第二十一話 最後の願い


澄み切った空には雲一つない青空が広がっていた月曜日。


「この前は、ありがとな」


照れくささを隠すように、少しだけそっぽを向きながら言葉を落とした俺に、え、と困惑した声をもらした。


「千羽鶴作るの手伝ってくれたじゃん。そのお礼」

「あ、いえ、そんな……」


首をもげそうなほど振ったあと、


「私が勝手に強引に一緒に作りませんかってお誘いしただけで…べつに感謝されるようなことはなにも……」


慌てたように言葉を取り繕う彼女。


「なんでそんな謙遜してんだよ。千羽のうちの半分も作ってくれたじゃん。ふつーに感謝してるから」

「それは私が自ら志願しただけですし」

「うん。だとしても、すっごい助かったから」


魅音ちゃんは、初めから最後まで俺のために何か力になってあげたいと言っていた。


だから、


「マジで感謝してる。ありがとう」


そう告げると、いえ、と小さく返事をした魅音ちゃんは、わずかに目線を下げる。


「三上くんのお力になれて、ほんとによかったです」


と、口をほころばせた。


「あとさ、伝言預かってんだ」

「伝言……?」

「うん。彼女のおばさんが、手伝ってくれたお友達にもありがとうって伝えてほしいって」


そう教えると「えっ!」と、慌てたように顔をあげると、


「自分一人で作ったって言わなかったんですか?!」

「うん」

「なんでですか!」


まくし立てるように尋ねられる。


「いや、なんでって…さすがに半分も作ってもらってるのに嘘はつけねえだろ」

「そこは一人で作ったと言えばよかったじゃないですか」

「そこまで俺、図太くないし」

「……三上くんってなんかへんなところで律儀ですよね」

「べつにふつーだよ、ふつー」


半分も作ってもらってんのに全部自分で作ったって言うやつの方が、よっぽどどうかしてるっつーの。


それに、


「今頃、魅音ちゃんがいなかったら俺、彼女のそばに戻ってやれたか分からないし」

「え?」

「魅音ちゃん、いつも俺の背中押してくれてただろ」

「それは当たり前と言いますか。好きな人の力になるのは当然のことなとで」


真っ直ぐに見据えた瞳で、そう告げた彼女。


その瞳は、相変わらず眩しくて。


一人だったらまだ弱いままだったかもしれない。

何もできずに、動けない無力な俺のままだったかもしれない。


「いろいろと、ほんとありがとな」

「い、いえ! もう何度も言うのはやめてください!」


照れくさそうに赤面したあと、俺から数歩後ずさる。


「それだけ感謝してるっつーことだよ」


きみには。


だから、


「なんかお礼させてよ」

「え、お礼?」


ポカンと固まった彼女に、そ、と頷いたあと、


「この前も言ったじゃん。なんかお礼するって。だから、一つだけ願い聞いてやるよ」


そう告げると、「一つだけ……」と声をもらしながら考え込む彼女。


「あー、まあ内容にもよるけどな」


付き合ってとか色恋的なものだったら、即座に前言撤回するだろう。


そしてしばらくして、じゃあ、と言いにくそうにもじもじしたあと、


「最後に観覧車に乗ってもらえませんか?」


予想していなかった言葉が落ちた。


「……は?」


思わず、もれた声。


「あっ、いや、あの……三上くんが二人きりとか密室が嫌なのは分かるのですが、これで最後なので…」

「……最後?」

「私が告白したとき約束したじゃないですか。三上くんに付き纏うのは、一ヶ月だけにしますと」


その言葉を聞いて記憶が手繰り寄せられる。


「……ああ。そういえばそんな約束したよな」

「はい。それがちょうど今日なんです」


もうそんなに経つのか。時間が過ぎるのがかなり早く感じた。


「駅ビルの屋上に観覧車があるの知ってますか?」

「…ああ、まあ一応」


そういえばあったよな、なんて思っていると


「最後に一度だけ、三上くんとの思い出が欲しいんです。だから、そこで待ってます」


真っ直ぐ見据えた瞳とぶつかった。


さすがに無理難題なことすぎて、俺は頷けずにいると、


「しばらく待っていても姿が見えなかったときは、それで諦めます」

「諦める?」

「はい。あとは三上くんにお任せします」

「……それだったら俺、行かないと思うけど」

「それも運命なのでしょう」


口元を緩めてそんなことを言うものだから、気の抜けた俺は、「は?」と声をもらす。


「だって私が無理やりお願いしたところで、きっと三上くんはやって来ないと思うから。だから、三上くんに任せるんです」


淡々と告げたあと、


「三上くんが来なかったからって怒ったりしませんよ。それに明日からは三上くんの前に現れません。安心してくださいね」


思ったよりも引くときはあっさりしていて、俺の方が気落ちしてしまうほど。


「……それでいいのかよ」


なぜ、引き止めるような言葉をかけるのか自分が分からなかったけれど、


「はい、これも運命なのでしょう」


なんてわけの分からないことを言うから、なにが運命なのか尋ねることはしなかった。


「だから、あとは三上くんが考えてください。もちろん嫌なら嫌で、来なくても大丈夫です」


淡々と告げると、小さく頭を下げたあと、俺の前を通り過ぎて走って行った。


最後に浮かべた悲しそうに浮かべていた笑顔が、やけに頭にこびりついた。



* * *



学校が終わった昼過ぎ。


