9章
9章-1
新学期に入ってもまだ暑さが居残り続けているある日の放課後、光一は職員室にいた。学校という生徒である子どもが大多数を占める世界にあって、数少ない大人のために存在しているその場所は彼にとって居心地が悪く、先ほどから落ち着かない様子で立っていた。
光一の前には担任で、野球部の顧問でもある安田先生が椅子に座っていた。紺のジャージ姿で、組んだ足の親指と人差し指の間でサンダルを弄んでいる。寿司のネタが書かれた湯飲みでお茶を飲みながら、熱心に小さなプリントを眺めている。
「よし、わかった」
やがてそう言うと、安田は教科書やファイルなどが乱雑に積まれて今にも崩れ落ちそうな机の上にプリントを投げ出した。〈進路志望調査書〉と書かれたそのプリントには、光一の名前の他に大学名が三つほど書かれている。
「私立の文系に狙いを定めるということでいいんだな?」
安田が聞くと、光一は「はい」と答えた。
「本当なら一学期中に提出してもらいたかったんだけどな」
「……すみません」
ずずっとお茶をすすっている安田に光一は頭を下げた。
「まあ、いいさ。それだけ熟慮したってことなんだろうしな」安田は湯飲みを机の上に置く。「進路を決めた以上、後はひたすらそこに邁進するだけだぞ。お前の今の成績じゃどこも厳しいかもしれんが、それもこれからのがんばり次第だ。しっかりやれよ」
「わかりました」
「うむ。じゃあ行ってよし」
安田は椅子を回して机に向き合い、すでに光一が去ったものとして自分の仕事を始め出す。
そんな安田の背中に、光一は今一度「ありがとうございました」と軽く頭を下げてからその場を後にした。やっと職員室を出られるという安堵が顔に表れていた。
「あ、そうだ。澤崎」
ふと思い出したように安田は光一を呼び止めた。光一は何だよと舌打ちしながらも足を止め、再び安田の方を振り返る。
「お前、大学行ってもやるつものなのか、野球?」
そう尋ねる安田に、光一は迷うことなく答えた。
「もちろん」
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