第十三話 一歩前へ
日曜日の昼。
この日は、いつもより寒くて雪がちらついていた。
「三上くん、こんにちは」
ベンチでへたり込んでいると、頭上から聞き覚えのある声がした。おもむろに顔をあげると、
「なんでいんの」
そこにはマフラーで口元を覆っていた魅音ちゃんが微笑んでいた。
学校が休みの今日、こんな偶然に会うことなんて不可能に近いのに。
「休みの日でも三上くんに会いたくなったので」
「…は?」
「というのは冗談で、もしかしたら三上くんがここにいるんじゃないかと思ったので」
言いながら、俺の隣へ座った。
嫌味を通り越して尊敬とすら思った俺は、
「よく分かったな」
「はい。三上くんのことならなんでも知ってますよ」
「…あっそ」
恥ずかしげもなくそんなことを言うから、こっちが恥ずかしくなって、そっぽを向いた。
冗談なのか本気なのかよく分からない。
ふいに彼女が少し身を乗り出して、「それ」と俺の隣に置いてあるものに指を指す。
「彼女さんへのお花ですか?」
尋ねられて、
「え、あー、まあ…」
言葉を濁す。
だって、できることなら触れられたくなかったから。
「もしかしてお見舞いに行くつもりだったんじゃないですか?」
そう尋ねられるけれど、言葉が出てこない。
弱い俺はベンチから一歩も足が動かない。代わりに見上げて、病室の窓を眺めることしかできていない。
「やっぱり怖いですか?」
図星をつかれたけれど、彼女に弱味を握られるのが嫌だと思った俺は、ちげえよ、と乱暴に答えると、
「ただ、休憩してただけだっつーの」
強がって見せた。
けれど、そんなこと彼女にはバレバレだったようで、
「素直じゃありませんね。まるで天邪鬼みたいです」
「…ほっとけ」
恥ずかしくなった俺は、顔を逸らした。
「三上くんかなり長い時間、ここにいたんですね」
「なんで」
「だって鼻もすごく赤くなってますよ。おまけに手だって霜焼けみたいになってます」
こんな寒い中、手袋をしてこなかったのはなぜだろう。
そんなふうに思っているに違いない。
「カイロ貸しましょうか?」
ふいに、ポケットから取り出したそれを俺に渡そうと手を伸ばす。
「いや、いい」
俺はそれを断った。
だって、
「また俺のせいで風邪ひかれても困るし」
「で、ですからそれは三上くんの責任じゃありませんって何度言えば…!」
「うん。でも女の子は身体冷やしたらダメだから。それ、持ってて」
そう答えると、分かりました、と渋々カイロをポケットにしまった。
「三上くん、ほんとに彼女さん思いですね」
なんの脈絡もなく落ちた言葉に、え、と困惑していると、
「だって休みの日も欠かさずここまで来ているのでしょう。すぐに帰ることだってできるのに、ここで長い時間悩んでいるのは三上くんが彼女さん思いだってことですよ」
まるでここ数日の俺を見ていたかのような言葉が淡々と告げられて、俺は薄ら寒いものを感じた。
「…なんで、そんなこと知ってんだよ」
「え?」
「もしかしてストーカーでもしてんの」
冷たい風がさらに気味悪さを増幅させていると、
「違いますよ!」
慌てた彼女はベンチから立ち上がる。
「私、ここの近くにおばあちゃん家があるので、それでたまに寄ってるんです。それで偶然何度か三上くんをお見かけしたことがあるというだけで…」
まくし立てるように言葉が並んだ。
「ほんとかよ」
「ほんとです! 信じてください!」
切羽詰まったように彼女が詰め寄るから、
「わ、わかったから離れろって」
「え? …あっ、すみません!」
顔の近さに驚くと、顔を真っ赤にさせて素早く後ずさった。
「ですから、ストーカーではなく、おばあちゃん家に行こうかなと思って」
「嘘つけ。さっき俺がここにいるかもしれないって言ってたろ」
数分前自分で言った言葉を忘れて自らアリバイを失った彼女は、
「あっ、えと、その…っ」
案の定、テンパった。
まるで壊れたロボットのように途切れた言葉を紡いだあと、
「……怒りませんか?」
ビクビクしながら、俺に尋ねた。
内容にもよるけど、と言葉がのどまで出かかったけれどそれを飲み込んで、
「怒んねえよ」
代わりに言葉を落とす。
すると、ホッと安堵した彼女はわずかに肩の力を抜いて、実は、と口を開いて、
「学校にプリントを取りに行こうとしていたとき、学校近くの花屋さんで三上くんを見つけたんです。声をかけようと思ったんですけど、すごく悩んでいるみたいだったから声はかけられなくて。それでどうしたのかなって気になって…」
淡々と言葉を並べた彼女の横顔を、ぼんやりと見つめながら、確かに感じた違和感。
学校に用事があった彼女が花屋で俺を見つけて。そのあとは…?
