第17話 黒幕 その1

 リーンはシルバーシップの背に乗り都を目指して急いでいた。夜中にたたき起こされて飛ぶことを強要きょうようされるなど、普段のシルバーなら絶対に受け入れないのだが、状況を理解しているのだろう。今晩は文句も言わずに漆黒しっこくの空を飛んでいる。月はいつの間にか西の空に沈んでしまっていた。

「向こうに着いても、すぐにとんぼ返りだからね。体力は温存しておくんだよ」

「ブルル(言われなくてもわかっているわ)」

 シルバーが本気を出せば1日で1000キロ以上飛べるのである。それくらいこの天馬は優秀なのだ。我がままであることをのぞけば。


 リーンたちがグラハム大神殿に到着したのは夜が開ける少し前だった。神殿の朝は早いのだが、この時間に起きている人間はほとんどいない。それでも、緊急事態に備えて宿直の当番神官は必ずいる。それなりのルートを通せば、レギア枢機卿に面会もかなうのだ。

 夜が白々と明けるころになって、リーンはレギア枢機卿の執務室に通された。枢機卿はすでに着替えを済ませており、すぐ横には顔も知らない神官が控えている。痩せて背が高く、無表情な男だ。

 用心棒ようじんぼうかしら? リーンは目立たないようにその神官を観察したが、目が合った瞬間に背筋が凍るような思いがした。それくらい、その男の目は冷たかった。しかも、こいつは強い、ひょっとしたら私よりも……、という動物的直感がリーンを襲った。

「聖百合十字騎士団に何か起こったようだな?」

 枢機卿はいつも通り、挨拶もなく本題に入った。

「騎士の中に裏切り者がいました。宿泊地の防御結界を破壊して、魔物をおびき寄せようとしたようです」

「ほお……。その裏切り者はどうなった?」

「始末いたしました。というか破滅のタリスマンを所持しておりましたので、自滅したようなものです」

「ふむ、サバランは失敗したか」

 リーンの背中に冷たい汗が流れた。どうしてレギア枢機卿は裏切り者の名前を知っているのだ? その言い方では、騎士に結界を破壊させたのは枢機卿自身であると白状はくじょうしているようなものだ。

「まさか、裏で糸を引いていたのは枢機卿なのですか?」

「その通りだ」

 悪びれる様子もなくレギアは肯定こうていした。

「聖百合十字騎士団は枢機卿が発足させたと聞きました。それなのになぜ!?」

「オスマルテの高官から、ちょっとした取引を持ち掛けられたのだよ。聖百合十字騎士団の団長、ミリア・イルモアが欲しいとね」

 オスマルテの目的は聖百合十字騎士団の壊滅かいめつではなく団長のミリアだった。

「どうしてまた?」

「オスマルテ帝国が魔物を召喚するのは知っているだろう?」

 その話なら何度か聞いたことがある。クロードは今回の戦争でもオスマルテが強力な召喚獣を投入してくるだろうと言っていた。

「奴らはイルモア団長を使って最強の魔物を召喚するつもりだったのだよ。より正確に言えばイルモア家の血を使ってね」

 それでミリア・イルモアを誘拐ゆうかいしようとしたのか。昨晩の事件も魔物に村を襲わせて、そのどさくさに紛れてミリアをさらう予定だったに違いない。

「イルモア家の血筋は特別でね、しばしば異能を発揮する人間を輩出する。ミリア・イルモアは治癒魔法に優れた才を有しているそうじゃないか」

「イルモアの血筋が魔物を召喚するのに適していると?」

「その通りだ。おっと、だが誤解しないでくれ。私はガイア法国を裏切る気はない」

「しかし、貴方のやっていることは利敵行為です」

 ここまで秘密を知ってしまったのだ、自分は口封じに殺されるかもしれない。枢機卿の横にいる男はそのために呼ばれたのだろう、リーンはそう考えた。

「誤解するなと言っているだろう。ミリア・イルモアで召喚獣を呼び出しても、それはオスマルテ帝国に制御できる化け物ではないのだよ。われわれの研究では魔物はオスマルテに甚大な被害を与える存在になるとわかっている」

「しかし、ミリア団長はどうなります?」

「もちろん彼女の存在は消えてしまう。というよりも魔物に改変されるのだな。だが国のためになるのだ。彼女なら喜んで犠牲になってくれるさ」

 そんなバカな、と思ったが、リーンは黙っていた。その代わり気になったことを質問する。

「もう一つ教えてください。どうせミリア団長を誘拐させる気なら、どうして我々を護衛につけたのですか? 我々がいない方が都合がよかったと思いますが」

「もちろん保険としてだよ。ミリア団長が旅の途中で死んでしまったり、行方不明になったりすると困るからね。そんなときの代役としてクロード・クロウ司祭にも同行してもらうことにしたのだ。少々優秀過ぎて、作戦が失敗したことは予想外だったが」

 リーンにはレギアの言っていることがわからなかった。

「保険とはどういう意味ですか?」

「おや、リーン助祭は知らないのか? クロウ司祭はミリア・イルモアの腹違いの兄だよ。知られてはいないが、彼もイルモア伯爵家の人間なのさ」

 リーンにとって、それでいろいろと合点がてんのいくことがあった。なまけ者のクロードがやけに張り切ると思ったら、生き別れの妹のために頑張っていたわけだ。

 リーンは手のひらのワイヤーへ密かに魔力を込めた。ここから生きて脱出するためには、得意のトラップを張っておく必要がある。ところが、背の高い男はリーンの考えを読み取ったようにいきなり口を開いた。

「バカな考えは起こさないことだ。まだお前が生き延びられる道はある……」

 この男の後を引き継いで再び枢機卿がしゃべりだした。

「この男はセルゲス司祭だ。名前くらい聞いたことがあるだろう?」

 その名前を聞いて、リーンはひざから崩れ落ちそうになった。セルゲスと言えば退魔庁の中で最強の戦士であり、暗殺者としても名高い。たった一人で十体の悪魔を倒したことでも有名だ。

 悪魔一体を倒すのに、特殊部隊の退魔師が最低でも一小隊必要だと言われているのに、セルゲスはたった一人で十体撃破を成し遂げているのだ。おそらくその腕はクロードを凌ぐだろうとリーンは思った。

 そんなセルゲスが枢機卿についているのであれば、自分が助かる可能性はほとんどないとさえ思える。だが、何とか逃げ出してクロードの元へ帰ることはできないだろうか?

 枢機卿はにっこりとほほ笑みながらリーンに語りかけた。

「安心したまえ、君を害するつもりはない。私は君に協力を依頼したいだけだ」

「協力……ですか?」

「その通りだ。君もクロウ司祭も神殿の仲間じゃないか。私は仲間を大切にする人間だぞ」

 それを言うならミリアだって神殿騎士じゃないか、とリーンは思ったが口には出さなかった。

「私にどうしろと?」

「簡単なことだよ。死んだサラバンの代わりをやってもらいたい。ミリア・イルモアをオスマルテに誘拐させるのだ。そうすればクロウ司祭を差し出す必要もない。愛しているのだろう、クロウ司祭を?」

 これが権力者のやり方なのだろう。レギアの提案を、リーンに拒否するという選択肢はない。

「クロウ司祭の安全は保障してもらえますか?」

「もちろんだとも。君の出世も請け合う。特殊史料編纂室に協力的な者がいるというのは、私にとっても都合がいいのだ」

 レギアに嫌悪を覚えながらも、リーンは静かに頷くのだった。

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