骨の髄まで憎んでね
折原ひつじ
骨の髄まで
ぱき、とシャープペンシルの芯が折れたタイミングで古ぼけたチャイムの音が教室に鳴り響いた。
講師に向かって軽く頭を下げれば、その日の授業はもう終わり。そうすれば体から一気に緊張が抜けて行って、私は木製の椅子に深くしなだれかかった。
夏休みに入ってからというものの、来年の受験に向けて毎日のように塾へと通っている。それが必要なことだと分かってはいるものの、どうしても変わり映えのしない毎日に辟易してしまう自分がいるのも事実だった。
はぁ、とついたため息は夏特有に湿っていて、重く鬱陶しい。
塾を出たのは午後八時を回ったころで、くぅと控えめにおなかが鳴った。けれど何か食べる気にもなれなくって、また適当にコンビニでプロテインバーを買ってポケットにねじ込む。
お父さんに「お夕飯は食べて帰るね」と一報を入れて、ケータイを鞄にしまい込んだ。今はまだ、帰りたくなかった。
さて、どこで食べようか。
ふらふらと迷いながら歩いていれば、不意に視界に案内板が飛び込んでくる。そこには「将門首塚」という文字がそっけなく並んでいた。
ああ、祟りがあるって有名な場所か。そこなら人気もなさそうだし、少し休憩するにはいいかもしれない。
それになにより、何かあるかも。
そう思って向かったそこはひっそりとした雰囲気に包まれていた。夏の昼間が明るいからこそ余計に暗く見える夏の闇に足を踏み入れれば、途端に冷気がひやりと体を包み込む。
神社やお寺は何となくひんやりして感じるものだけれど、こんなに顕著なものだったっけ?
何かおかしい、と疑問が頭をよぎったのと同じタイミングで視界の端に人影を見つけて、私はほっとため息を吐いた。お参りの人だろうか。私もせっかく来たのだから少し見ていくだけでもいいかもしれない。そんなことを考えながら首塚につま先を向けた瞬間、目の前の人影がこちらをぐるりと向いた。
そうすれば黒髪越しの真っ赤な目と目がかちあう。その人は真っ黒な平安時代の貴族が着るような服を着ていた。そこで私はようやく理解する。
この人、普通の人間じゃない。
ひ、と喉から悲鳴が漏れだしたのと同時に、ソレは私に問いかけた。
「……桔梗?」
それは私の名前だった。
だから反射的に私はうなずいてしまう。そうすれば男の人の形をしたソレは大きな舌打ちをしたかと思うと私の首を片手で掴むとぎり、と力を込めた。一気に流れ込んでくる酸素が減って頭がくらくらとする。そのまま持ち上げられて、ばたついた足が地面をこするように蹴った。
「ようやく俺の前に姿を現したな、この恨み晴らさせてもらうぞ」
必死にすがりついて手を外そうとする私にも構わず、彼はただただ呪詛をその薄い唇から吐き出してゆく。
どうしてこの人は怒っているの。私恨まれるようなことしたの。そもそも……
「誰……?」
ひゅうひゅうと軋む喉の合間からやっとのことで疑問を口にすれば、彼の真っ赤に光る瞳が大きく見開かれる。そうしてまじまじと私を見つめた後、彼はぱっと首を掴んでいた手を離した。
そうすればせきとめられていた酸素が頭に急に回りだして、私は地面に転がってげほげほとせき込む。そんな私をじっと見降ろしながら、彼は重々しく口を開いた。
「お前は桔梗……桔梗姫ではないのか?」
「ききょう、だけど……あなたのことは知らない」
やっとのことで息を整えながら返事をすれば、彼は私の前にしゃがみこむと片手で顎を掴んでじろじろと私を観察する。その大きな手のひらは無遠慮だけれど、先ほどのような敵意は感じられなかった。
「……まるで桔梗の生き写しだ」
ようやく平静を取り戻した私の胸に、今度は恐怖ではなく怒りがわいてくる。どうして私ばかりこんな目に遭わなくちゃいけないの。だから立場も状況も忘れて、私はその明らかに人でないものに啖呵を切った。
「その桔梗が誰だか知らないけれど、そもそもあなたは誰なの?」
そうすればその男はザクロみたいな目を丸くした後、私を解放すると立ち上がって偉そうに名乗りを上げた。
「俺は将門。ここの首塚に眠っている者だ」
そうして私の顔をちらりと見やると、疎まし気に眉間にしわを寄せる。
「お前が桔梗姫……俺を裏切った女に瓜二つだったものでな」
ききょうひめ、と口にした彼の瞳に浮かぶのはわずかな恋の色とそれを凌駕する強い憎しみだった。
死してなお続く感情がある。
その事実が私の胸を貫いて、ほぅ、と感嘆の息を吐き出させた。相手が幽霊なんて言う信じられない現実よりもなお、そのことが胸に強くこびりつく。
「アイツに復讐をするまで、俺は眠れやしないんだ」
面白そう、と言ったら失礼だろうか。
けれど人に興味を持つ理由なんてみんなそんな些細なものだろう。この人のいろんな顔を見てみたいと思ってしまった。
だから気づけば私の口から言葉がこぼれ落ちていたのだ。
「それなら、私を憎めば?」
憎む、と口にするのは慣れなくって、けれどもやけにすんなり口に馴染んだのだからおかしくってたまらない。もしかしたら私は本当に「桔梗姫」の生まれ変わりなのかもしれないな。
それなら祟られても仕方がないし、何より興味があった。
人はどこまで人のことを憎めるのだろう。
それはどこまで続くのだろう。
「その人の代わりに私のことを骨の髄まで憎んで」
そんなことを思いながらそう告げれば、将門を名乗る幽霊はその鋭い眼差しでこちらを睨め付けるように見つめると、大きなため息をついた。
「あとで泣いて逃げ出すなよ」
そうして目を細めればわずかに眉間に皺が寄る。
「わかった、桔梗。お前が嫌だというまでお前を呪ってやる」
呪う、なんて具体的に何をするのだろう。言葉だけがナイフみたいにぎらついていているばかりだ。彼は私の顎をその大きな手のひらで掴むとまっすぐに目を見て、告げる。
「これからお前の身に起こる不幸は全部俺のものだ」
その偉そうな態度が気に食わなくって片手でぴしゃりと払いのければ、彼は嘆息と共に消えていった。
こうして私の祟りの日々は幕を開けたのだった。
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