第28話 PHASE 3 生命の巫女 KNIGHT SIDE 10
気が付いたとき僕は暗闇の中に一人で佇んでいました。見渡しても光はなく黒以外なにも見えません。
(僕は姉さんの宇宙船でザナドゥエデンを目指していたはずなのに……?)
左手を右腕の肘に右手を顎に当てて首を捻っていると、突然前方に映像が投影され、その中では金髪紅眼の幼い少年がすばらしい毛並みの白馬を走らせていました。
あまりに毛並みがいいので一見
(あれは僕だ。六歳のときにはじめて一人で馬に乗れたときだ)
視点が引きました。馬に乗っている『僕』の手前に数人の豪奢な装飾の宮廷服を着た馬番と執事、警護官がおり皆笑顔で拍手をして賛辞を送っていますが、一様に表情の深いところでは緊張しており、特に馬番は膝が震えています。
(ドロイド馬と違って生身の馬はどんな挙動をするかわからない。『僕』が落馬して怪我をしたら彼らは解雇されるんだ。……あのときは自力で乗りこなしてるつもりだったけど、実際は馬番さんが遠隔制御してくれていたんだろうな)
このころの僕にはなんの悩みも憂いもありませんでした。多くの人族が幼いうちから経験しているだろう苦痛や悲しみから、――継承権は低いとはいえ――大国レオハロードの王子という身分に完全に護られていたのです。
胸にわずかな痛みを覚え思わず拳を握りしめてしまいました。
風景が推移します。床に大人の踝まで埋まる真紅の絨毯が敷かれ、天井や壁に人口工材は欠片もなくすべて天然素材で造られた贅を極めた通路を『僕』が歩いています。前の
幼い『僕』がなにかに気付いた顔になり、近くの旧時代の男性戦士の石像に駆け寄り、片膝を着きました。大人が六、七人並んで歩けるほど広い廊下は両側に装飾品として、花の活けられた花瓶や石像が等間隔で並んでいます。もちろん立体映像はひとつもなくすべて実物です。
石像、正確にはそれを飾っている台座の根元に、ひとつの赤い革製の財布が落ちていて、中を見た『僕』の両眼が驚きに見開かれます。
(僕はこのときはじめて
このあとに経験をすることを思い出し身体が重くなり、胸の痛みが増しました。
それとは裏腹に財布の中身を確認した『僕』の紅眼がキラと輝き、顔に悪戯っぽい笑みが浮かびます。
(十一歳まで僕は教育もすべて城で家庭教師から受けていて、外交行事以外では外に出たことがなかった。一切不自由ない生活でも外の世界に一人で行って見たいと思っていて、すでに城から抜け出す
思いがけず金が手に入ったことで僕の好奇心は爆発しました。振り返れば拾得物横領ですね。
(…………)
すでに
……このころのことを思い出すと恥ずかしさで次元断層に隠れたくなります。
(あらかじめ隠しておいた服と靴――クローゼットの中で一番質素な服と靴――に着替えて、見つけておいた道から城を抜け出して、
幼い『僕』が周囲をキョロキョロと見渡しながら王都を歩いています。このときの気持ちはよく覚えています。城内は旧時代のように古風な内装なので、はじめて共和国の近代的な街並みを生で見て戸惑いました。
映像の中の『僕』ははじめて経験する人ごみにもみくちゃにされていて弾き出された場所が屋台の前だったので、アメリカンドッグを買ったのですが食べるのはおろか直接見るのもはじめてだったので口にするのを躊躇しています。でも、意を決して両目を瞑って先端にかぶり着きました。
(このときの味はいまでも忘れない。それまで食べたどんな豪華な料理より……美味しかった)
それから『僕』は屋台や出店でジャンクフードを買い食いしたり、ゲームセンターで遊んだだり――ゲーム自体は城でしたことがありました――と街を満喫していましたが、いつの間にか――このときは夢の中にいる心地だったので経緯は思い出せません――王都郊外の旧都市、スラム街に迷い込んでいました。
(…………っ)
このあとに経験することをもちろん