「やっぱ、あとつけたってことだろ」
どう聞いても、有罪だ。
それなのに彼女は、
「で、ですからその言い方はちょっと語弊があります! それじゃあまるで私がストーカーしたみたいじゃないですか!」
慌てたように言葉を取り繕う。
「どう違うって言うんだよ。さっきのおばあちゃん家っつーのもどうせ嘘なんだろ?」
「それはほんとですよ! この前は、ほんとにおばあちゃん家行くときにたまたまここで三上くんを見かけましたし」
そう告げた彼女は気づいていないようなので、「この前は?」とカマをかけると、
「えーっと、それは言葉のあやです!」
取り乱したように立ち上がって荒々しく息を吐く。
「どう違うんだよ。もうほぼ、有罪だろ」
なんて毒ついてみると、「ええ…!」と顔を歪めて声をあげたあと、
「私、有罪になんてなりたくありません! ただ、三上くんの背中を少し押してあげたかっただけなのに」
今度しゅんと落ち込んだ。
「──は? 背中?」
はい、と頷いたあと、
「お花買ってたから」
そう告げると、口元を緩めた彼女は、また座り直して、
「お花ってお見舞いの品にとてもいいんですよ。もちろん綺麗っていうのもあるんですけど、一つは匂いも効果的なんです」
「匂い?」
わけが分からなくて尋ねると、
「知ってますか。意識がない人でも、生前嗅いだことのある匂いは頭がしっかり覚えているんです。だから、それが目を覚ますきっかけになる可能性だってあるんですよ」
「──は?」
目を覚ます……?
「え、もしかして三上くん知らなかったんですか?」
「知らないっつーか」
お見舞いに花を持っていくのが決まりみたいなものになってるから、そこまで考えたことないし。
「そんなこと初めて聞いた」
「あれ、そうだったんですか?」
「うん」
そんなこと知ってたら毎日でも花を届けに行ったかもしれないのに。
「じゃあなおさらです」
笑って告げたあと、
「だから早くそのお花、持って行ってあげた方がいいんじゃないですか」
と、病室の方へ視線を向けた。
俺もそれを追うように視線を向けると、小さな雪が視界を流れてゆく。
まるでそれは、桜吹雪のように。
瞬間、懐かしい記憶が手繰り寄せられる。
咲良がまだ元気だった頃。あれはまだ十月のとき、『春になったら花見をしよう』と言った。
咲良は春が一番好きで、もうすぐやってくる春を楽しみにしていた。
きっと今だって、意識はなくても覚えてくれているはずだと──…
「そうだな」
呟いて、花を掴むと立ち上がる。
「三上くん?」
「魅音ちゃんが言う、その可能性に賭けてみる」
「え?」
だって、ここにいても何も始まらないんだ。
例え、それが1%の可能性だとしても俺はそれに賭けてみたい。
「ありがとな」
思わず口をついて出た。
◇
それからやって来た病室前。彼女のプレートを見つめて、ふう、と息を吐いたあと、ゆっくりとノックをする。
「はい、どうぞ」
中からおばさんの声がしたのを確認すると、ドアをスライドさせた。
すると俺の顔を見て驚いたおばさんは、「洸太くん…」と声をもらしながら目を見開いた。
「…お久しぶりです」
躊躇いがちに声をかけると、
「ええ、そうね。一週間ぶりくらいかしら」
悲しそうに顔を緩めた。
俺は、しばらくそこから動けないでいると、
「入らないの?」
「え、ああ…」
挙動不審になりながら病室へ足を進める。
まだ一週間くらいしか来ていなかったのに、もっと長い時間が過ぎているようなそんな気がした。
「今日はどうしたの?」
優しい声色で尋ねられると、話しだそうと思って口を開くけれど、持っていた紙袋を思い出して、
「あの、咲良にこれを渡したくて」
紙袋ごと、おばさんに手渡す。
静かに受け取ると、何かしら、言いながら袋の中を覗いた。
「まあ、綺麗なお花」
嬉しそうに、そして困惑した表情を浮かべたおばさん。
