第八話 前向きにいきましょう
「三上くん、昨日は眠れましたか?」
翌日の休み時間、彼女の教室近くの廊下につくなり、そんなことを尋ねられる。
保健室のベッドよりはフラッシュバックが起きなくて、ふつうに眠れた俺は、
「あー、うん、まあ…」
「そうですか。それならよかったです」
ホッと安堵したように口元を緩めた彼女。
昨日あれからずっと心配してくれてたのかな、そう思うと少し申し訳なく感じた。
「でもまだ少しだけ顔色悪いですね」
「これが通常なんで」
パッと顔を逸らすと、
「三上くんは嘘つきですね」
クスッと笑った彼女。
「べつに嘘なんて…」
「三上くんが嘘つくとき、耳たぶ触るの知ってましたか?」
「は?」
「私、三上くんのこと見てたのでよく分かるんです。嘘つくとき必ず耳たぶ触るんですよ。だから今も」
俺でさえ知らない自分の情報を彼女は容易くバラした。
嘘つくとき、耳たぶ触る? …そんなの意識したことなんかない。
「つーか、見てたってストーカーかよ」
「ええ? その言い草はひどいです! 私は陰からこっそり三上くんを見つめることしかできなかったのに…」
「その言い方がもはやストーカーだな」
「じゃあ堂々と見つめてたらよかったんですか?」
なんてくだらない言い合いが続いた。まるで堂々巡りのようで。
おかしくなった俺は、ふっ、と声を吹き出した。
「え、あの…?」
困惑した彼女は、目をぱちくりさせて。
「なんか魅音ちゃんといると、バカみたいにおかしくなる」
「え? ば、バカみたい…?」
「うん。こうやってくだらないこと言い合ってんのもなんかおかしい」
口元に手を当てながら笑みを隠すと、え、と俺の言葉に固まったあと、ハッとして、
「私にとってはくだらなくありませんよ! だってストーカー呼ばわりされちゃったんですから!」
頬をぱんぱんに膨らませて抗議する。
なんだろう。この感じ。
なんか、胸が熱くなる。
──ああ、そっか。咲良ともよくこうやってくだらないこと言い合ってたことがあったからかな。
「なんか、懐かしい」
思わずもれた声にひるんだ彼女は、「あのー」と首を傾げる。
「ああ、ごめん。ちょっと懐かしくなって」
「懐かしく?」
「うん。彼女が、元気だったときこうやってよく言い合ってたなーと思って」
頬を真っ赤に染めて照れる彼女があまりにも可愛かったから、俺はよくからかうこともあった。
「まあ、高校に入る前までの話だけど」
「え? どうしてですか」
尋ねられて、言おうか言わまいか悩んだ。
悩んだ末に俺は。
「彼女の照れた顔が見たいからってからかうのガキみたいじゃん。だから高校入ったら大人になんなきゃいけないなって思った」
「大人に…?」
「うん。あと…」
言いかけて、口ごもる。
「あとなんですか?」
濁りのない瞳で見つめられれば、口が自然と緩み。
「彼女に…かっこよく見られたかったっつーか。まあ、あれだ。単にかっこつけたかっただけだよ」
言ったあと羞恥心が増して、「あー、くそっ」と髪をわしゃわしゃと乱す。
「三上くんって、意外と素直さんですよね」
「は?」
「だって今もそうだけど、結局最後は全部しゃべっちゃうじゃないですか。心の声がだだ漏れっていうか」
べつにこんなこと言うつもりなかったのに。
魅音ちゃんの前で、気が緩んでしまう自分がいる。
「でも、素直な人っていいですよね。私、三上くんのそういうところ好きですよ」
俺をからかうように、ふふふっと笑った。
「…そりゃ、どーも」
それがなんだか恥ずかしくて、そっぽを向いた俺。
見た目やしゃべり方は全然違うのに、なんとなく咲良を感じてしまうのは懐かしい記憶のせいだ。
「それで」言いかけた彼女の声色は、落ち着いて表情もどことなく暗くなった。
「あの、昨日はどうでしたか?」
なんの脈絡もなく落とされた言葉に、一瞬動揺した俺。
心配そうに眉尻を下げながら俺を見つめる彼女の視線から逸らすように、窓の外へ目を向ける。
「昨日は行ってない」
そう告げたあと、
「行けなかったんだ」
──行ってない、ではなく、行けなかったんだ。
「どうしてですか?」
「…なんか、怖くなって」
窓から見える景色は、病室の窓の外の景色とは違う。それなのに同じに見える。まるで、全てが灰色がかっているような。
「彼女のおばさんの言葉がやけにリアルだったんだ」
「言葉?」
「脳に強い衝撃を受けているから、このまま目を覚さないこともあるかもしれないって……」
俺の言葉を聞いて、え、と声をもらした。
それは、間違いなく「死」を意味する言葉で。
「咲良のために時間が止まってしまうのは反対だって。まだ若いからって。だから、俺には幸せになってほしいんだって、そう言われたんだ」
そう告げると、しばらくして。
「そうだったんですね」
静かに声を落とした。
絶対目を覚ます。そう信じて、この一ヶ月間俺はお見舞いを欠かさなかったのに。
「それを聞いて怖くなったんだ。現実味を帯びたようで、咲良に会うのが怖くなった」
声をかけても返事が返ってこない。笑いかけても笑ってくれない。
それがとても怖くて、俺は、逃げてしまった。
「ほんと、情けない……」
この場でへたり込んでしまいたいほど、俺の足に力は入っていなかった。
「情けなくなんかないですよ」
ふいに聞こえた声に、視線を向ければ彼女は真っ直ぐ俺を見据えていて。
「そんなこと聞けば誰だって怖くなります。逃げ出したくなります。三上くんは、何も情けなくなんかないですよ!」
力強く言葉を言ったあと、
「だから、あまり自分のこと責めないでください。彼女さんだってきっと、そんなこと望んでないはずです」
「そうかもしんないけどさ、でも実際俺は何も彼女の力になってあげられてないし」
無力で、何一つ約束事を守ってやれてない。ダメな彼氏だ。
「そんなことないです!」
彼女の言葉にはなんの根拠もなく。
「魅音ちゃんに俺の気持ちなんて分かるわけないだろ」
苛立ちの矛先が彼女へと向いた。女の子に八つ当たりしてしまうなんて、俺なんて最低なやつなんだ。
それなのに彼女は。
「確かに三上くんの半分よりも分かってないかもしれません。だけど、きっと彼女さんには伝わってるはずです。三上くんが毎日お見舞いに行って声をかけてくれる。それがきっと伝わってるはずです」
俺に文句の一つも言わずに、俺を励ましてくれた。
どうしてこの子はそんなに強いんだろう。
俺なんかよりも、きっとずっと強い。
「だから、諦めないでください」
言ったあと、俺の手をそっと握りしめた。
「おい、やめろって…」
こんな場所で誰に見られてるか分からない。
それなのに彼女は一向に手を離そうとはしないで。
「きっと、三上くんの思いは通じるはずです。だから一緒に頑張りましょう」
笑ったあと、真っ直ぐ俺を見据えた彼女の瞳は、正義感にあふれているようだった。
「私も支えます。そしたら二人になります」
「…だからなんだってんだよ」
「ほら、よく言うじゃありませんか。一人よりも二人。二人いれば力も二倍になる。苦しみも半分になる」
言って、ぎゅっと俺の手を強く握りしめる。
「だから、頼ってください。私、三上くんのためならどんなことだって力になりますよ」
そう言った彼女は、やっぱり眩しく見えた。
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