第十話 いちご味ののど飴


彼女にマフラーを返そうと待つけれど、一向にやって来ない。

それどころか三日も過ぎた。


心配になりながらも、今日もまた待ち合わせ場所で待つ。

いつもなら魅音ちゃんの方が先にいて、俺を待っているはずだったのに。


窓の外を眺めながら物思いにふけっていると、


「あっ、三上くん!」


ふいに声がして視線を向けると、手を振りながら小走りで駆けて来る彼女の姿が見えた。


そばまでやって来ると、少しだけ息が上がっていた。肩を上下に揺らして呼吸を整えながら、


「お待たせしてごめんなさい。少し授業が長引いてしまって…」


いつもと変わらずに笑顔の魅音ちゃん。


突然現れた彼女に困惑して「あー、いや」と言葉を濁す。


なんだ。授業が遅れたのか。


「何か持ってるんですか?」


尋ねられて、紙袋の存在を思い出した俺は、ああうん、と軽く返事をしながら彼女へと突き出す。


「へ? 私?」と困惑しながらもそれを静かに受け取って紙袋の中身を確認する。


「あっ!」


声をあげて、俺を見る。


「まだ俺が持ってたままになってたから」

「そうでしたね! 私、すっかり忘れちゃってました!」


濁りのない瞳で笑ったあと、


「ありがとうございます」


なぜか彼女が言った。


「なんでだよ」ボソッと呟くと、


「え?」

「なんで魅音ちゃんがお礼すんの」

「だってこれすごくいい匂いするから洗ってくれたんだなぁと思って!」

「そりゃ借りたら洗うだろ」


振られた言葉にツッコミを入れたあと、ハッとして、


「じゃなくてお礼を言うのは俺の方だろ」


ぶっきらぼうに声を落とすと、え、と戸惑った彼女は俺を真っ直ぐ見つめた。


「この前、あんな寒い中、カイロくれたしマフラーだって貸してくれたでしょ。だから、ありがとう」


そう告げると、「え、あ…」と目線を下げた彼女は、


「それは私が勝手にしたことなので。お礼を言われるようなことは、ほんとに何も……」


途端に自信を無くしたようなしゃべり方になる。


「何もしてないわけないじゃん。だってカイロもマフラーも貸してくれたんだし」

「ですからそれは私が勝手にしたことなので」

「うん。でも、助かったのは事実だから。ありがとう」


言うと、彼女は、「いえ」と首を振って、


「私には、あのときそれくらいしかできなかったので。どれだけ三上くんを救ってあげたくても、何もできないから」


悲しそうに笑った。


そして、一瞬だけ顔が歪んで、


「三上くんが無事でよかったです……」


目を細めて、震える声で呟いた。


きっと三日前に魅音ちゃんは、俺が彼女のあとを追いかけてしまうんじゃないかと思っていたんだろう。


だから、それを心配していたのだろうかと思うと、胸が締まる思いだった。


「ほんとに、よかった……」


俯いて、わずかに肩を震わせているような気がした。


俺より一回りも小さな身体が、さらに小さくなって弱々しく見えて、おもむろに手を伸ばしかけた。

無意識に、支えてあげたくなった。


けれど、俺は、グッと堪えた。


だって俺には、咲良という彼女がいるのだから。


そう、心で自分を落ち着かせて、引いた右手をグッと握りしめると、ポケットの中へしまった。


「コホッ……」


ふいに、小さな咳が聞こえた。彼女は、すみません、と呟くと、顔を逸らしてもう一度咳き込んだ。


「風邪引いた?」


俺が尋ねると、え、と声をもらして顔をあげた彼女と視線がぶつかった。


「あ、いえ。ちょっとむせちゃっただけです」


けれど、すぐさま何事もなかったかのように笑った。


三日間、ここへ来なかった。

そして、咳き込んだ。

つまりそれは風邪をひいた証拠で。

三日前俺にカイロとマフラーを渡して、あんな寒い中走って帰った。


「もしかしてこの前のが原因で?」


おそるおそる尋ねてみれば、「違いますよ!」慌てたように言葉を被せる彼女。


「最近すっごく寒かったから油断したらのどやられちゃっただけですので、三上くんは関係ないですから!」


誤魔化すように言葉が矢継ぎ早に現れる。


それは何かを隠したがっている何よりの証拠で。


「俺にマフラーまで貸したから風邪ひいたんじゃないの?」

「ち、違いますって!」

「じゃあなんで三日も来なかったんだよ」

「そ、それは…」


俺の問いに言葉を詰まらせると、


「熱出して寝込んで学校休んでたんじゃないの。三日も。それを俺の責任だと感じさせないように、わざと今嘘ついてるだろ」


これ見よがしに言葉をたたみかける。


俺の言葉を聞いて、彼女は下唇を軽く噛んだ。

図星をつかれて戸惑っているような、そんな表情で。


「ごめん」


そう、一言言葉を落とせば、顔を上げた彼女が、


「違います。三上くんは、何も悪くありません。悪いのは自分です。私自身の責任です。だから、三上くんは謝らないでください!」


声を荒げたせいで、のどに負担がかかったのか、また咳き込んだ。


俺があのとき無理やりにでもマフラーを返していたら、彼女は熱を出して三日も学校を休むことなかったはずなのに。

そう思うと、やるせなくて、ポケットの中の拳をさらに強く握りしめた。


瞬間、ポケットの中に何かが入っていることに気づき、おもむろに手の力を緩めると、指先に何かが触れる。


──ああ、そうだ。これ…


掴むと、手を取り出して彼女の前に拳を向ける。


「手、出して」


そう告げると、え、と困惑したあとに、おそるおそる彼女は手のひらをかざす。


そこにコロンッと落ちた、それ。


「…飴?」


きょとんとした声をもらす。


「それ、のど飴」

「な、なんで持ってるんですか? まさかエスパーですか?」


突然そんなことを尋ねてくる彼女に、なんでだよ、とツッコミを入れたあと、


「この時期になるとよく彼女がのど痛くなるってよく言ってたんだよ。だから俺、のど飴を常備するようになってさ」


懐かしい記憶に、思わず口元が緩む。


「いつでもあげられるようにしてたんだ」


コンビニで売っている一袋百円ほどで買えるのど飴。

ほんのりと甘くて、ほどよく酸味が効いているいちご味。


「そんな大切な思い出のあるのど飴もらっちゃっていいんですか?」

「うん。マフラーのお礼にしては全然足りなさすぎるけど……」


一瞬考えたあと、


「あ、なんなら袋ごとあげようか。かばんの中に入ってるし」

「いえ! これで十分です。これがいいです!」


声を荒げたあと、ハッとして、俺から目を逸らした。


「風邪が治るまで、一日一つずつもらえないでしょうか……」


恥ずかしがるような声で告げた彼女に、え、と困惑した声をもらすと、


「三上くんの手から受け取りたくて」


どうして彼女がそんなことを言ったのか、理由はなんとなく分かる。


「いいよ」


そう答えると、驚いたように顔を上げた。


「ただし、風邪が治るまでな」


期待されないようにクギも一緒に刺しておく。


「はい」彼女は、嬉しそうに笑った。


なんだかそれを見てホッとした。


なぜだか、よく分からなかったけれど。

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