第24話 襲撃 その4
外から見上げるとミリアの部屋の窓は大きく開いていた。俺は窓辺へと飛び上がり部屋の様子を確認する。争った形跡はない。だが、ベッドはもぬけの殻で、ミリアの姿はどこにもなかった。
しばらくしてからリーンも部屋の中へ入ってきた。
「ミリアをさらったのはイアーハンの連中か?」
「そうです。奴らの真の目的はイルモア団長の誘拐でした」
「どういうことだ?」
「実は――」
リーンはオスマルテ帝国がミリアを使って魔物を召喚しようとしていること、レギア枢機卿がその計画に加担していたことなどを教えてくれた。
「ごめんなさい、クロードさん。私は貴方を失うのが怖くて……」
リーンなりに思い悩んだ結果だろう……。
「今はミリアの足取りを追うことを急ごう」
連中はミリアを使って魔物を召喚する気だから、殺される心配はない。まだ時間はあるということだ。
「どうやって追いかけますか?」
「匂いで追跡するしかないな」
カクテルで増強された俺の
「ぶるるる」
馬のいななきが聞こえて窓のところを見た。なんとシルバーシップが宙に浮かんで、俺を呼んでいる。
「シルバー……? もしかして、ミリアがどこへ行ったのかわかっているのか?」
「ヒヒーン!(当り前じゃない、私を誰だと思っているの!)」
「やっぱりシルバーは最高だな!」
「ヒンッ!(いいから、さっさと乗りなさい!)」
俺はシルバーシップの背に飛び乗った。遅れてリーンも俺の後ろにまたがる。
「クロードさん、信じてもらえないかもしれないけど、私もイルモア団長を助けたいんです」
俺は少しだけ考えてから答えた。
「これからはもっと俺に相談してくれよ」
「……はいっ!」
リーンは胸を押し当てるように後ろからしがみついてきたけど、今日は文句を言わないことにした。
「シルバー、頼む!」
シルバーの
上空から見ると、木々の間に細い道が見えていた。シルバーはその道をなぞりながら空を飛んでいる。イアーハンはこの道を抜けて逃げていったようだ。
「クロードさん、まずいっス。そろそろ国境線を越えますよ」
森の向こうに川が見える。あの川の向こうはオスマルテ帝国だ。
「別に国境侵犯くらいいいだろう? どうせ、戦争しているんだし」
「まあ、そうっスね」
ばれたところで問題はない。敵を撃退すればいいだけの話だ。
川を越えて少し行くと、小さな城が見えてきた。オスマルテの戦略拠点の一つだろう。シルバーはスピードを落として、空中で立ち止まった。
「ミリアはあの城の中なのか?」
「ヒーン」
「よし、見つかるといけないから、少し離れた場所で着地してくれ」
新月の夜とはいえ、
俺とリーンは透明魔法で姿を消して城の壁をよじ登った。途中で何人もの歩哨に出会ったけど、俺たちに気が付く者はいない。
「
「ミリアが
「ところで、さっきから聞こえてくるこれはなんですか?」
建物の向こうから、100人を超える人間の低く唸るような声が聞こえてくる。
「恐らく詠唱だ。まずいな、魔物を召喚する儀式はもう始まっているようだ」
シルバーで突撃すればよかったと思ったが、こうなっては後の祭りだ。
「急ぐぞ」
俺たちは暗い廊下を走り抜け、声がする中庭へと走った。
城の中庭では異様な光景が広がっていた。地面には巨大な魔法陣が描かれ、それを取り囲むように異教の神官たちが立っている。その数はおよそ300。魔法陣の中心には十字架が立っていて、ミリアがはりつけになっていた。
自分の血が逆流するように感じたが、よく見るとミリアはまだ無事のようだ。
俺は後先考えずにミリアへと走り寄った。ところが、召喚のための魔法陣に阻まれて、俺の体は大きく弾かれてしまう。透明魔法も解かれて、俺の存在は神官たちに知られるところとなってしまった。
「何者だ!?」
「やかましい、イルモア団長を返せ!」
俺は周囲にいた神官を切り刻みながら、魔法陣を取り囲む
「物理攻撃では無理か」
走りながら剣をしまい、魔力を循環させる。神聖魔法には攻撃魔法が少ないのだが試してみるしかない。
「聖なる風の刃!」
真空が作り出す刃が障壁を攻撃したが、甲高い音が響いただけの話だった。この程度の威力ではびくともしないようだ。俺を取り囲む異教の神官が声をかけてくる。
「
「知ったことか!」
聖なる風の刃が周囲にいた10数人の神官の首を落とす。魔法に問題があるわけではない、この障壁が強力すぎるのだ。
「ええい、何をしておる!? その者を切り刻め」
いちばん偉そうなやつが叫んでいた。異教における大司教のような立場なのだろう。狙うなら奴がよさそうだ。敵が出す血しぶきの中を俺は真っ直ぐに進んで、大司教の護衛たちを排除する。そして、奴の後ろに回って、しわの寄った首筋に剣を突き付けた。
「儀式を止めろ。いうことを聞かなければ首を切る」
「ひっ……」
剣を少しだけ引くと、首筋に血が流れた。
「ま、待てっ! もう無理なのだ。この段階では誰にも止めることはできない! 現れるのは魔界の大侯爵、ビバルゾの化身だぞ、人の手の及ぶところではない」