俺が向かった先は──…


「……来てくれたんですね」


彼女が待つ、駅ビルの観覧車乗り場だった。


どうして俺がこんな選択をしたのか、なんて自分でも理解できなくて返事を返せずにいると、


「ありがとうございます」


そう言って口元を緩めたあと、これ、と俺に手を差し出した。


そこには、観覧車のチケットが用意されていた。

おもむろにそれを受け取りながら、


「……最初から俺が来るって思ってたってことか」


少し毒づいたことを言うと、違いますよ、と首を振った。


「三上くんが来るか来ないか分からなかったけれど買ったんです」

「そしたら一枚でいいはずだろ」

「…最後に乗りたかったんです」


短く言葉を切ったあと、


「どうしても、観覧車に」


悲しそうに嬉しそうに、笑った。


俺が来なければ一人でも乗るつもりだったらしい。


「…なに。ここにそんなに思い入れでもあんの?」

「いえ、ほんとは遊園地に行きたかったんです。でも、少し遠いから」


確かに、遊園地はここからだと電車で片道四〇分近くかかる。


なるほど、だからここを選んだのか。


「それより、ほんとによかったんですか?」

「なにが」

「その、一緒に観覧車に乗ってくれるなんて……」


申し訳なさそうに顔を俯かせる。


「できることなら避けたかったんだけど」


──そうだ。できることなら、乗りたくはなかった。


咲良のためにも。


けれど、


「あれが最後の別れなんて、違和感ありすぎだろ」

「…え?」

「今まで散々助けられてきたのに、最後は突き放すなんて人としてどうかしてるって話」

「三上くん……」


眉尻を下げて戸惑っている様子。


あー、もうめんどくさい。


「ほら、乗るんだろ」


魅音ちゃんの手からチケットを奪うと、二枚、店員に渡した。


「お客様、二枚様ですね。こちらへどうぞ」


促されるまま足を進めた。


「…あの、ほんとによかったんですか?」


コソッと耳打ちをされる。


「だから、俺がいいっつってんだろ」


つーか、ここまで来てやっぱり止めます、なんてできないから。


「お客様、お足元気をつけながらお乗りください」


観覧車のドアが開かれて、俺から先に乗り込むと、次に魅音ちゃんも乗り込んだ。


そしてバタンッと施錠された。


チラッと外へと視線を向ければ、並んでいる人たちは、ほとんどがカップルだった。


楽しそうに、笑顔を浮かべて。


「……周りから見れば俺たちどんな関係に見えてるんだろうな」


ボソッと小声でそんなことを呟いた。


「え?」

「──いや、なんでもない」


こんなこと、今言うべきじゃないか。


だってそれを聞かれていたら、きっと彼女は自分を責めるだろう。落ち込むだろう。


最後の願いといって、観覧車に乗ることを願った。

それを悲しい思い出にさせるのはさすがの俺も気が引けた。


「それにしても、高いな」


窓から外を眺めれば、いつもの日常よりもはるか高くにいて、地上よりも空の方が近く見える。


「ここ、駅ビルの最上階にあるからかなり高いですよね。でも、そのおかげで夜景が綺麗だって言ってましたよ」

「夜景、ね」


まあ、確かに昼間に観覧車に乗っても感動は少し薄いかもしれない。


「でも、私はこの時間でもすごく嬉しいです」


口元を緩めて窓の外を眺めたあと、


「だって三上くんと観覧車に乗れるの、きっとこれが最後だから」


悲しそうに嬉しそうに、笑った。


視線を、俺に移すと、


「観覧車が一周する時間は、十五分なんですよ」

「…知ってる」

「その十五分が、私にとってはかけがえのない大切な宝物になります」

「大袈裟すぎるだろ」


笑い飛ばすと、いえ、と首を振った。


「三上くんが、密室嫌なのは重々承知なんですけど。なんか、今だけは私だけの三上くんのように思えてしまって」

「……なにそれ」


目を細めていると、「あっ!」といきなり立ち上がって、


「誤解しないでくださいね! 彼女さんから奪ってやろうなんて思ってませんよ!」


慌てて言葉を取り繕うが、観覧車が揺れてそれどころじゃなくなった俺は。


「いきなり立ち上がるな!」

「で、でも…」

「揺れると危ないからとりあえず座れ」


怒ったように告げると、しゅんと落ち込んだ彼女は、すみません、と椅子に腰を下ろす。


揺れがおさまったのを確認する。


「それで、さっきはなんであんなこと言ったんだよ」


窓の外に目を向けながら、少しムスッとした声で尋ねると、


「まだ、この現実を受け入れられてないんです」


口元を緩めて笑った。


「……は?」

「今までは遠くで見つめているだけの関係だったのに、観覧車に乗れてるなんて。それが私にはまるで夢心地のようなんです」

「夢心地?」

「はい」


返事をしたあと、目を伏せた彼女は、


「今日、三上くんが来てくれるなんて思ってませんでした。だから私、今すごくふわふわしてるんです。気持ちが」

「…でも、チケットもってただろ」

「ですからそれは来ても来なくても一人で乗ろうと思ったんです」

「二回も一人でか」

「はい、そうですよ。もう、やけっぱちです」


おかしそうに笑った。


一人で二回も乗るなんて、


「……ぼっちで痛いやつだと思われるぞ」

「それでも構いませんよ。だって私、ここへ来るのは今日で最後ですから」

「は?」


“──最後”?


