4章-5

「…………」

 後輩たちの会話を部室の外から聞いていた光一は、ドアノブに手をかけたまま固まっていた。その顔はとても険しい。

「澤崎……」

 三島はなだめようとするが、光一は受け付けなかった。

 光一は勢いよくドアを開け放った。

 大いに盛り上がっていた部室が一瞬にして静まり返った。悪口の的にしていた張本人が現れたのだから当然だろう。

 部員たちは気まずそうにうつむき、光一と目を合わせないようにしている。そんな中にあって、部室の奥に座っていた新山だけは真っ直ぐに光一を睨んでいた。

 光一は一直線に新山のもとに歩み寄ると、彼の襟元をつかみ、頬を殴りつけた。鈍い音と共に新山の身体はよろめき、後方へと倒れ込む。その場にいた部員は彼を抱き留める形となった。

 口の中が切れたのか、新山の口元から血がつーっと流れた。彼はそれを手の甲で拭うと、さっき以上に鋭い眼差しで光一を睨みつける。

「……何しに来たんだよ?」食ってかかるように新山は言った。「あんたは、今さら何しに野球部に来たんだよ! 俺たちのため? 俺たちが甲子園に行けるように鍛えるため? 笑わせるな! あんたはただ野球に対して未練がタラタラなだけだろうが! 俺たちの相手をすることで少しでもその未練を解消したいと思っているだけだろうが!」

「……黙れ」

「あんたの自己満足のために俺たちを利用するなよな! 迷惑だからよ!」

「黙れ!」

 光一は再び新山につかみかかり拳を振り上げる。新山は抵抗するどころか、不敵を笑みを浮かべ、

「部室の外で俺達の話を盗み聞きしていたのなら、俺の言ったことだって聞いただろ? そうさ、山口のことさ。どう感じた? 俺がやつを侮辱するようなことを言って許さないと思ったか? いや、違うな。あんたは俺の言ったことに同感だったんじゃないのか。もしあの時、サードランナーが山口じゃなかったなら、試合はあんな終わり方にはならず、自分もちゃんと打たせてもらえたはずだってな。……もっとも、たとえそうなったとしても、あんたが打てたかどうかなんてわからないけどな」

「この……」

 光一は、今すぐにでも振り上げた拳を新山に叩きつけたい衝動に駆られる。なのに、どうしてもそれができなかった。

 ふと、先ほどまで逸らされていた後輩部員たちの視線が、今は一斉に自分へと注がれていることに気が付いた。その目には一様に非難の光が満ちていた。

「……くっ!」

 結局、光一は新山を殴らずただ突き飛ばした。新山は再び部員に抱きかかえられる形で倒れ込む。

 光一はまるで逃げるように部室から出ていった。

 三島は自分の横を素通りしていく光一に声をかけようとしたが、結局何も言えずそのまま見送った。

 残された三島は部室の中を覗き込んだ。

 三年間慣れ親しんだはずの部室――。なのにそこは、まるで自分の知らない場所であるかのようによそよそしく感じられた。表面がベコベコになったロッカーも、何代か前の部員が置いていったオンボロの扇風機も、自分が恵美の目を盗んで密かに持ちこんだエロ本もあいかわらずそこにあるというのに……。

 三島はさっきまで光一に向けられていた敵愾心のこもった視線が、今度は自分に向けられているのを察した。さっさと俺たちの世界から出て行けと言っているかのようだ。

 三島は無言でその場から立ち去った。後輩たちの先輩に対する態度に憤りを覚えるよりも、もはやここは自分たちの居場所ではないのだという寂しさの方を強く感じずにはいられなかった。

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