隠し持っていたナイフを大司教の太ももに突き刺した。
「ぎゃあっ!!」
「本当のことを言え。さもなければ右の腿にもう一本突き刺すぞ」
「本当なのだ……信じてくれっ!」
大司教は苦し気に
「クロウ殿!!」
魔法陣の中心からミリアが俺に呼びかけていた。
「イルモア団長、すぐにお助けします!」
だが、ミリアはブンブンと首を横に振った。
「私のことはいい、それよりもクロウ殿がお逃げください!」
「そんなことはできない!」
「いいから!」
「そんなことはできるわけがない!!」
ミリアは大きく息を吸って、精神を落ち着けたように見えた。さっきよりも幾分か声量を落として俺に語りかけてくる。
「クロウ殿、術の中心に居る私にはわかります。もう時間は3分も残っていないでしょう。間もなく魔界の大侯爵がこの地に降臨します。そうなればいくら貴方でも、一人では太刀打ちできないでしょう。だから、今のうちにお逃げください」
こんなときまで、ミリアは人の心配かよ……。
「いいから待っていろ! 必ず助ける!!」
俺はつぶさに魔法陣を観察した。様式はガイア教のものとは少し違うが、構造自体は理解できる。要するにミリアを触媒にして召喚魔法の力を増幅させる装置なのだ。問題は障壁の解除だが、どこかに綻びはないか? 少しでも
「えっ?」
俺は妙なことに気が付いた。それは俺が人質にとっている大司教も同じで、かなりあせっているようだ。
「どういうことだ? 魔法陣内の魔力が全く上がっておらん! むしろ低下している?」
そうなのだ、本来なら魔物の召喚を直前にして、破裂寸前まで膨れ上がるはずの魔力が、どんどんとしぼんでいるのだ。
「おい、何が起こっている?」
「それは私が訊きたい! 魔法陣も詠唱も正しく行われた。問題があれば生贄のあの女だ。まさか、この者はイルモア家の血筋の者ではないのか?」
そんなバカな。目の前にいるのは紛れもなくミリアだ。俺が知るイルモア家の長女であり、俺の腹違いの妹、ミリア・イルモアに間違いない。
ついに魔法陣は完全に光を失い、俺たちを隔てる障壁はなくなってしまった。俺は人質を放り出してミリアに駆け寄る。剣で
「クロウ殿」
「もう大丈夫だ」
「申し訳ございません。薬を盛られてうまく動けないのです」
「安心しろ。俺が必ずここから連れ出す」
解放された大司教が俺たちを包囲するように命令した。
「イアーハンよ、二人を拘束するのだ!」
特殊部隊と思われる奴らが前に出てきた。
「お前らが団長を誘拐したんだな?」
「だったらどうした?」
「死を持って罪を
イアーハンの奴らは俺たちを半包囲するように距離を詰めてくる。自分一人ならせん滅するのに10秒もかからないが、ミリアを守りながらとなるとそうもいかない。
「女を拘束すれば男の武装は解除できる。二人とも生きて捕えよ。どちらもイルモアの血筋だ」
こいつ、余計なことを……。
「イルモアの血筋? クロウ殿、貴方は……」
腕の中のミリアが不思議そうに俺を見上げる。
「リーン、頼む!」
俺が叫ぶとイアーハンの後方で
「クロードさん、こっち!」
中庭から出る狭い通路のところにリーンが立っている。
「逃がすな! あの兄妹を捕まえるのだ!」
「兄妹……まさか……まさか……イシュタル兄様!?」
ミリアが俺の名前をおぼえていた……。熱いものが胸に込み上げてくるが、今は感動に浸っているときではない。
「話はここを脱出してからだ」
援護のために放ったリーンのナイフが、俺たちの左右にいた敵の額にめり込んだ。狭い通路を通り出口へとひたすら走る。後方では通路のあちらこちらにリーンが得意のワイヤートラップを仕掛けていた。
表へと飛び出すと、頭がい骨を割られた門番4人が地上に伏していた。そのすぐ横では、シルバーシップが「遅い!」とばかりに鼻を膨らませている。有能な天馬は戦闘も得意だったようだ。
「よくやってくれた。すぐに飛び上がってくれ」
ミリアを乗せてから、俺もシルバーにまたがる。シルバーはそのまま助走をつけて走り出した。
「リーン!」
「了解!」
リーンが最後のオマケとばかりに、通路へ向かって火炎魔法を数発撃ちこんでから駆け出した。並走して走るリーンに手を伸ばして、シルバーの上へと引き上げる。それと同時にシルバーの体はふわりと宙に浮きあがった。
敵からの弓矢や攻撃魔法が明後日の方向へ飛んでいる。撃ち落としたくても、俺たちの体は透明魔法で見ることができないのだ。オスマルテの小城はみるみるうちに小さくなり、俺たちはすぐに国境の川を越えることができた。
「イシュタル兄様……」
ミリアが俺の胸に顔をうずめている。
「その名で呼ばれるのはずいぶん久しぶりだな。俺はもうイシュタル・イルモアではないのだ」
「私にとっては永遠に兄様は兄様なのです」
「ミリア……」
体を預けるミリアを左手で抱き寄せた。
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