夫婦は二世

 


 一週間後、私はもう今日だけで何度目かになるかわからないため息を吐く。

 今日は特に朝から散々だったのだ。目覚まし時計はうまく鳴らずに寝坊しかけるし、夏期講習に向かうための電車はちょっぴり遅れていたし、行きがけに寄ったコンビニではお気に入りのグミがちょうど品切れ中だった。

 こんなことがもう一週間も続いている。

 度重なるちょっとした不幸に、脳裏に彼……将門の姿が浮かんだ。

 怨霊ってこんなみみっちい呪いしかしないの?

 うまく言えないけれどもっとこう……猛々しい何かがあるんだと思ってた私からすれば正直拍子抜けの一言だった。もっと悪く言えば期待外れ。

 そんなことを思いながら教室について筆箱を開く。そしてシャー芯を入れ替えようとケースから取り出しそうとした瞬間手が滑って自由落下していったそれは床にたたきつけられてぱきぱきと折れて行った。

「あー……」

 不運というか、不注意というか。どちらとも取れないそれにもう一度大きなため息を吐く。どうやら今日の授業は今ある芯だけで乗り切るしかないらしい。

 この前から本当にこんなことばかり。けれどこれは憎むというよりもなんというか……その……

「いたずら?」

「なにが?」

 唇だけで囁いたタイミングで横から声をかけられたものだから思わずびくんと肩をはねさせる。そちらを向けば、そこには髪を三つ編みに編んだメガネの少女が気づかわし気にこちらを窺っていた。

「驚かせてごめんね。ただ、すっごいところ見ちゃって……」

 すっごいところ、というのは先ほどの芯バキバキ事件のことだろう。見られていたのかと思うと恥ずかしくってあいまいに笑えば、彼女も笑ったあとこちらに芯のケースを差し出してくる。

「よかったらだけど、少し補充する?」

 ちょっとした不幸続きに傷ついていた心にじんわりとその優しさがしみこんでいく。私は礼を述べると何本か芯を抜き取ってもう一度頭を下げた。

 そのタイミングで授業開始のチャイムが鳴ったものだから、そこからはもうお互いの世界に入ってしまう。

 脳みそを勉強モードに切り替えながら、ふと「今度お礼しなきゃなあ」という考えが私の頭の片隅をよぎったのだった。




「けど、授業が終わって片付けが済んだ頃にはもういなくなってたんだよね」

 授業終わり、私は将門首塚にてそんな愚痴をこぼしながらがぷりとアイスに食らいついた。ソーダのさわやかな味が舌の上に広がって、中にぎっしりと詰められたラムネ玉がぱちぱちと舌の上ではじける。将門はと言えば、そんな私を横目でじとりと見やった後、低く地を這うような声を発した。

「そんなことをわざわざ言いに今日も来たのか?」

「だって友達は皆受験勉強で忙しいし、お父さんは夜帰ってくるの遅いから」

 ひとりぼっちの家に帰るのは結構きついものがあるのだ。だからお父さんが帰ってくるまで最近はここで毎日時間をつぶしている。

 私のその言葉に彼は立派な眉をひそめたあと鬱陶しそうに溜息を吐いた。

「自分を憎んでいるとわかってる相手によくもまあそんな舐めた態度取れるな。よっぽど頭がおめでたいみたいだ」

 その言葉に私はふは、と鼻で笑ってしまう。

「しょぼい呪いしかできないくせに。新皇だっていうくせに大したことないじゃん」

 そうして思いっきり憎まれ口を叩けばますます将門は眉間に皺を寄せて瞳の色を濃くした。

「お前……アイツと似てるのは顔だけだな?」

「それはどうも。ねえ、桔梗姫ってどういう人だったの?」

 アイスを胃の中に全て納め終わった後、不意に私がそう尋ねれば将門は面喰らったように目を丸くする。そして憎しみと郷愁をその真っ赤な瞳に映した。

「穏やかな女だったよ……まあ、アイツの弟と組んでやがったみたいだけどな」

 桔梗姫は将門の妾であったけれど、平将門の乱にて将門の敵だった男を弟に持つ桔梗姫は弟と内通していた。その結果将門を裏切って死に至らしめた、というのがどうやら桔梗姫伝説というものらしい。

 そうして今将門はこうして怨霊として存在しているのだから、愛の恨みというのははなはだ恐ろしいな、と私は溜息を吐いた。

「そんなに好きだったんだ。桔梗姫のこと」

「もう好きじゃねえよ、あの阿婆擦れ」

 そう呟きながら、ふと将門の視線が私を捕らえる。だから私はずいと一歩近づくと彼の顔を覗き込む。

「じゃあいっぱい私に復讐しなきゃね?」

 私がそう囁き終わるか終わらないかのあたりで、将門は私のお団子頭をぐしゃりと掴んでヘアスタイルを崩した。

「あっひどい」

「これからもっとひどいことするんだから黙ってろ」

 その言葉に安堵の息をついたタイミングで、携帯のアラームが鳴り響く。もういい時間だ、そろそろ帰らなくっちゃ。私は慌てて帰る準備をすると将門に向けて手を振る。

「それじゃあ、また来るから」

 そう宣言すれば彼は苦虫を噛み潰したような顔をした後、ボソリと呟いたのだった。

「もう二度と来るな」

 その言葉を無視しながら、私は明日からの算段を頭の中で組み立てる。

 さて、明日はどうしようかな。


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