第十七話 ピンク色の御守り



駅で魅音ちゃんと別れたあと、病院へと足を進めた。


病室の前でドアをノックすると、はいどうぞ、と声がする。

それを確認して、深呼吸をしてからドアを開けた。


「こんにちは」

「あら、洸太くん。今日は早かったのね」

「はい。今日は学校が昼までだったので」

「あら、そうなの? 早く学校終わったのにわざわざ来てもらってありがとねえ」


おもむろに立ち上がって、俺の分の椅子を隣へと置いた。


「立ちっぱなしは疲れるから座りなさい」

「あ、はい。ありがとうございます」


緊張した面持ちで腰掛けると、


「今日もねえ、この子変わらずなのよ。なんだかほんとに寝てるみたいよね」


おばさんの声を聞きながら、咲良に視線を向けると、相変わらず酸素マスクをつけたまま目を瞑っている。


ほんとに眠ってるみたいだ。


「全然、反応とかはないですか?」

「ええ、そうね。意識が戻っていないから仕方ないのかもしれないけれど、ピクりともしないの」

「…そうですか」


この前持ってきた花は効果なかったのかな。


例え意識がなくても匂いはしてるはずなんだけどな…


「先生が言うには、手を握りながらたくさん声をかけてあげてくださいって。そしたら反応があるかもしれないっておっしゃったの」


そう言いながら、咲良の手を握ったおばさん。


「でも、なかなかうまくはいかないわ。この子に声が届いているのかどうか…」


なんだかいつもより弱気なおばさんは、少し前までの俺みたいで。

もしかしたら今まで一人でいたときも、こうして落ち込んでいたのかもしれない。


「おばさん……」


声をかけてあげたいのに言葉がのどの奥から出てこなくて、


「あら、私ったら辛気臭い顔してやーねえ」


俺に気を使って笑った。

まるで、傷ついた顔をして。


「私が落ち込んでたらこの子にも気持ち伝わっちゃうかもしれないもんね。私が一番、しっかりしなくちゃいけないのに」


笑顔を絶やさないようにと言葉を取り繕うから、


「おばさん、あんまり自分のこと責めないでください」


まるで自分を見ているようだった。


ふいに、かばんの中から小さな袋を取り出すと、「これ」とおばさんに差し出した。


「え、咲良に?」


困惑しながら、袋の中を確認すると、あらこれ、と御守りを取り出した。


「清盛神社ってところが生命力を向上させると言い伝えがあるみたいで、そこに行って買って来ました」

「まあ、わざわざ咲良のために…」


悲しそうに嬉しそうに笑った。


「俺、何も力になってあげられてないのでそれくらいしかしてあげられないんですけど」


無事を祈って、そして神様に願うことしかできない。


「ううん。そんなことないわ。きっと、この子にも伝わっているはずよ」


口元を緩ませると、御守りを彼女の枕元に静かに置いた。


彼女の手を握りながら、


「ありがとうね」


わずかに肩を震わせているようだった。


だから俺は、言ってあげたくなった。


「咲良なら、きっと大丈夫です」

「──え?」


例え、それに何も根拠がないとしても。


「きっと今、必死に暗いトンネルから抜け出そうとしているんだと思います。ただ、真っ暗すぎて出口が見えないだけで、俺たちの声を元に走ってるに違いないと思います。だから…」


その先の言葉がなかなか出てこなくて、詰まっていると、


「ええ、そうね。きっと、そうに違いないわね」


口元を緩めた、おばさん。


「この子、少しだけ方向音痴なところがあったからそれでトンネルの出口を見失っている可能性もあるわね」

「そうかもしれませんね」

「それに、洸太くんが御守りもくれたんですもの。きっとそのパワーが、この子に届いていると思うわ」


その御守りを咲良の枕元に置いて、おもむろに俺の方へ視線を向けた。


「洸太くん、ほんとにありがとう。あなたには感謝してもしきれないほど、助けられているわ」

「いえ、俺なんてそんな…」


一度は怖くなって逃げてしまった俺が、感謝されるようなやつなんかではない。


「私はこの子を見守っているだけしかできなかった。でも洸太くんは、この子のために行動してくれたわ」


そんなヒーローなんてものじゃない。


だって俺も、


「俺も同じですよ」

「え?」

「少し前まではお見舞いに来ることしかできませんでした。何も力がなくて弱くて、咲良を守ることだってできなかった」

「洸太くん……」

「でも、一度逃げてしまって思ったんです」


忘れていたことを思い出した。


それは、一番最初の気持ちで。


「俺から咲良をとったら俺には何も残らないんだって」


恥ずかしいとか羞恥心みたいなものは、どこかに置いてきた。


「俺には咲良が全てだったんです。一番大切な人で…」


だから、と拳を握りしめると、


「一度咲良のそばを離れたことを後悔してます。どうしてあのとき俺は、逃げてしまったんだろうって。なんで咲良を一人にしてしまったんだろうって」

「それは私があんなことを言ったから洸太くんが自分を責める必要はないのよ」

「それでも、俺は、あのときの自分を許せないんです」


例え、その時間が一時的なものだったとしても逃げてしまったことに変わりはないから。


「許せないからこそ、次は二度と咲良のそばを離れたくないんです。逃げたくないんです。俺にできることならどんなことでもしてあげたいって思うんです」


溢れた感情は、最後まで言い終えると、なに自分だけ熱くなってるんだ、と途端に恥ずかしくなった。


「そう…そうだったのね」


ポツリと声をもらしながら、咲良へと視線を移したおばさんは、


「この子はとても大切に思われているのね。そんなことも知らずにずっと眠ったままなんて、この子少し意地悪ね」


おかしそうに言いながら、咲良の手を撫でた。


“意地悪”という言葉で記憶が手繰り寄せられる。


それは、俺が顔を真っ赤にした咲良を見たいからと、意地悪なことを言ったことだ。


もしかすると、それの仕返しを今しているということなのか?


そんなありえない空想が頭をよぎった。


だから俺も、


「意地悪ですよね」


おばさんの言葉にのっかった。


そうよね、と笑ったあと、


「こんなに思ってくれる彼氏をほったらかしにしているなんて。グズグズしていると女の子にとられちゃうわよ」


咲良の手を撫でながら、そんなことを言った。


「いえ、俺なんて全然…」


モテません、と言おうと思ったけれど、瞬間、魅音ちゃんの顔が浮かんだ。

そういえば俺、告白されたんだったよな。


「洸太くんどうかした?」

「あ、いえ」


首を振ったあと、気を取り直して、


「早く咲良に目を覚ましてもらわないと困りますね」


そう告げると、あら、と口元に手を当てたおばさんは、


「それじゃあやっぱり高校ではモテモテなのね。だってこんなにいい男の子ですもの。他の子が放ってはおかないわよね」


彼女のお母さんとそんな話をするなんて思ってもいなかった俺は、内心タジタジだった。

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