愕然とした表情で『僕』がスラム街の街並みを見やり、何度も指で目を擦っています。
もともとはそれなりのものだったのでしょうがビルはほぼすべてが崩れ、劣化摩耗して薄汚れています。それでもスラム街の方々にとって風雨を防ぐ貴重な住居であり、染みと継ぎだらけのこれまで見たこともない粗末な服を着た、骨と皮ばかりに痩せ細った何百人という人族――人間だけでなくアールヴやドヴェルグ、スクイーラル……、王都以上に雑多な人がいました――がそこで暮らしていました。いや廃墟に住んでいる人はまだましで大勢の人が原色わからないほど汚れた穴だらけのテント、あるいは地面にレジャーシートをひいてボロボロの毛布を被って寝ていました。当然衛生状態は劣悪であり大地を鼠やゴキブリ、百足や蜘蛛が這いまわり、破損した送水パイプから汚水が噴き出し、マンホールからも蓋を押し上げるほどの勢いで汚水が溢れ出ていました。
(あの日は快晴だったのにスラム全体に黒い靄が巻きついているように見えた……)
あまりの悪臭に吐き気を覚え顔を顰めている『僕』の足元にどこからか半分齧られた林檎が転がってきました。どう見ても腐敗していて大量に蠅もたかっており『僕』は嫌悪から跳び退きましたが、病気らしく肌がどす黒い中年の人間の男性は林檎を拾い上げると、蠅を払いもせずその場でかぶりつきました。
その人の唇から零れる腐った果汁を見た『僕』が耐えきれず嘔吐します。
背を上下させている『僕』が数人の若い男女に囲まれました。内訳は人間、アールヴ、ドヴェルグで着衣は汚く身体から垢と酒と煙草の臭いがしたものの、スラムの住人の中では比較的健康そうです。
「見ろよ、このガキ、キレーな服着てるぜ」
「スラムの汚さにゲロってるし、表の……、それもいいとこのガキだな」
スラムの若者に汚れた油が張っているような濁った目で見下ろされ、『僕』は怯えた子犬のようにカタカタ震えています。
リーダーらしい片方のレンズが欠けたサングラスの人間が、『僕』の襟首を掴んで持ち上げ、自分の顔を『僕』の顔に突きつけました。
「おい、坊主。おまえの家はどこだ?」
「あっ、あっ、あっ……。レオハロード王城……」
バカにされたと思ったらしく若者の顔が瞬時に赤く染まります。
「あっ!? てめぇ舐めてんのか!?」
そう言われても事実を述べたので他に言いようはなく、『僕』は蒼白な顔に涙目で弱々しく頭を左右に振ることしかできません。
その仕草が癇に障ったのか隣に立っていたドヴェルグが持っていた酒瓶を『僕』に向かって振り上げ、『僕』が両目を瞑って身を縮こませました。
次の瞬間展開する事象はわかっているので不謹慎だと思っても、立体アニメやTVでヒーローの登場する直前のように胸が高鳴るのを止められません。
持ち上げたドヴェルグの腕を背後から白髪白髭の老人が掴みました。老人は右腕が肩口からなく右袖はぶら下がっており、左足は根元でズボンが千切れ大腿半ばからの義足が見え、右目には黒い眼帯をしています。そんな身体でしかも痩せ細っているのに老人は強く、一瞬で若者達を叩きのめしました。
彼らを追い払った老人が好々爺という笑みで『僕』を見下ろします。
「坊や、ケガはないかい?」
『僕』が整備不良のドロイドのようなぎくしゃくした動きで何度も首肯します。
(このとき僕の目にはおじいさんはどんな英雄よりも、トゥアハー・デ・ダナーンの主神オデュゼィン様より雄々しく偉大に見えた)
「ここは危ない。ついてきなさい」
老人が『僕』をスラム街の外れのタクシー乗り場まで連れて行ってくれました。一キロ先に王都の街並みを見た『僕』の身体から安堵で力が抜けます。
それを見たおじいさんはまた微笑み、皺だらけで垢と泥で汚れているけど暖かい掌で頭を撫でてくれました。
「身なりから察するに君は表の街の子で、道に迷うかなにかしてスラムへ迷い込んだんじゃろう?」
