第9話 届かぬ一撃

 ミナキは少女――ルミィ・ステンシアが姿を消した図書室を訪れていた。

 放課後でも数名の生徒が足を運び、勉学に励む姿が見える。

 並べられた本棚の数は中々に壮観だが、死角となる箇所は多い。

 ただし、窓から外に出ようとすれば、仕掛けられた『魔術』によって探知される。

 まず、そこから出ようとはしないだろう。

 入口は受付のあるところに一つのみ――本人が見つからずに抜け出した、とはまず考えられない。


(先日に見たレドゥさんの使う『結界魔術』の類……けれど、図書室内での魔術使用も探知されるはず)


 探知魔術にもかかることはなく、魔術を行使したということになるだろう。

 実際、ミナキも普段から帯刀しているが、これは他の人の目には見えないように魔術で隠している。探知の魔術にかかることはない。

 けれど、それはあくまで小規模な魔術であるからだ――大規模な魔術である程、そういった探知を避けるようにするのは難しくなってくる。

 もちろん、隠蔽は不可能ではない。ただ、日常的に人が利用する場所で展開することは、ミナキでもできないことだ。

 相手は吸血鬼で、少なくともミナキより『上』の実力者であることは間違いないと言えるだろう。

 元々、『この学園に吸血鬼が潜んでいる可能性がある』という依頼は……学園長から依頼を受けたものであった。

 吸血鬼の使う『眷属化』には少し特性があり、探知魔術にかかると特定することができる。

 先日捕らえた吸血鬼が、その探知魔術に引っかかっていたことは間違いない。――『捕らえた吸血鬼』を利用して、隠れ蓑にしていたとも考えられる。


(……だとしても、どうして今、仕掛けてきたんでしょう?)


 ミナキは思考を巡らせる。だが、その理由は思いつかない。

 とにかく、吸血鬼の痕跡を見つけて探し出さなければならない――そう考えて、ミナキは歩き出す。


「……?」


 そこで、違和感に気が付いた。

 人の気配がない――先ほどまでは、隣の本棚で本を探していた学生の姿もなく、テーブルスペースで座って本を読んでいた学生の姿も見当たらない。

 だが、人の気配は感じられないのに、確かにそこに『人』はいた。

 受付に座り込む、眼鏡を掛けた女性。真っ直ぐ前を見据えていたが、やがてゆっくりとミナキの方に視線を移す。


「調べ物は済んだのかな? 魔術師さん」

「――」


 背筋が凍るような感覚。女性の声を聞いて、ミナキは最初に感じ取ったものだ。

 咄嗟に刀の柄を握り、構えを取る。

 女性はそんなミナキの姿を見ても、慌てる様子もなく動かない。


「そういう、ことですか。後から吸血鬼が来たのではなく、『初めからここにいた』」

「正解だよ」


 ミナキの言葉に、女性――吸血鬼は頷いて答える。

 ゆっくりと立ち上がると、コツコツと靴の音を鳴らしながら、ミナキとの距離を詰めようとする。


「動かないでください。そこから動けば、斬ります」


 ミナキがそう言うと、吸血鬼の動きはピタリと止まる。


(……斬る? いや、私は彼女を斬れるの……?)


 対峙した時点で、『理解』してしまった。

 まだ彼女は人の姿をしているが、ミナキとは一線を画す存在であるということが。

 呼吸を整えようとしても、乱れてしまう。

『勝てるか分からない』ではなく、明確に『勝てない』とイメージさせられてしまったからだ。


「そんなに怯える必要はないよ、魔術師さん」

「……っ」


 優しげな声を聞いて、ハッとした表情でミナキは吸血鬼を見る。

 吸血鬼は、笑顔を浮かべていた。


「君の狙いだった吸血鬼――彼は後から私の『領域』に入ってきてね。まあ、正直邪魔だったから感謝しているよ、君が始末してくれたことは。だから、お礼をしようと思ったんだ」

