5章-2
校舎前までやって来た三島の目に飛び込んできたのは、正面玄関から溢れるように出てくる生徒の姿だった。今日の補習が終わったのだ。
……これだけ人がいると澤崎を捜すのも一苦労だな。
そう思って三島が頭を抱えたのも束の間、意外にもあっさり光一は見つかった。ちょうど自転車置き場から自転車を引いて出てきたところだった。
光一は三島に気づかず、そのまま自転車にまたがって学校から立ち去ろうする。
「澤崎、待ってくれ!」
三島はあわてて光一を追った。走り出した光一の自転車のリアキャリアに手をかけ、無理矢理停止させる。
不意にかかった負荷に光一の身体は前につんのめってしまったが、まだあまりスピードが出ていなかったため、そのまま自転車の前に投げ出されてしまうような事態は免れることができた。
自転車から降りた光一は、恨めしげに目で三島を一瞥したものの、そのまま何も言わずに背を向けた。今度は自転車には乗らずに引いていく。
その後ろをリアキャリアを掴んだまま三島は付いていった。この間、二人は無言だった。下校している生徒の話し声とセミの鳴き声がやけに耳に響いた。
丘の中腹くらいまで降りてきたところで、ようやく三島は口を開いた。
「しょうがないさ。部活をしていて、先輩たちがいなくなることほどせいせいするものはないからな。いうなれば、『これからは俺たちの時代だ』ってやつさ。僕らだって一年前はそうだったろ」
「…………」
「それなのに、去ったはずの人間が自分たちの時代に介入してきたら、そりゃあいい気はしないさ」
「…………」
「僕たちの時代にもたまにOBが顔を出したことがあったけど、正直迷惑以外のなにものでもなかったからね。どうせやつらは、社会生活で溜まったうっぷんを晴らすため、自分がまだでかい顔をできる場所にやって来るんだろうしさ」
「…………」
「いや、別に澤崎がそうだって言っているわけじゃないんだけどさ」
「…………」
三島はわざとあっけらかんとした調子で話しかけたものの、光一はまったく何の反応もしなかった。
……やれやれ、けっこうきついことを言っているんだから、何らかの反応をしてくれてもよさそうなものなのに。もっとも、新山のように殴られるのはごめんだけど。
光一同様、まだ短い髪をかきながら三島はため息をついたところ、
「……この前、山口の母親から電話がきた」背中を向けていた光一がぼそりと言った。
「山口の母親から?」三島は訊き返す。
「ああ。以前、お前と会った前日にな」光一は答える。「なんでもあいつ、あの試合の後からずっと部屋にひきこもっているんだってさ。トイレの時しか部屋から出ず、食事も親が部屋の前に置いていったものを部屋の中で食べているらしい。親が部屋の外から呼びかけても何の反応もないんだそうだ。……それで困った母親が俺に連絡してきたんだ。うちの子に会ってくれ、うちの子を助けてくれってな」
「で、会ったのか?」
「いや、会わなかった。用事があって忙しいからとか適当な理由をつけて断ったんだ。……本当は用事なんてなかったんだけどな」
「…………」
「だって、しょうがないだろ。俺がやつに何をしてやれるっていうんだ。俺は青少年の心の問題について詳しいカウンセラーでも何でもないんだぞ。山口の母親は、おそらく息子の所属していた部活のキャプテンだからということで俺に助けを求めたのかもしれないけど、的外れな人選もいいところだ。だいたい、俺はもう野球部員でもキャプテンでもないんだ。もはや山口とは何の関係もない人間なんだ。そんな俺に、息子を何とかしてくれなんて言われても困るんだ。迷惑なんだよ」
光一は言い訳めいた言葉を連ねていく。
それを黙って聞いていた三島は、やがて口を挟んだ。
「でも、山口のことをまったく気にかけていないかといえば、決してそうではないんだろ? さっき澤崎が新山をぶん殴ったのは、あいつが山口を愚弄するようなことを言ったからだ。――違うか?」
その問いに光一は力無く首を振る。
「……あいにくだけど、そいつは違う。俺はただ、後輩のやつらが俺を迷惑に思っていたことにむかっ腹が立っただけなんだ。殴ったのが新山だったのは、単にやつと目が合ったからにすぎないんだ」
「…………」
「それに俺は、さらに憎まれ口叩いてきた新山を殴ることができなかった。それはきっと、やつの言ったことをもっともだと思ってしまったからだ。もし三塁ランナーが山口じゃなかったらって自分でも感じていたからだ」
「…………」
「この前、星野のやつに聞かれたんだ。『山口のことを恨んでいるのか?』ってな。その時はとっさに否定した。ミスしたチームメイトを恨むだなんて、そんなことするわけないだろってな。……でも、今となっては自信が持てない。本当にそう思っていたのなら、そんな俺たちのチームワークを愚弄するような発言をした星野を非難すべきだったんだ。それこそ、新山のようにぶん殴ったってよかったはずなんだ。……だけど、その時の俺は、ただ自分に対してそうじゃないんだと言い聞かせることしかできなかった」
「…………」
「今でもゲームセットになった瞬間のことをよく思い出すんだ。お前や他のチームメイトは、三塁ベース上で泣き崩れている山口を抱きかかえて慰めていたよな。でも、そこに俺の姿はなかった。俺はバッターボックスの中でただ呆然と突っ立っているだけだった。その時、俺が何を思っていたのかは正直自分でもよく覚えていない。何が起こったのかわからず、だだ呆然としていただけなのかもしない。……だけど、時間を置いた今だとわかるんだ。たぶん俺は――」
「もういい! わかったからもう何も言うな」三島はたまらず制止した。たとえ光一が何を考えていたとしても、これ以上口にさせるのは酷だと思った。
光一はまだ何か言いたげではあったものの、結局そのまま黙り込んでしまう。
そして、再び二人の間には重い沈黙が垂れ込める。三島は何度か光一に声をかけようとしたものの、結局何も言うことができなかった。今どんな慰めの言葉を発したところで、白々しく聞こえるだけだと思ったから。
ただ歩みだけが一定のペースで進められる。
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