第十九話 色鮮やかな折り鶴



「三上くーん!」


元気な声をあげながら廊下を駆けて来る魅音ちゃんは、白い紙袋を持っていた。


あともう少しでたどりつく手前で、つま先が引っかかって、「うわっ」と声をあげると、まるでスローモーションのように、身体が前のめりになる。


倒れるのは、あっという間のことで。


バターンっ──、音をたてると、床に散乱する紙袋の中身。

それは、小さくて色鮮やかな折り鶴だった。


「いてててて……」


起き上がりながら、膝をさする。


「大丈夫?」

「あ、はい。なんとか…」


笑うけれど、膝が少しだけ赤くなっていた。


かがんで散乱した折り鶴を紙袋の中に直していくと、


「せっかくの折り鶴なのにすみません」

「いや、べつに壊れてるわけじゃないんだし」

「で、でも…」

「つーか、なんでこんなの持ち運んでるんだよ」


折り鶴を掴みながら、意識だけを魅音ちゃんへ向ける。


「だって三上くんに早く教えたかったので」

「教える? なにを」

「…作り終えたんです。五〇〇羽」

「──は?」


手を止めて視線を彼女へ向ければ、


「なんとか全部作り終えることができたんです。だって絶対に三上くんに負けたくなかったので」


あまりにもこの状況に不似合いな言葉を落としたから、「は?」と思わず気の抜けた声がもれる。


「たまに仮病を使って保健室で折ったりしてたんです。…あっ、でも三回くらいしか仮病使ってませんからね!?」


慌てたように言葉を取り繕う。


いや、つーか、


「……仮病まで使ってんのかよ」


呆れたように、フッと笑うと、


「だ、だってどうしても負けたくなかったんだもん!!」

「だもんってガキかよ。つーか、俺に負けたくなかったってなんで決めつけてるんだよ」

「え、だってまだ作り終えてないですよね」

「……そりゃ、そーだけど」


あんな意気込んでたのに負けるとか、ちょっと恥ずかしくて顔を逸らす。


「だから言ったじゃありませんか。私、すっごく手先が器用だって」

「誰かさんが姑息なマネしてなければ俺が勝ってたから」

「姑息って…! それ私のこと言ってるんですか?!」

「へえ、自分でもよく分かってんじゃん」


彼女へと視線を戻せば、魅音ちゃんは、もうーっ、と頬を膨らませたあと、


「三上くんって意外と意地悪なんですね!」


不貞腐れたように言い放つと、散乱していた折り鶴を拾い集めた。


“意地悪”