『僕』はコクコクと頷き安心したことで好奇心が再燃し問いを発します。
「おじいさん、すごく強いんですね!」
老人が照れ臭そうに左手で白髪を掻きフケが飛び散ります。
「ハッハッ、これでも若いころは拳戦士として最前線で蛮族と戦っていたからな」
『僕』は納得した顔になり尊敬の目をおじいさんに向けましたが、すぐに不思議そうに首を傾げます。
「でも拳戦士なら、まして傷病者なら引退後充分な恩給が支給されて、住居や福祉も保障されるはずですよ。どうしてスラム街なんかで暮らしているのですか?」
老人の顔から潮が引くように笑みが消え青空を眺めます。
「ん、まあ事情があってもらってないんじゃよ」
再び愕然とした顔になった『僕』が身を乗り出しました。
「引退した拳戦士には全員に支給されずはずですよ!? それ以前におじいさんのように肉体の一部を失った国民の方には、一人の例外もなくドロイド義肢が与えられずはずですよ!?」
老人が困ったような悲しんでいるような、でも優しい笑みを浮かべました。
「それは
『僕』は顔色を無くし絶句することしかできません。
王都の方を眺めていたおじいさんの左目がふいに細まり、次に困った顔になり『僕』の方を向きました。
「君、タクシー代は持ってるかね?」
「あっ、はい。あります」
老人はあきらかに胸を撫で下ろした様子です。
「そうか。無ければ払ってやるつもりじゃったがそうすると納税が苦しくなるからのう。いや、わし一人ならいいんじゃが養ってやってる子供達のメシ代もなくなるのでな」
「……! そんな馬鹿な! 健常者でも所得が一定以下の方は納税を免除されるはずです! まして貴方のような障害者の方なら!!」
「言ったじゃろう? 建前と現実は違うんじゃ」
それまで一点の疑いもなく信じていた”常識”を根底から覆され、宇宙が崩壊したようなショックを受けた『僕』は、顔が死人よりも蒼白になり膝がカタカタ震えています。いまの僕も胸を刺されたうえに抉られたような激痛を覚え、息が詰まり胸を押さえようとする右腕を止められませんでした。
『僕』の反応の本当の意味を知らないおじいさんが、苦笑しながら『僕』の頭をもう一度撫でてくれます。
「なに君が悪いんじゃない。わしが憎いのは……」
一端言葉を切って遠方を見やったおじいさんの視線の先には、王都の中心にある王城の尖塔がありました。
「わしら貧乏人から容赦なく搾り取った税金で贅沢な暮らしをしとる王族どもじゃ!」
優しい老人の隻眼には明確な憤りがありました。
「……! …………っ。……うええぇっ!」
あまりの衝撃に無表情になった『僕』の双眸から大粒の涙が溢れ、罪悪感から激しくえずき四つん這いになって今度こそ胃の内容物をすべて嘔吐していました。
(おじいさんは僕がレオハロードの王子だと知っていても助けてくれただろうか)
そのあとのことはまったく覚えていません。たぶんタクシーで城へ帰ったんでしょうが、城では警護官や執事に叱られたのかどうなのか……。気がついたときには自分の部屋で独りで号泣していました。
(泣き止んだとき僕はいままで貧しい国民から搾り取った税金で豪奢な生活をしていたことを償うために、
不安に苛まれているとふいに肩が前後に揺れ、左頬に痛みを感じ、次の瞬間闇が天頂から差し込んだ光に切り裂かれました。
「っ!」
視界に心配そうな表情で見下ろしているプリトマートが飛び込んできました。
「大丈夫か? ひどくうなされていたぞ。……っ、……五年前の夢か?」
「…………」
問いには答えず姉を右腕で押し退けて上体を起こします。視線を向けるとベッドの左側の机の上には
夢を見ていたようです。やはり僕はローズユニコーンでザナドゥエデンに向かっていました。
「……っ」
双肩にダミエッタ星系百数十億の人命を覚え身震いしました。
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