第七話 無気力な俺
「あの、大丈夫ですか?」
二限目あとの休み時間、突然、そんなことを尋ねられた。
「…なんで?」
「だって、顔色すごく悪いみたいだから」
眉尻を下げて心配そうな瞳を向ける彼女から、目を逸らすと。
「気のせいでしょ」
「いえ、気のせいなんかじゃありません」
そんな俺に背伸びをして詰め寄った彼女の顔が、視界いっぱいに映り込む。
「な、なに…」咄嗟に後退りをする俺。
「やっぱり三上くん顔色悪いです! それに目の下にクマもできてます! こんなの気のせいなんて言いませんよ」
かなり距離が近いのに、彼女は照れる素振りも見せなくて。
おそらく俺の心配に意識全てが飛んでいるんだろう。
「…昨日夜遅くまで勉強してたんだよ」
問い詰められても面倒くさいと思ったので、咄嗟に思いついた嘘を告げるけれど、
「それ嘘ですよね!」
あっという間に見抜かれて、
「だってもしそれがほんとなら、最初からそう言ってるはずです。だけど誤魔化したってことは自分で分かってるからじゃないんですか?」
まくし立てられて、言葉に詰まった俺は黙り込む。
そんな俺を見て「ほらやっぱり」と告げた。
「保健室行きましょう」
「いや、いい」
こんなとき、一人でいたらもっと気が滅入ってしまう。
それならまだ教室にいる方がマシだ。
なのに、彼女は。
「いいえ。なにがなんでも三上くんを保健室に連れて行きます!」
言って、おもむろに俺の手を掴んだ。
「…なにすんだよ」
「なにって。三上くんを保健室まで送り届けるんです」
けろりと言ってのける彼女に呆気にとられながら、
「だから、それはいいって」
面倒くさくなって突き放そうとするけれど、
「よくありませんよ!」
初めて聞いた彼女の大きな声。
それに驚いて、俺は一瞬、固まってしまう。
ハッとすると、ごめんなさい、謝ったあと、
「人間には限界ってものがあります。体調が悪いときに無理すると人って倒れちゃうんですよ。ほんとは三上くんだって分かってるでしょう? 自分が今、限界だってことに」
そう告げられるけれど、「べつに」とそっぽを向いた俺。
だって、自分の身体なんてどうでもよかった。
咲良が目を覚ましてくれるなら、俺がどうなろうと構わなかった。
「べつにで結構です。でも、保健室へ連れて行きます」
「…意味わかんね」
ボソッと呟いた。
なんで俺のためにそこまでするんだよ、内心バカらしく思えた。
「もし三上くんが嫌だと駄々こねるなら、教室に行ってお友達に協力してもらいますけど」
「…は?」
「そしたら彼女以外に仲良くしてる子がいるってバレちゃいますね」
そう言って、クスッと笑った。
なんだそれ。
「…べつに仲良くしてるつもりねえよ」
誠也にだって話せばちゃんとわかってもらえるし。
なんて甘い考えをもって、彼女を振り切ろうとすると、
「そう思っていても周りはそう思わないかもしれませんね。だって私が、三上くんに告白して一ヶ月付き纏う約束ですから」
「…だからなんだよ」
「ですから、周りは私のことを彼女だと勘違いするかもしれませんよね」
よどみなく告げられた言葉に、一瞬薄ら笑うものが込み上げた。
「それでもいいならこの手を離しますが」
抵抗が弱まった俺を見て、クスッと笑いながら、どうしますか、と尋ねられる。
そんなのごめんだっつーの。
黙った俺を見て、観念したと受け止めたのか、
「じゃあ行きましょうか」
言いながら、彼女は繋いだままの手を引っ張って廊下を歩いた。
その後ろ姿をボーっと見つめながら、俺は力なく足を進めた。
* * *
「失礼しまーす」
保健室に入るけれど、先生は不在らしくていなかった。
「先生いませんね」
「だな。じゃあ…」
踵を返そうとした瞬間、「返しませんよ」と言ってグイッと腕を引っ張られる。
「ここまで来たなら観念してください」
俺の手を引っ張って、ベッドまで歩く魅音ちゃんのあとを渋々ついて行くと無理やりベッドへと座らされる。
上履きすらも勝手に脱がされて、
「はい、寝てください」
「眠くないのに寝れるかよ」
冷たく言い放つと、クスッと楽しそうに笑うと、
「それでも寝なきゃダメですよ。それとも私が添い寝してあげましょうか?」