なんだそれ。


「でも、三上くんは来てくれました」

「…ただの気まぐれだし」

「はい。それでも構いません。だけど、そのおかげで痛いやつにならずにすみました。ありがとうございます」


嬉しそうに声を弾ませるから、


「…べつに」


俺は、少しから回る。


魅音ちゃんといると、なんか調子が狂うんだ。


「三上くん、見てください!」


声を上げる彼女の方へ視線を向ければ、窓の外に指を差しながら目をキラキラさせて。


「ここからだといろんな景色見えますね! 人なんてこーんな小さく見えますよ!」

「……そりゃこんだけ離れてたらそうなるだろ」

「ビルもたくさんあって、なんか輝いて見えますよ!」


まるで初めて観覧車に乗った小さな子どものようだ。


「──あっ!」


反対側の窓の外を眺めると、突然声を上げて、俺を見る。


「三上くん見てください。あっちの方は私たちの学校がある方向ですよ」


とりわけ笑顔に振る舞うから、


「なんか、子どもみてえだな」


思わず口をついて出た。


フッと口元を緩めて笑うと、


「……な、なんですか。観覧車乗るの好きなんだからしょうがないじゃないですか」


顔を真っ赤に染めて、フイッと視線を逸らす。


ああ、なんか。

──咲良みたいだ。


瞬間、そんなことを思った。


けれど、そんなはずはない。

だって彼女の咲良は……


「そんなしょげてないで景色もっと楽しめよ。あと半分とちょっとしかないんだぞ」


重ねた姿を振り払いながら、声を落とすと、


「……だって、三上くんが意地悪なこと言うから」


唇を尖らせながら、そんなことを呟いた。


「べつに。ほんとのことを言ったまでだろ」

「だって観覧車乗ったらなんかワクワクしませんか」

「ワクワク?」

「はい。身体が軽くなって空に浮いてるような気分になるし、この景色見てると嫌なこと全部忘れちゃう」


おもむろに窓の外に目を向けて、


「──ほんとに全部、忘れちゃいそう」


悲しそうに嬉しそうに笑いながら、もう一度、同じ言葉を繰り返す。


その纏う空気が、表情が、なんかいつもと少しだけ違うように感じて、


「……なんか嫌なことでもあんの?」


思わずもれた言葉。


「──え?」


少し驚いた表情を浮かべて、こちらを向いた彼女の瞳とぶつかった。


「今すげえ考えてたっぽいじゃん。だから、なんかあんのかなあと思って」


逸らさず、目を真っ直ぐ見つめていると、


「なにもないですよ! ほんとに、なにも。ただ、今のは例えですからあまりお気になさらず」


笑って答えたあと、また窓に手をついて外を眺めた。


なにもない、と答えたなら。ほんとになにもないんだろうな。


「──あっ、もうすぐ頂上ですね!」


なんの脈絡もなく落とされた言葉に、ああ、と適当に相槌を打つ。


「恋人だったらキスするんですよね」

「……だったらな」

「私、三上くんのこと好きだからほんとはこのままキスしちゃいたいんですけど」

「…は?」


困惑した声をもらすと、


「なーんて冗談ですよ」


クスッと笑った。


「でも私、ずっと憧れだったんです。観覧車の頂上で好きな人とキスするの。だけど、それは当分お預けのようですね」


残念です、と続けるタイミングで頂上にたどりつく。


瞬間、記憶が手繰り寄せられる。


咲良との思い出が。


遊園地の観覧車の頂上で、初めてキスをしたあの日のことを。


「つかぬことをお聞きしていいですか?」


意識を現実へ戻せば、そんなことを尋ねられる。


「……なに」

「三上くんは、キスしたことあるんですか?」

「──は?!」

「あれ、てっきりもうしてるのかと思っていたんですけど。その驚きようは、まだしてないんですか?」


咲良とは、観覧車のキス以外にも毎日彼女を家まで送り届けたあと、頬にキスをしてくれた。


だからゼロではない、けれど。


あれは咲良と俺だけの、二人だけの大切な思い出だから。


「……教えてやんない」

「えー、ここは言うタイミングじゃありませんか!」

「そんなことペラペラしゃべるわけないだろ」

「じゃあキスした前提で聞いてもいいですか?」


なんて言うから、「はぁ?」と呆れた声がもれる。


「なにバカなこと言ってんだよ。それ答えたら肯定したようなものだろ」


窓の外に目を向けて、脱力したようにハアーっとため息をつくと、


「三上くんケチですね! ケチ!」


なんていちゃもんつけるものだから。


「勝手に言ってろ」


そう告げて、口をつぐんだ。

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