第14話 谷間の村 その3

 田舎の夜はふけけるのが早い。午後八時ともなれば明かりのついている家など一軒もなかった。騎士たちも住人に気を遣って、騒ぐ者など一人もいない。さすがは品行方正ひんこうほうせいなアイドル騎士団だ。だが、俺たちの仕事は人々が眠りについてからが本番を迎える。

「さてと、そろそろ行くとするか」

「なんか、一日中働きっぱなしですよね」

「任務中は仕方がないだろう。これが終わったら長期休暇がもらえるんだから我慢しろよ」

「休暇をもらったら、クロードさんはどうするんですか?」

 そういえば何も考えていなかったな。だが、俺としてはミリアが心配だ。聖百合十字騎士団が前線に立たされることはないだろうが、戦場では何が起こるかわからない。ミリアたちをアスタルテへ送り届けたあとも、引き続き酒保商人を続けた方がいいのではないか?

「えーと……内緒だ……」

「えー、教えてくれたっていいじゃないですかぁ、ついていきますからぁ」

 甘えた声を出してもだめだ、リーンがいると……、いや、いてくれた方がいろいろと都合がいいな。なんだかんだで、リーンは役に立つ。

「本当についてくる?」

「え、連れてってくれるんですか? もう、やっと私にデレましたね。尽くした甲斐があったというものです。私、セックスの注文は多い方だから全部受け入れてくださいよっ!」

 どんなプレイをさせる気だよ?

「いや、俺はアスタルテへ残ろうと思うんだ」

「へっ?」

「聖百合十字騎士団がどれくらい強くなったか見たいんだよ。俺が手塩にかけた精鋭部隊がどの程度やれるかを確認したくてさ」

「さよなら……」

 リーンは即座にそっぽを向いた。

「リーンがいてくれれば裏工作がしやすくてちょうどいいや。給料なら俺が出すから手伝ってくれよ」

「いやだあ! 私はリゾートで休暇を楽しむんだっ!」

「でもさ、相手はオスマルテ帝国だぞ。強力な召喚獣を使うので有名な」

「……」

 リーンがピクリと反応した。さすがはバトルジャンキー、簡単に釣れそうだ。オスマルテ帝国の兵力はガイア法国よりも小規模だが、魔物を召喚する術が発達している。オスマルテはしばしば強力な魔物を呼び出して、戦争に利用しているのだ。

「今回の戦争は向こうも本気だ。新型を呼び出してくるかもしれないぞ。それを討ち取ったとなると、リーンの評価はうなぎのぼり、出世も間違いなしだ」

「クロードさんより上の階級に行けますか?」

「可能性はゼロじゃない」

「そうなったら上官命令で抱いてくれます?」

 それはパワハラ&セクハラだ。だけどここは調子を合わせておこう。

「ミリアが司教になったらねー」

 なんて罰当たりな会話なんだ……。だいたい18歳やそこいらで司教の地位に就けるほど、この世界は甘くはないのだ。司教より上は、実力ではなく政治力がモノを言うのが神殿というところなのだから。

「わかりました、新しい戦闘法も試してみたいし、私もアスタルテへ残ります。その代わり、月給は30万でお願いしますよ」

 助祭の給料の二倍以上じゃないか! だけど、リーンほど有能な人材はそう簡単には雇えない。仕方がない、それで手を打つとしよう。

「わかった、金のことなら心配するな」

「クロードさんって意外とお金持ちですよね」

「そりゃあ……」

 討伐した魔物が貯めこんでいたのを拝借したり、裏工作の資金をプールしたりといろいろあるのだ。そういうことも、少しずつリーンに教えていかなくてはならないのだけど、少し気が重い。ある意味でリーンは純粋であり、それがこいつの魅力でもある。とはいえ、リーンが退魔師としてやっていくのなら、教えておかなければならない鉄則でもあった。

「せっかくアスタルテへ行くんだ。ついでに隠れ家の一つも作っておこう」

「私たちの愛の巣ですか? 下世話な言い方をするならヤリ部屋ですね」

「バーカ、いざというときの隠れ家だよ。身を隠さなければならないことはいつだって起こり得る。そういう時に使える場所を用意しておくのも退魔師として生き残るコツだ。少々の金を置いておけば、あとで助かることもある」

「なるほど」

「どういう場所が隠れ家に向いているかをレクチャーしてやるから、そのつもりでいろよ」

「了解っス!」

 リーンは心から嬉しそうな笑顔を見せ、俺は少しだけリーンをかわいいと思ってしまった。


   ◇


 その夜、リーンはクロードから村の周囲を警戒するように言いつけられた。黒い装束を身に着け、フル装備で出撃するリーンの足取りは軽い。彼女は実践的なスリルを伴う任務を好むのだ。それなのに、ここのところ自分の出番はまったくない。

 街道には山賊や魔物が出没するものだが、さすがに500人規模の騎士団を襲う根性の据わったやつらはいなかった。たとえいたとしても、酒保の店員に身をやつしているリーンが戦う機会はなかっただろう。だが、今晩だけは好きに戦っていいといわれている。

集落を守る壁には魔物に対する防御結界が張られているが、そこから一歩出れば闇が支配する魔境だ。命の保証はどこにもない。だが、リーンの心は羽が生えたように自由を感じていた。

「ぞくぞくして濡れちゃいそう」

 リーンは空に浮かんだレモン色の半月に愛用のナイフをかざした。初任務を成功させたときにクロードがプレゼントしてくれたものだ。そして、月明かりに浮かぶ山肌に視線を凝らす。きっと、そのどこかに魔物が潜んでいるはずだった。

「見ているんでしょう? わかってるんだから。そっちに行くから出ておいでよ。うふふ、私が遊んであげる」

 リーンはスキップするように月明かりが照らす谷間に下りていく。彼女の鼻歌に怯えた鹿が、やぶの中へと逃げていった。

「やだなぁ、鹿を襲う気なんてないよ。私は猟師じゃなくて退魔師ですからね。って、あれ?」

 違和感を覚えたリーンは湿った土の上で立ち止まった。一般人では絶対に気づけない、小さな異変を感じ取ったのだ。

「あれれ? なーんか、わざとらしいなあ……」

 土の上には落ち葉が積もっているだけなのだが、リーンはそれが気になった。彼女は落ち葉に近づき、そっとそれらをどかしていく。現れたのは落ち葉に隠れるようにしてついた足跡だった。

「やっぱりだ。誰かが自分の痕跡こんせきを隠そうとしたな」

 騎士たちがこんなところに来るはずはないし、村人の足跡なら隠す意味がない。考えられるのはオスマルテ帝国の特殊部隊、イアーハンである。リーンは無造作を装いながらも、注意深く周囲の気配を探っている。だが、周辺に人のいる様子はなかった。

「もうどっかに行っちゃったのかな?」

 イアーハンは何をしていたのだろう? リーンは考えを巡らせる。単に偵察をしていたのならいいのだが、他に目的があるのならば、それを暴かなければならない。

私もクロードさんくらい鼻が利いたらなあ、とリーンは思う。それだけじゃない、クロードはカクテルで五感のすべてを強化している。その姿は、リーンにとって研ぎ澄まされた一本の名刀のように映っていた。

 あんな男にこの身を貫かれたらどうなるんだろう? そんなことを考えるとリーンはたまらない興奮を覚えた。自分の教官としてはじめて会ったときは、強さの欠片も感じなかったのだが、すぐに天と地ほどの実力の違いを知った。そこから憧れ続け、今では恋焦がれるまでになっている。冗談めかしてはいるが、リーンの言動はいつだって本気だった。

「ん? これは魔香まこうの匂い……」

 ひんやりとした高原の空気に魔物をおびき寄せるお香の匂いが混じっていた。退魔師や魔物ハンターがよく使うもので、リーンにとっても馴染み深いものだ。隠された足跡に魔香の香り、これは誰かが村を襲わせようと画策しているのか? 

だが、これまでのところクロードの張った探知結界に反応はない。外部から侵入があればすぐにこちらにはわかるようになっているのだ。また、村を囲む壁は、一見みすぼらしく見えるが、長い年月をかけて何重にも張られた防御結界だ。それがある限り魔物は村へ侵入できない。だとしたら、魔物をおびき寄せる意味が分からなかった。

「いちおう防御結界をチェックしておきますか。それから連絡ね。届け私のラブコール」

 リーンは胸の谷間から連絡用の笛を引き出して、ぷっくりとした唇にあてた。人間の可聴範囲を超えた音が谷間を越えて響き渡った。


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