なんてこと言われたから、「はぁ?」と呆れた声がもれる。
「何言ってんだよ」
「冗談ですよ。でも、ほんとに眠れないなら添い寝しても構いませんよ」
「結構です」
ため息をつきながら仕方なくベッドに横たわる俺。
ベッドサイドで立って俺を見下ろす彼女が、俺の姿に重なった。
昨日おばさんに言われたことが頭に浮かぶ。
瞬間、咲良がフラッシュバックして、ガバッと起き上がた俺。
「三上くんどうしました?」
「あ、いや…」
保健室のベッドとかカーテンが病院のそれと重なって、眠るなんてとてもじゃないけれど不可能だ。
「顔色すごく悪いですよ。何かありました?」
「やっぱ、寝れないから」
言って起きあがるけれど、
「──ダメです!」
切羽詰まった声をあげた彼女は、俺の肩を押して立ち上がれないようにする。
「離せよ」
「そんなに顔色が悪いのにこのまま教室に行かせるはずないじゃないですか!」
「べつに俺のことなんてどうでもいいだろ」
「よくありません!」
声を荒げた魅音ちゃん。
それに驚いて、え、と困惑した声をもらすと、
「よく、ありません…」
小さな声でもう一度呟いた。
「ちゃんと自分の命大切にしてください。そうじゃないと、きっと…彼女さんだって心配してるはずですよ」
なんで彼女にそこまで言われないといけないのか分からなくて、
「おまえに関係ないだろ」
八つ当たりみたいな言葉が口からもれる。
「はい、私には関係ありません。でも、仮に私が彼女だった場合すごく心配するから。だから彼女さんはもっと心配してるんだろうなぁと思って」
自分が彼女だったらなんて、それまだ半分諦めてない証拠なんじゃねえの、そう言ってやろうと思ったけれど気力もなかったのでやめた。
「あっそ」
代わりに、それだけを言ってそっぽを向く。
「私に八つ当たりしてもらって構いません。だけど、三上くんが眠ってくれるまで私ここから一歩も動きませんから」
その言葉に、逸らした視線を戻して彼女を見ると、言葉通りに椅子を移動させてそこに座った。
「本気ですよ、私」
その瞳は、確かに嘘をついているようには見えなくて。
「わかったよ」
乱暴に言い放つと、彼女に背を向けてベッドに横たわる。
けれど、落ち着いて眠ることができないのは当然のことで。
窓の外へ視線を向けていると、
「三上くん、強引なことしてごめんなさい。でも私、ほんとに三上くんのことが心配で…」
彼女がどんな表情をして言っているのか分からなかった。
「だからといって彼女さんの立場を奪おうなんて思ってませんよ。ほんとに、ただ心配だけで…」
弱々しい声でそう言った彼女は、間違いなく嘘はついていなかった。
「三上くんは嫌かもしれないけれど今だけは、密室になっていること許してください」
「…なにそれ」
「前に言ったじゃないですか。空き教室にいたときも、密室になるのは嫌だって」
「ああ…」
そういえばこの前そんなこと言ったよな。
自分で言ったのにすっかり忘れてた。
「三上くんが眠ったのを確認したら、ちゃんと出て行きますので」
「いや、今行けよ。もう授業始まるぞ」
「いいえ、行きません」
後ろからわずかにクスッと笑い声がしたあと、
「今出て行っちゃったら三上くんが授業に出るかもしれないので。だから寝たのを確認してから私は授業に出ます」
頑なに拒むから何を言っても無理そうだと諦めた俺は、「あっそ」と言って目を閉じた。
けれど、なぜか、さっきのフラッシュバックは起きなくて。
もしかしたら彼女がいるからかもしれないと、思った。
「〜♪〜」
ふいに、子守唄が聴こえる。
目を開けた俺は、文句の一つでも言ってやろうかと思ったけれど、その声はとても澄んでいて綺麗だった。
だから何も言えずに、また目を閉じた。
そしてその子守唄に耳を傾けた。
なぜだか、分からなかったけれど。
その声が心地よくて、気がつけば俺は夢の中へいざなわれていたんだ──。
◇
目を覚ますと、目の前には白い天井が広がって見えた。
「三上くん、大丈夫ですか?」
声が聞こえて視線を移動させると、ぼんやりとした視界の中に彼女、──魅音ちゃんの姿が見えた。
「…なに、してんの」
「授業が終わったので少し前に様子を確認しにきました」
授業が終わった?
