉には申し訳ないが、これは自分が見ているほうの――
コンコン、とノックの音がした。
「紗月、着替えた? 開けていい?」
「――あ、うん。どうぞ」
ドアを開けて紗月を見たその表情からすると、智偉もその服を着ていたときのことを思い出していないようだった。しかし智偉は特に何も言わず、かわりに部屋の中をぐるりと見回した。
「僕の部屋と左右対称になってる」
「あ、そうだった?」
「うん、この壁の向こうが僕のベッドだったよ。たぶんいびきはかかないと思うけど、かいたら聞こえるかな」
「あ、どうだろ……でも私気づかないと思う。大丈夫だよ」
「え、かくって僕がじゃないよ。紗月がだよ」
智偉が無邪気に微笑んだ。え、と思った一呼吸ぶんだけ遅れて顔がかあっと熱くなる。
「え……私いびきなんかかかないよ」
「大丈夫、寝てる間のことは責任とらなくていいから」
「だからかかないってば!」
どなるように言ってしまってからはっとしたが、智偉は「うそうそ、冗談だよ。あははは」と笑っただけだった。ほっとし、とたんにますます顔が熱くなる。しかし智偉の明るい笑い声には悪意をまったく感じず、聞いているうちに紗月もおかしくなってきた。ふふ、と笑いをこぼすと智偉はそれを見て安心したようだった。
呼び捨てでいいと言われたが、くん付けのほうが呼びやすい気がする。「そう? じゃそれでいいか」と智偉はにこっと笑った。
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