そのワードで、また咲良のことを思い出す。


懐かしい懐かしい記憶。


「三上くん、どうかしましたか?」


魅音ちゃんの声にハッとすると、俺を心配そうに見つめる瞳とぶつかった。


「あ、いや、なんでもない」


顔を逸らすと、折り鶴を拾った。


「それより、なんでこれわざわざ持ってきたんだよ」


話を逸らすと、え、と肩をビクつかせた彼女。

途端に顔を真っ赤にさせて、


「そ、それは三上くんに教えたかったってのもあるんですけど…」


照れくさそうにモゴモゴと口ごもった。


「けど、なに」

「……その、放課後一緒に完成させたいなぁと思ったので」

「は?」

「あ、いや! 今のは決して下心があるわけじゃなくて、少しでも彼女さんに渡せる日が早い方がいいかと思って」


なんて男が言うような言い訳を言ったものだから、あまりにもおかしくて、


「いや、まあそうだけど」


思わず、笑った。


「ど、どうして笑うんですか?」

「なんか魅音ちゃんがおかしくて」

「私が?」

「だって、下心があるわけじゃないとか、ふつー男が言うような言い訳じゃん。なのに女である魅音ちゃんが言うのが違和感しかなくて」

「え、あっ……」


カァッと顔を赤くすると、


「確かに少し前までの私なら下心ばかりだったと思います。でも、今はほんとに違いますよ! 三上くんのために何かできたらと思っているだけで…」


多分、彼女が言うことは嘘ではないんだろう。

それを疑っているわけではない。


けれど、その前に、


「俺、まだ五〇〇作り終えてないんだけど」

「──え?」

「だから、まだ終わってないって」

「じゃあ、今いくつなんですか?」

「……四七〇」


勝つとか豪語してたやつが完敗じゃねえか。ほんと、情けねえ……


「え、じゃああと少しですね! 一緒にしたら今日中に終わりますよ!」

「……は?」

「私も手伝いますので放課後までに完成させましょう!」


折り鶴を紙袋に入れ終えると、立ち上がってスカートをパンパンッとはたく。


「いや、ちょっと待て」

「どうしたんですか?」

「自分の分は自分でどうにかするから」

「え、でも…」

「マジで大丈夫だから」


彼女のためにしてあげられるのは、これくらいしかないんだ。

ここまできたら最後まで作り終えたい。


「分かりました。じゃあ、お手伝いするのは諦めます」


その代わり、と続けると、


「放課後少しだけ三上くんの時間をもらえませんか。なんとしても今日中に完成させてあげたいんです」


力強く、そう告げた。


「なんでそこまで…」

「だって三上くんと約束した期限が近づいているので」

「あ、ああ…」


そういえば、告白されたときに一ヶ月という約束をしたんだったっけ。


「なので、今日放課後一緒にいることを許してもらえないでしょうか?」


なぜ魅音ちゃんがここまで言うのか理由を知っている俺は、


「…分かった」


そう答えるしかなかった。


「じゃあ、放課後三上くんの教室に行きますね」


言ったあと、俺に紙袋を突き出して、


「これ、三上くんに預けます」


そう言われたら受け取らないわけにはいかなくて、渋々受け取った。


彼女は、嬉しそうに悲しそうに顔を緩めた。


なんだか、その表情が胸を締めつけた。



* * *



「お、おじゃまします…」


誰もいなくなった放課後の教室に、初めて魅音ちゃんが足を踏み入れた。


俺はそれを横目でチラッと見ながら、鶴を折り続ける。


「三上くんの席そこなんですね。授業中寝てても全然バレませんね」


ふふふっと笑ったあと、俺の席の前で立ち止まり、窓際の方を指さすと、


「私は、窓際の前から三番目なので寝ちゃったらすぐにバレるんですよね。この前は危うく鶴折ってるのバレるかと思って焦りました」

「魅音ちゃんは勉強に専念してた方がいいんじゃねえの」

「あっ! それ私がバカだって言いたいんですね?!」

「……べつにそんな言ってないだろ」

「確かに頭は少し弱いですけど、少しよそ見するくらい私でも平気です!」


手を止めて見上げれば、彼女はむうっと頬を膨らませていた。


なんかそれが、まるで咲良の姿と重なった。


「リスみてえだな」


思わず口をついて出た。


「リス?!」

「どんぐり口いっぱいに頬張ってるみたい」


そう言うと、え、と困惑した声をもらしたあと、


「…それ、可愛くないってことですか?」

「べつにそんなこと言ってないだろ」

「じゃあ可愛いですか?」

「──は?」

「どっちですか!」


なんて理不尽に詰め寄られるから、


「…一般的には可愛いんじゃねえの」


そう声を落とした。


「可愛いですか……」


言いながら照れくさそうにしながらも、嬉しそうに頬を染めているから、


「つーか千羽鶴完成させるんじゃなかったのかよ」


少し強めに声を張ると、ハッとした彼女は、そうですね、と目の前の席に座る。


「私は紐に鶴を通していきますので、三上くんはそのまま鶴を折り続けてください」

「分かった」


返事をして手元へ視線を落とすと、


「あ、ちなみにあといくつで終わりますか?」

「あと十個くらい」

「分かりました」


そう答えると、かばんの中から長い紐を取り出すと器用に結んで鶴を通していく。



それからしばらく静寂な時間が過ぎた。


言葉は何もない。その代わりに、折り紙を折る音と鶴を紐に通していくわずかな音だけが教室に響いた。


ぐううう〜。


ふいに、聞こえた音に手を止めて目線を上げると、


「…今の聞かれちゃいました?」

「ああ。ばっちりな」


どうやら今のは魅音ちゃんのお腹の音らしい。


「うわ〜、最悪……っ」