「今、何時…」
「三限目が終わったあとです。なので一時間ぐっすり眠れたみたいですね」
「なんで」
「だって三上くんさっきより顔色が良くなってるので」
言って目を細めたあと、よかったです、と告げる。
多分、彼女が歌った子守唄が以外と心地よくてすぐ眠れたんだと思う。
じゃなきゃ病室と重なるこんな場所で眠れるはずなんかない。
「でもあの…」
言いかけて口をつぐんだ彼女。
まるで奥歯に物が詰まっているかのような違和感を感じた。
「でもなに」
「…怒りませんか?」
おそるおそる尋ねられて、「ああ」と頷くと、ホッとしたように口を開いた。
「さっき眠っているときに何度か、名前呼んでたんです」
言われて、まさか、そう思っていると。
「……さくら、って何度も名前呼んでいたんです」
ぎこちなく言葉を紡いだ彼女は、俺の反応を伺うように告げた。
瞬間俺は、どきっとした。
「それって彼女さんのことですか……?」
真っ直ぐ見つめられた瞳から逸らすように、目線を布団へと落とすと、ああ、と頷いた。
どうして寝言で俺が“咲良”と呼んだのか、俺にはすぐに理解できて、心がぎゅっと締めつけられた。
「ここまで聞いていいのか分からないんですけど…なんか、三上くんの声が、あまりにも悲しそうで…」
告げられて、俺は何も答えることができずにいると、
「だからもしかしたら何か抱えてるものがあるのかなって思って…」
病室のベッドで眠ったままの咲良が脳裏にフラッシュバックして、一瞬視界がふらっとする。
「大丈夫ですか!?」
「…あ、ああ」
「ほんとですか? でも、顔色がまた良くないですよ…」
そう言われて、口元を覆うように手で隠す。
その手のひらがすごく冷たくなっていることに気がついた。
まるで血の気が引いたみたいに。
「もし私でよければお話聞きますよ」
「いや、ほんとに大丈夫だから」
顔を俯かせて遮るように彼女の前に手をかざすと、
「全然大丈夫そうに見えません!」
言って俺の手をぎゅっと握った。
その反動で、顔をわずかにあげると、
「私だって力になってあげることくらいはできますよ」
真っ直ぐに目を見据えた彼女は、正義感に満ち溢れた表情と、悲しそうな瞳が混在していた。
「どうしてそこまで…」
「好きな人が苦しんでいるのにこれ以上黙って見ていることなんてできません! だって私にとって三上くんは……」
言いかけてハッとすると、「ごめんなさい」と冷静になる。
ひと呼吸置いたあと、だから、と告げて、
「私でよければ、力になりますよ」
俺の手を優しく握り締めながら言った。
その手のひらは温かかった。
だから俺は無意識に──。
「俺の彼女、一ヶ月前に事故に遭ったんだ」
口から言葉があふれてきた。
俺の言葉に彼女は、え、と困惑した声をもらす。
「事故、ですか……」
顔は血の気が引いているようだった。
「打ちどころが悪くて、それからずっと眠ったまま。まだ目を覚さないんだ」
言いながら、彼女の手をゆっくりとのける。
そのときの彼女の手のひらは少し温度が下がっているようで。
「だから放課後、俺はずっと彼女のお見舞いに行ってる。もしかしたら今日は目を覚ましてるかもしれないと、願って」
一ヶ月ずっと願った。
けれど、そのお願いを聞き入れてはもらえなくて。
「あ…それで放課後は無理だと言ったんですね」
「うん」
「何も分からず自分のことばかり考えていて、ごめんなさい」
頭を下げる彼女。スカートの上に置かれている拳は、わずかに震えているよう。
「なんで。べつに魅音ちゃんが悪いわけじゃないし」