「お礼……? 何を……?」

「だって、そうだろう。私はここで、静かに暮らしている吸血鬼なんだ。実際、今までだって誰にもバレずに生活をしてきた」

「……っ、ですが、あなたは学生を一人攫ったではありませんかっ!」

「君と話をするためさ。彼女なら、君をここに引き入れた時点で解放しているよ。私は争いを好まない主義なんだ。ああ、申し遅れたね――私の名前はアイシェル・クラリッツァ。平和主義の吸血鬼なんだ」


 吸血鬼――アイシェルはどこまでも聞こえのいい言葉ばかり口にする。

 けれど、何一つ信じられなかった。

 本能が、彼女を受け入れることを拒否している――ミナキの警戒心が解けることはない。


「……なら、どうして私を引き入れたんですか?」

「それは簡単な話だよ、魔術師さん。君は……『審魔機構』の魔術師なんだろう? 君はあのレドゥとかいう『無能王子』を監視しているみたいだけれど、私も『君』を監視していたんだ。私の監視に全く気付けない君は……私より『弱い』と判断した。若い魔術師は優秀で質の良い血を持っているからね……私が、飼うつもりで引き入れたんだよ」

「……っ!」


 ミナキは刀を抜き去り、床を蹴る。

 まだ『人の姿』のままであれば、一撃で仕留めれば好機があると判断したからだ。

 一瞬の迷いもなく、首を撥ね飛ばすために刀を振るい――それが、止められたことにも気付いた。

 あちこちから伸びる黒い影が、ミナキの動きを完全に制止する。

 攻撃される気配すら、感じ取ることができなかった。


「ほう、『魔術』によって構成された刀かい。当たれば確かに危険な代物かもしれないね。『当たれば』だけれど」

「こ、の――くあ……っ」


 ミナキは逃げ出そうとするが、身体を縛る影の力が強くなる。

 これも魔術の一つなのだろう――身動きのできないまま、首に巻き付いた影の力で徐々に意識も薄れていく。


「心配はしなくていい。私は優しいから……君が死ぬまでは可愛がってあげるよ」


 ――魔術師として、これからやっと活躍することができると思っていた。

 別に、有名になりたいわけじゃない。ただ、魔術師になって、誰かを助けられるようになりたかっただけだ。

 それなのに……何もできないままに、ミナキは敗北する。


(そんな、の――)


 認められるわけがない。

 薄れゆく意識の中、それでもミナキは刀を握り締める。

 あと少し、ほんの少しだけでいい――刃が届く。


「と、どけ……」

「……? まだ喋れるのかい」


 届け、届け――魔力を絞り出し、吸血鬼に届く一撃を生み出そうとする。


「届けッ!」


 全てを絞り出し、叫ぶ。

 だが、そんなミナキをアイシェルが見下ろした。


「……無駄なことを――」


 アイシェルの言葉が途切れた。

 ミナキの身体を縛っていた影は消滅していく。

 距離を取ったアイシェルの方に視線を送ると、喉元から出血していた。その表情は驚きに満ちている。

 ――ミナキの刃が、届いたわけではない。それはミナキが、よく理解していることだ。


「どうして……あなたがここに……っ」


 アイシェルが言い放つ。その視線の先――振り返ると、ミナキも全く同じ言葉が心の中に過ぎった。


「レドゥ、さん……?」

「――俺が魔術師として戦うのに、心に決めていることがある」


 ミナキ達の驚く様子とは裏腹に、レドゥは言葉を続ける。


「一つは『俺の命に危機が迫った時』。これは当たり前の話だ……死にたくないからな。だが、例外もある――俺も魔術師だから、盟約は果たすさ」

「盟約……それって――」


 一体何のことなのか、ミナキにはすぐに理解できなかった。座り込むミナキの前にレドゥが立つと、


「『ここの学生達を守る』――それが君との盟約だ。あと一週間とはいえ、君もそこに含まれるからな」


 レドゥの言葉を聞いて、ミナキは目を見開く。

 どうしてここにいるのか、どうやってアイシェルに対して攻撃を仕掛けたのか――そんな疑問は吹き飛んで、初めてレドゥという人物が少し理解できたかもしれないと思った。


「ここからは、俺が相手をしてやろう」


 レドゥはそう宣言して、吸血鬼――アイシェルと対峙した。

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