宇宙譚

高嶋柚

1ー1

 目を開けると白い天井が見えた。

(あれ……?)

 紗月さづきはぼんやりしたまま起きあがり、まわりを見回した。

 見知らぬ部屋だった。白い壁に時計はなく、大きな窓の一枚ごとに白いカーテンが両端に寄せて束ねられ、その向こうに明るい青空が広がっている。

 ベッドが何台か並んでいる。どれもまだ使われたことがないかのようにまっさらなシーツがぴんと張られている中、左隣のベッドだけ白い掛け布団が人の形にふくらみ、まっすぐに目をとじた黒髪の少年の横顔がのぞいていた。自分と同じくらいの年のようだが、おそらく知り合いではない。

 裸足の足の裏が木の床にふれた。見ると病院の入院着のような白い服を着ている。

 ドアがほんの少し開いている。鈍く光るノブに手を伸ばしかけてためらい、迷ったが、思いきって――音を立てないよう慎重に――開けた。

 廊下はしんとしていた。

 とん、とん、と足音が聞こえた。右手にある階段を誰かが上ってくる。どきんと飛びはねた心臓が足をすくませ、紗月は今しがた出てきた木のドアと自分の体ぶんのすきまを背にその場に立ちつくした。

 現れたのは膝丈の黒いワンピースに白いエプロンをつけた少女――彼女もまた自分と同じくらいの年に見える――だった。少女は紗月に気づくとぱっと笑顔になり、小走りで駆けよってきた。そして頭の後ろでまとめたおだんごの形が見えるくらい深く腰を折り、細い銀縁の眼鏡の奥に浮かべた笑みをちらともゆるがせずに口を開いた。

 紗月がぎこちなく首をかしげると、少女は頷いてドアを手で示し、紗月の後から部屋に入ってきた。乱れた掛け布団を手際よく足元のほうにたたみ、今度はベッドを手で示す。紗月はおずおずと腰をおろした。

 少女がエプロンのポケットから何か取りだした。一対の銀色のイヤホンのようなもので、手のひらにのせてこちらに差しだしながらもう片方の手で自分の耳を指さしている。おそるおそる受けとって耳に入れたとたん、

「私の言葉がわかりますか?」

「あっ、え、なんで⁉ さっきはわからなかったのに」と紗月は耳に手を当てた。

「今お渡ししたのは翻訳機です。私が話しているこの星の言葉を、あなたの母国語に聞こえるようにするためのものです」

 少女は再び深々と頭をさげ、にっこり微笑んだ。

「ようこそ、アトラスへ」


 少女はデイと名乗った。ここで紗月の生活全般の世話をするという。

「わからないことやご要望などがありましたら何でもお申しつけください。……と言いましても、今は何がわからないかもわからない状態でいらっしゃいますよね」

「……はい……」

 よどみなく流れるデイの声とは違い、紗月の口から出たのは蛇口から落ちる最初の一滴の水のような声だった。するとふいにデイが床に膝をつき、紗月の手を優しく握った。

「大丈夫です、紗月様、ご安心ください。地球には必ず帰れますから」

(……それって)

 とっさに言葉が出なかった。地球には帰れる、ということは、つまりここは――

「あの」

 自分の返事のかわりに後ろから声がし、紗月ははっと振り返った。隣のベッドの少年が起きあがっている。

「あ、気がつかれましたか……」

 立ちあがりかけたデイの声がとぎれた。

 次の瞬間ドン、と大きな音がした。デイがななめにずれた反対隣のベッドに後ろ手をついて震える足を支え、たった今紗月に向けていた笑顔が嘘のような愕然とした表情で少年を見つめている。

 ひととき、部屋は水を打ったような静けさに包まれた。

「……あの」

 少年の声が再び響き、デイが我に返ったように体を起こした。

「あ、あの……申し訳ございません、私、その……す、少し、少しお待ちください」

 紗月と少年を交互に見ながら声を震わせて一礼するなり、デイは部屋を飛びだしていった。

 再び沈黙が流れた。

「あの……今の、なに?」

 少年がこちらを向いた。あっけにとられたという言葉そのものの表情だった。

「なにって……えーと、今のはデイっていう子、だけど……」

 紗月もそれ以上説明のしようがない。すると少年は「あ、ごめん。なにじゃなくて、誰、だよな」と首の後ろをさすった。そのしぐさに緊張が少しとけ、ふう、と思わず大きく息をつくと少年が表情をやわらげた。

「あの、君は日本語でしゃべってるよね? 僕、今の、デイ?の言葉が全然わからなかったんだけど、君わかるの?」

「あ、うん……これ、さっきデイが貸してくれたの。翻訳機だって」

 少年は身を乗りだすようにして紗月の耳のイヤホンを眺め、窓に顔を向けた。

「これ、夢かな……あ、でも違うか」

 白黒じゃないしな、そうつぶやいて窓のほうに歩いていく。「あの」と紗月は思いきって自分と同じ白い入院着の後ろ姿に呼びかけた。

「たぶん、夢じゃないと思う」

「どうして?」

「私にも意識があるから……」

「……そっか。外、見た?」と少年が振り返った。

 高台にある建物にいるらしかった。窓の下には野原が広がっており、小さな花が点々と咲いているその緑を区分けするように茶色い土の坂道が一本伸びている。坂のふもとは見えないが、遠くに赤、青、オレンジなど色とりどりの家々の屋根が見える。

「ここ、どこだろう」

 少年がつぶやいた。困惑という言葉をそのまま音に置きかえたような声だった。体からまた少し力が抜け、紗月は茶色い木の窓枠にのせた自分の指先に目を落とした。

「私もよくわかんないんだけど……なんか、地球じゃないみたい」

「えっ?」

 デイがようこそアトラスへって言ってた、あとこの星の言葉とか、地球には必ず帰れるとかって――説明と呼ぶにはあまりにも心もとない紗月の話を少年は表情を動かさずに聞いていたが、やがてもう一度外に目を向けると「そっか。それはたしかに地球じゃなさそうだな」というつぶやきを残して窓辺を離れた。大きく開いた窓から入ってきた温かい風が紗月の頬を優しくなでる。空が広く、どことなく牧歌的な絵画のような眺めだった。

「とにかく、デイが戻ってくるまで待つしかないか。僕らだけじゃ何もできないし」

 しばらくして聞こえた少年の声は先程よりだいぶ落ち着きを取り戻していた。ほっとして紗月も窓から離れ、自分のベッドに戻った。

「そういえば自己紹介してなかったな。僕は高村智偉たかむらともい

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