「でも、三上くんのこと何も知らずに自分が片想いをいい思い出にするためにって強引に三上くんに協力させて…」
へたり込むように椅子に座っている彼女の身体は、一回り小さくなっていた。
声も、顔も、今にも泣き出しそうな子どものようで。
「だからって自分責める必要はないだろ。だって俺がそれを隠して協力するっつったんだから」
「だけど…」
俯いた彼女は、唇を噛みしめて悲しさを滲ませる。
俺は、彼女に罪悪感を感じてほしいために言ったわけじゃない。
自分が、限界だったから。一人では、もう限界だと思ったから。
「悪かった」
言いながら、彼女の頭を撫でる。
「こんなこと聞いても困るだけだよな。でも、そんなこと気づかないくらい俺も限界だった。だから思わず魅音ちゃんの言葉に甘えた」
ほんとは、咲良以外にこんなことしたくなかった。
けれど、俺の言葉で彼女を傷つけたというならば、それは俺の責任だ。
悪かったな、もう一度告げたあと、
「今の聞かなかったことにして」
手を離すと、床に真っ直ぐ並べられていた上履きに足を滑り込ませると立ち上がる。
「──ちょっと待ってください」
ふいに、告げられてブレザーの袖をぎゅっと掴む彼女。
少し目線を落とすと。
「聞かなかったことにするなんて私にはできません」
「じゃあ、忘れて」
「それもできません」
まくし立てられて言葉に詰まると、代わりに彼女が、
「私に、三上くんを支えさせてください」
そう告げられた。
「…は?」
「三上くん一人では限界だと言いました。だから私が支えます。いっぱい話を聞きます。三上くんを支えさせてください」
見上げるように真っ直ぐ向けられた瞳は、揺るがなく俺は一瞬、どきっとした。
「な、何言ってんの。一ヶ月だって約束したじゃん」
フイッと視線を逸らす。
「一ヶ月私の片想いに協力するのはやめにします。その代わり、お友達として三上くんのこと支えさせてください」
その言葉を聞いて「はぁ?」と呆れた。
「俺を支えるとか言いながら実際は、ずっとそばにいたいだけなんじゃねえの」
少し。いや、かなり自意識過剰なこと言っていると自分で自覚しながら。
「三上くんの話を聞いていたら、そんな煩悩なんて吹き飛びました」
「煩悩って……」
「ほんとですよ。私、三上くんをお友達として支えてあげたいんです」
あまりにも真剣に言われた言葉に、抵抗できずに、ポスッとベッドに腰掛ける。
「魅音ちゃんは、なんでそんな真っ直ぐなの」
「え?」
まるで、咲良のように強くて心配性で。
「真っ直ぐすぎて俺には眩しすぎる」
力なく声をもらすと、
「三上くんだからです」
言って、目を細めた彼女。
そして。
「三上くんだから私は、力になってあげたいんです。だって初めて好きになった人だから」
照れる素振りも見せずに言った彼女は、嬉しそうに悲しそうに笑っていた。
俺はそれを、ただ見つめることしかできなかったんだ。
その日、初めて病院にお見舞いに行かなかった。
正確には、行けなくて。
だって。おばさんに、あんなことを言われたからどうすればいいのか分からなくなって。
それに、怖くなった。
「死」を予感させる言葉を告げられて、それが一気に現実味を帯びた。
今までは考えないようにしていたことなのに、それを突きつけられた。
俺は、怖くなった。
もしほんとにそうなったらどうしようって。ずっと声を聞けなかったら、笑顔を見れなかったら。
そう思うと、病院へ足が進まなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます