2章-5

 そこは外界から隔てられた部屋だった。夏の眩い光はぴっちり閉じられたカーテンに遮られ、暗闇に若干の明るさをもたらすのがせいぜいだ。外界の凶暴な暑さも、ガンガンに効かせた冷房おかげで感じることはない。セミの声も入り込む余地はなく、エアコンのカタカタという小さな駆動音だけが静かに室内に響いている。

 部屋の隅に置かれたベッドの上には、一人の少年が膝を抱えて座っていた。その虚ろな瞳は、何もない壁をただじっと見つめている。

 彼――山口武史は、晶たちと同じく野球部の三年生だ。ポジションはライトだが、本来はレギュラーではなく、背番号も13番を付けていた。

 それが、大会が始まるとスタメンを張るようになった。これは彼の実力というよりは、監督の「山口は三年間、裏方としてよく頑張ってくれたから、最後の試合くらいはスタメンで出してやろう」という温情によるところが大きかった。

 だが、順調に勝ち進んだため、なかなか最後の試合にはならなかったことや、山口自身も試合でまずまずの活躍を見せたこともあり、いつしか彼はレギュラーと呼んでも差し支えのない存在となっていた。

 小、中、高と野球部に所属していながら万年補欠であった山口は、その思いがけない栄光に有頂天になった。ついに僕の野球人生にも春が来たんだ!

 しかし、今となっては自分には過ぎた名誉だったのだと思わずにはいられない。

 ――ピッチャーの牽制球がサードのグラブに吸い込まれる音。

 ――あわててサードベースに滑り込んだ際に口の中に入った土の苦い味。

 ――死刑宣告ともとれる審判のアウトのコール。

 ――愕然とベースの前でしゃがみ込んでいる自分。

 ――そんな自分を呆然と見つめている光一の目。

 あの時の光景が頭の中で再生される。それがここ数日、何度も何度も繰り返され、彼を苛まさせていた。

 山口はたまらず頭を抱え込んだ。レギュラーになっていなければ、こんな苦しみを味わうことなんてなかったのに……。

 そんな山口の耳に、廊下をサンダルで歩いてくるぱたぱたという音が聞こえてきた。それは徐々に近づいてきて、彼の部屋の前で止まった。さすがに聞こえはしないものの、その足音の主はドアの前に置かれた手つかずのままの昼食を目にし、ため息のひとつもこぼしているに違いない。

 しばしの間をおいて、ドアがノックされる。

「タケくん、起きてる?」ドア越しに母親の声がした。「今日のお昼はチャーハンだったんだけれど、食べたくなかったのかな? もしお腹がすいたら温め直してあげるから、下に降りてらっしゃい」

 それだけ言うと、再びスリッパの音が遠ざかっていった。

 ……どうしてだろう?

 母親が去った後、山口はぼんやりと思った。

 どうして、母さんはひきこもりのようになってしまった自分を叱りもせず、優しく見守ってくれるのだろう?

 どうして、野球部のみんなは自分を責めたりせず、逆に慰めたりしてくれたのだろう?

 自分には、そんな価値なんてありはしないのに……。

 その問いに答えてくれる者はおらず、冷房のカタカタという音だけがやけに大きく耳に響いていた。

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