第十一話 彼女のためにできること
「調子どう?」
魅音ちゃんにのど飴を手渡すと、嬉しそうに顔を緩めたあと
「おかげで少し良くなりました!」
手のひらののど飴を見てまた微笑むと、大事そうにポケットの中にしまった。
「なら、よかった」
咳き込むことはなくなった様子を見てホッと安堵する。
「もしかして三上くん心配してくれたんですか?」
少しだけ頬が染まる。
俺は、それに気づかないフリをしながら
「そりゃあ、自分のせいで熱まで出して寝込んだら心配するだろ」
「え、だから三上くんの責任じゃありませんって…! あれは私が勝手にやったことですから!」
慌てたように言葉を紡ぐ彼女。
「とにかくそれはもう忘れてください!」
両手を拳に握りしめて力説されるから、「ああ…」呆気にとられながら頷いた。
「熱い…」
呟きながら頬を触る彼女は、おもむろに窓のカギを下ろして窓をスライドさせる。
瞬間、冷たい風が流れ込んで一気に体温を吸い取られる。
彼女は、ふう、と呼吸を整えながら、
「それより昨日もまた公園に行ったんですか?」
突然話が切り替わるものだから戸惑って一瞬言葉に詰まったけれど、
「…ああ、うん」
頭をかいて壁に背を預ける。
冷たい風が急激に俺の心を冷やしてゆく。
「彼女さん。待っているかもしれませんよ?」
「だとしても……」
「怖くて行けませんか?」
そう告げられて、頷いた。
きっとおばさんはあのあとも毎日お見舞いに行っている。
それなのに俺は、怖いからと逃げたんだ。
「じゃあ私と一緒に考えてみませんか」
なんの突拍子もなくそんなことを告げられて、は、と困惑しながら視線をそちらへ向ければ彼女は笑っていて。
「彼女さんのために今、私たちが何ができるのか一緒に考えてみましょう」
「は? なに言ってんの」
「なにって彼女さんのために最善を尽くしましょうって話ですけど」
淡々と告げられた言葉に「いや、じゃなくて」と頭をかいたあと、
「なんで魅音ちゃんがそこまでする必要があんのかってこと。だって魅音ちゃん、なんも関係ないじゃん」
そうだ。彼女は、何一つ関係ない。
それなのにやたらと正義感に満ち溢れているような言葉ばかりが矢継ぎ早に現れる。
それなのに、
「関係はありますよ」
俺の言葉とは対照的なものを呟いた。
「は?」
俺は、眉間にしわを寄せた。
すると彼女は、おかしそうに口元を緩めながら、「ですから、関係はありますよ」もう一度そう言うと、
「だって私、三上くんのことが好きですから」
この場に、このタイミングに、似合わない言葉を落とした。
ちゃんと会話成立してんのか? そんな疑問が頭をよぎっていると、
「好きな人のために何かをしてあげたいって思うのはふつうのことでしょう?」
「は?」
「あれ、私告白しましたよね? 好きだって」
ポカンとしながら俺を凝視する彼女の視線から逸らしながら、
「そりゃ、まあ、されたけど…」
彼女があまりにも真っ直ぐに言うから、俺の方が少し恥ずかしくなる。
覚えてもらっていてよかったです、なんて言いながら、クスクスと笑ったあと、
「ですから私にとって三上くんは好きな人であり、そしてそんな三上くんのために力になってあげたいってことです」
濁りのない瞳を向けられる。
好きなやつのために力になりたい……?