「咲良が好きだったので」
「そうね。あの子、お花好きだったわね」
紙袋から花だけを取り出すと、サイドテーブルに飾った。
「ありがとう、洸太くん」
「いえ…」
ほんのりと花の良い香りがした。
「それより今日はどうしたのかしら?」
ふいに、尋ねられてどきっと緊張が走る。
そうだ。俺がここへ来たのは、お見舞いの品だけを渡すためだけではない。
「一週間来られなかったのは、ほんとに申し訳ないと思っています」
「いいのよ。私が、あんなこと言ったんだもの。怖くなるのは当然のことよね」
「いえ、俺が…俺が、弱かったから…」
一度は、咲良のそばを離れてしまった。
「洸太くん、いいのよ。だって私が、洸太くんに自分の人生を生きてほしいって言ったんですもの。あなたが自分を責める必要はないわ」
おばさんは優しく声をかけてくれる。
けれど一週間、離れていて実感したことがある。
「あの、またもう一度、どうか咲良のそばにいさせてもらえませんか?」
言って、頭を下げた。
「え、洸太くん?」
「俺、やっぱり咲良のそばにいたいんです。咲良を支えてあげたいんです」
「ち、ちょっと顔をあげてちょうだい」
慌てたように俺の元へ駆け寄ると、
「洸太くんが頭を下げる必要はないのよ」
顔をあげると、少し潤んだ瞳とぶつかった。
いえ、と首を振ったあと、
「俺は、途中で逃げてしまったので、ほんとはここに来ることさえ許されないのかもしれないですが…」
グッと拳を握りしめる。
そして、短く息を切ったあと、
「一度は怖くなって咲良の前から逃げてしまったけど、もう逃げません。例え、どんなことがあったとしても咲良のそばにいてあげたいんです」
咲良がいない人生なんて俺には考えられなかった。
きっとそれは咲良も、同じこと考えてるよな──?
「でも、それだと洸太くんの人生が…」
眉尻を下げて、悲しそうに瞳を揺らす。
「俺が咲良のそばにいてあげたいんです」
「洸太くん……」
「お願いします!」
言って、もう一度頭を下げる。
しばらくして、洸太くん顔をあげて、と優しい声をかけられて顔をあげると、
「ほんとにそれでいいの? 後悔しない?」
真っ直ぐに見据えられた瞳とぶつかった。
俺は、はい、と頷いたあと、
「今、彼女のそばを離れてしまった方が、きっとあとになって後悔すると思うから」
一度離れてしまった俺が言える言葉ではなかったかもしれないけれど。
時間を巻いて戻す方法なんかないのだから。
そう、と呟くと、俺から咲良へと視線を戻して、椅子に座ってそっと手を握ると、
「この子は、こんなに想ってもらえる相手がいてとても幸せ者ね」
優しい声色で、優しい瞳を浮かべる。
そして、手をゆっくりと離すと、
「洸太くん、ありがとう。きっとこの子も嬉しいと思うわ」
小さく頭を下げた。
俺は感謝される人間ではない。
だって、一度は逃げたのだから。
「おばさん……」
思わず声をもらすと、おもむろにゆっくりと顔をあげた。
最後にもう一度聞くわ、そう告げたあと、
「ほんとに、今の返事に後悔しない?」
真っ直ぐ見つめられて、
「はい。もちろんです」
力強く頷いた。
俺は、絶対に咲良のそばを離れない。
次こそは、絶対に。
「例えどんなに時間がかかったとしても、俺はずっと咲良のそばにいます」
そう言うと、「洸太くん」俺の名前を呼んだおばさんは、少しだけ声が震えていて、
「ほんとに、ありがとう」
まるで泣いているように聞こえた。
俺は、胸がたまらなく苦しかった。
泣きたくなった。
「ほんとに、ありがとう…」
震える手のひらで、口元を手で覆った。
俺がいない間、一人で苦しい現実と向き合っていたのだとそう思うと、胸が張り裂けそうな思いだった──。
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