突然立ち上がると、恥ずかしそうに窓の方へ逃げた。


なんの脈絡もなく鳴った音に気が抜けた俺は、フッと、口元が緩んだ。


「べつに腹の音聞かれたくらい気にすることないだろ」

「いーえ、気にするんです! しかもそれが好きな人の前ならなおさらです!」


豪語されたので、呆気に取られていると、


「お腹の音を聞かれたなんて…もう、お嫁にいけない……」

「そんなの大袈裟だろ」

「三上くんが男の子だからそう思うんです! 女の子はとっても繊細なんですよ」


ムキになる彼女を見ながら「繊細ねえ……」と思わず声がもれた。


「あっ、ひどい! その顔は信じてませんね!」

「だって魅音ちゃんが…」


繊細とは思えない。なんなら真逆の猪突猛進タイプに見える、とは言えずにのどまで出かかった言葉を飲み込んで、


「女の子って分からないもんだな」


言葉を切り替えた。


「今、何か言い換えませんでしたか?」

「……そんなわけないだろ」


鶴を折る手を止めると、かばんの中からアレを取り出した。


「それ、食えば」

「え?」

「まあ、腹の足しにはならないかもしんないけど」


いちご味ののど飴を机に袋ごと置いた。


どうせ、ほとんど減らないし。

だって、クセで持って来てるようなものだから。


「……いいんですか?」


恥ずかしそうにチラチラ見ながら言われるから、また手元に目線を落として「どーぞ」と声をかけると、


「…ありがとうございます」


嬉しそうに声を落として、のど飴を一粒掴んだ。


折り続けていると、んーおいしい、と声をこぼし、


「実は私もこれにハマっちゃいました。それにいちご味ののど飴ってなんか珍しいですよね」

「あー、まあ、確かにあんま見ないよな」

「これどこでも売ってるんですか?」

「さぁ、どうだったかな。俺はいつも学校来る途中のコンビニしか寄らないから分からないけど、他の店にも売ってるんじゃない」


言ったあと、寒気が襲ってくしゃみが出た。


「あー、さむっ…」


授業中はわずかだが暖房が入っているけれど、放課後になると切られるから今教室は思っている以上に寒い。


「三上くん大丈夫ですか? 私のカイロあげましょうか?」

「いや、それだと魅音ちゃんが寒くなんだろ」

「いえ、私二つ持ち歩いてるので大丈夫ですよ」


スカートのポケットからカイロを一つ取り出すと、どうぞ、と手渡される。

本来ならここで断るべきだけれど、あまりの寒さに手がかじかんでくるから、


「悪い。ちょっと借りるな」


それを掴むと、両手で包み込んだ。


「いえ、それもらっていいですよ」

「なんで。それだと帰り寒いだろ」

「私は大丈夫です」


それよりも、と続けると、


「三上くん今日病院行くんですよね。だったらなおさらそれあげます。外、すごく寒いですから」

「それは魅音ちゃんもだろ」

「私は家近いので問題ありませんよ!」


そう言うと、鶴を紐に通していく。慣れた手つきで。

この前器用だと言ったそれは、あながち間違いではないと思った。


「それより」言いかけて、ふいに手を止めると、


「なんかこういうの楽しいですね!」


大雑把に“こういうの”で一括りにした彼女の言葉に、「は?」と声をもらすと、


「だって私、三上くんとクラスかなり離れてるから体育だって一緒じゃないですし、こうやって同じ教室にいるのがまずないじゃないですか」

「…あー、まぁな」

「だからクラスメイトごっこみたいな感じですごくわくわくします。ね!」

「ね、って俺に意見求められても」


いつも以上によくしゃべる彼女は、言葉通りに楽しそうで。


「なんか私、夢みたいです」

「なんで」

「だって告白する前までは、一方的に三上くんのことを目で追っていただけなんですけど。だから、まさか三上くんとこうしてお話できるようになるなんて思ってもいませんでした」


なんて淡々と言葉を並べるから、


「俺だって告白されるなんて思ってもいなかったよ」


嫌味っぽく告げると、そうですね、と笑った。


「──あ、そうだ!」


ポンッと手を叩くと、


「同じ教室になれたって記念に、クラスメイトごっこしませんか?」

「はぁ?」

「それとも偶然ここを訪れた先輩後輩の関係でもしてみます?」

「やだよ、めんどくせえ」


一も二も切り捨てて、また作業に戻る。


「めんどくさいなんてひどいです! せめてクラスメイトごっこしましょうよ」


なかなか諦めないから、「あのさぁ…」と痺れを切らした俺は手を止めて、


「下心ないんじゃなかったっけ」


苛立ちをあらわにさせる。


すると、ハッとした彼女は「…あっ」と口元に手を当てた。


「そうでしたよね。私ってば、三上くんの教室に来れた嬉しさから暴走しちゃってました。すみません」


急にしおらしくなるから、俺も言い過ぎたと思って、


「いや、俺の方こそ悪い」

「え、なんで三上くんが謝るんですか?」

「だってこれ手伝ってもらってるわけじゃん。どう考えても俺一人ではできなかったし、考えつかなかったし」

「いえ、いいんです。手伝うと言ったのは私ですし、三上くんが気にする必要なんてありません!」


笑って言ったあと、それより、と続けると、


「あの水色の鶴持ってますか?」


突然そんなことを尋ねられて、「は?」と声をもらす。


「え、もしかして捨てちゃいました?!」


あー、あの鶴か。


確か、かばんの中に入れっぱなしになってるよな。


「ちゃんと持ってるよ」

「…そうですか」


ホッと胸を撫で下ろすと、


「ちゃんと御守りとして持っておいてくださいね」


弱々しい声で懇願した。

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