いや、まてよ。
それよりも。
「……ふつう逆じゃねえ?」
思わず、ついて出た。
「え、逆とは?」
「だから…」
言いかけて口をつぐむ。だってこんなこと恥ずかしくて言いたくないから。
けれど、彼女はポカンとしたまま俺の言葉を待つ。
仕方なくて、はあ、とため息をついたあと、
「だから俺のことが好きなら、ふつーなら彼女と別れさせてやろうとか好きなやつを奪おうとか思うもんなんじゃないの?」
羞恥心に駆られて、限界になった俺は、窓の方を向くとカギを下ろして窓を開ける。熱く火照った身体を冷ますように。
すると、クスッと笑い声がもれる。
「確かに三上くんのことは好きですよ。だから告白もしましたし」
わずかに視線を彼女へ向ける。
「でも、告白のときにも言いましたよね。彼女さんから三上くんを奪おうなんて微塵も思ってませんって。だからほんとに三上くんのことを支えてあげたいんです」
そう言って、口元を緩めると
「ただ、ほんとにそれだけです」
繰り返し言葉を紡いだ。
俺は、彼女が嘘をついているようには見えなくて。
とても眩しく見えたんだ。彼女が。
「なんか魅音ちゃんってすごいな」
ポツリともれた言葉に、え、と首を傾げた彼女。
「あ、いや。ふつーなら告白断った時点で接点なんかなくなるじゃん。気まずいだろうし」
「そうですか?」
「うん」
俺がどんなに冷たく突き放した言葉をかけても、彼女は俺のそばを離れようとはしなかった。
むしろその逆で。
「なのに魅音ちゃんは、全然めげないっつーか、しぶといっつーか」
──ああ、だからか。
だから俺は、きみが。
「時々、魅音ちゃんが眩しく見える」
俺の灰色になった世界に、きみが現れただけで俺の世界は陽だまりのように照らされるんだ。
「私が?」
「うん」
「自分では全然自覚ないですけど…」
ふいに、冷たい風が吹いて彼女の髪を攫ってゆくと、横に流れる髪を耳にかけながら、
「私が眩しく見えるなら、それを利用すればいいですかね」
「は?」
「そうすれば少しでも三上くんの世界を照らしてあげることができるかもしれないですし」
嬉しそうに微笑んだ。
呆気にとられて言葉を詰んでいると、
「だから彼女さんのために今、何ができるか一緒に考えましょう」
話が振り出しに戻った。
まるで時を巻いて戻したみたいに。
「本気で言ってんの」
「はい。私はいつだって本気です。あとは、三上くんの返事一つですけど」
俺の返事。果たして俺は、その問いをどう思っているんだろう。
数秒考えた。
肌に冷たい風を感じながら、正常な動きをしている脳に問いかける。
「なんか、俺にもできんのかな」
中庭にある大きな大木を見つめながらポツリと声を落とす。
「ベッドに横になったまま目を覚さなかった彼女を一ヶ月見つめることしかできなかった俺に、なんかできんのかな」
ポツリともれた言葉に、
「三上くんは、どうなんですか?」
俺の問いかけに答えることなく、尋ね返された俺は、え、と声をもらしながら、彼女へと視線を向ける。
「三上くんは彼女さんのために何かしてあげたいですか?」
向けられた瞳が、揺るぎないほど真っ直ぐで俺は瞬間目を逸らしたくなる。
けれど、俺は。
「もちろん」
真っ直ぐに彼女の瞳を捉えた。
握りしめた拳は、爪が食い込むほどで。
「もう見守っているだけなんて、つらいんだ。だから彼女のために何かできるならどんなことだってしてあげたい」
「どんなことでも?」
「ああ」
おもむろに視線を窓の外へ移すと、空を見上げた。
灰色の雲に覆われていて、あたり一面が霧のように包まれていて。
雪でも降り出すんじゃないかと思うほどに。
彼女が目を覚ましてくれるのなら、俺は今できることを最大限するだろう。
──そう、例えば。
「俺の命に替えてでも彼女を救ってやりたいって、そう思う」
落とした言葉は間違いなく俺自身の本音で、それを現実世界へ落とした俺は、そのとき誓った。
「三上くんは本気なんですね」
「ああ、もちろん」
今までの俺は何に悩んでいたんだろう。何に怯えていたんだろう。
「じゃあ、一緒に考えましょう」
心の中の霧が晴れると、顔をのぞかせた本音。
魅音ちゃんの眩しさに感化でもされてしまったのだろうか──。
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