第六話 バレンタイン


「あの、今日何の日か分かりますか?」


二限目終わりの休み時間、なんの脈絡もなく現れた言葉に困惑した俺。


「いや、分かんない」


壁に背もたれながら、軽く首を傾げる。


彼女の誕生日とか記念日とかなら、ふつーに覚えてるんだけどそれ以外は記憶力が乏しいらしい。


「三上くんも同じなんですね。よかったです」

「なにが」

「ほんとに分かりませんか?」


質問したのは俺なのに、と不満に思いながら、分からない、と答えると。


「お恥ずかしながら実は私、今朝思い出したので何も用意することができずに…」


言いながら後ろに隠していた左手を前に差し出すと、袋を下げていた。


「なのでせめてもと思いまして」

「なに?」

「とりあえず受け取ってください」


渋々受け取って中身を確認すると、袋の中に入っていたのはチョコレートだった。

ざっと見て一〇個以上はある。


「今日、巷ではバレンタインデーだったみたいなんです」

「は?」


バレンタインデー?

つーことは、二月十四日ってことか。


照れくさそうに俺から視線を逸らすと、


「私うっかりしちゃってて、今朝気づいたんです。だから、コンビニに駆け込んで慌てて買いました」


「……完全に忘れてた」


咲良のことで頭がいっぱいだったからかな。


「私も同じです」

「え?」

「三上くんに告白できただけで嬉しくなっちゃって、すっかりバレンタインのこと忘れちゃってました」


袋の中に入っている小さなチョコレートは、コンビニで一つ数十円で買えるようなやつだった。


数日前にがっつり告白してきたやつが、まさかこんなものを渡すなんて。


「…すっげえ義理感ハンパねえな」


あまりのおかしさに思わず口をついて出た。


すると「え、あっ、違いますよ!」慌てた彼女は俺に詰め寄って、


「確かにチョコレートは手作りではないですし子どもても買えるような安いやつですけど、私にとってそれは本命ですから! だって私、三上くんのこと本気です!」


まくし立てるように言われた言葉が、あまりにもどストレートすぎて「あ、はい」と言葉が追いつかなかった。


数秒して、ハッとした彼女は顔を真っ赤に染めて俯いたあと、


「…す、すみません。ちょっと興奮してしまいました…」


数歩下がった彼女。


「それでその、受け取ってもらえますか?」


今までのバレンタインデーは、咲良以外からは受け取らないようにしていた。


だから受け取るのを躊躇していると、


「あっ、もしかして甘いの嫌いですか?!」

「は?」

「メロンパンが好きだったので甘いの大丈夫かと思ってたんですけど、私のリサーチ不足でしたね」


眉尻を下げて落ち込む素振りを見せた。


なに勝手に誤解してるのか分からないけど、


「俺ふつーに甘いの大丈夫だから」

「…え? 大丈夫なんですか?」

「だからそう言ってるだろ」


「え、あ…」狼狽えながら、目をぱちくりさせたあと、


「じ、しゃあ受け取ってください。……いえ、受け取ってもらえると嬉しいです」


これでもかと食い下がった。


どうするか迷っていると「──あ」突然、声をあげた彼女。


「もしいらなければ三上くんのクラスメイトにあげても構いませんので。三上くんの好きにしてもらって大丈夫ですから」


さっき自分で本命とか言いながら、そんな妥協案を提案する。


なんだよ、それ。

ほんとは誰にもあげてほしくないんじゃないのかよ。


なぜか、少しイラついた。


「…もらうよ」


俺の口からもれた言葉は予想外のもので。


「え、もらってくれるんですか?」

「そう言ってるだろ」

「ほんとにいいんですか?」

「何度も聞くな」


告白は断ったのに、チョコレートは受け取るってどういうことだよ。

自分の行動に少し不審に思ったけれど。


「三上くん、ありがとうございます」


嬉しそうに微笑んだ。


その顔を見て、俺は罪悪感に駆られる。


俺はなんでこんなことを言ってしまったんだろう。


「あ、えっと、ちなみに私のおすすめはいちご味です!」

「……は?」

「チョコの間にいちごのソースが入ってるんです。すっごくおいしいですよ!」


いや、今そんなことを聞いてる場合なんかじゃなくて。

つーか、さっきまでめっちゃ落ち込んでたじゃん。


「…復活すんの早すぎ」


ボソッと小声で呟いたから、彼女の耳には届いていないようで。


「なにか言いました?」

「いや、なにも」


どうやら女の子の立ち直りは早いらしい。


イラついてたのがバカらしくなる。


きっと糖分が足りてなかったんだろう。


「それより受け取ってもらえてよかったです。三上くん、ほんとにありがとうございます」


なんて今にも涙を流しそうになりながら言われるから、


「いや、べつに……」


少し困惑した。


彼女ではない人からの本命チョコを受け取ってしまい、チクッと胸の奥が痛んだ。





「こんにちは」

「あら、洸太くん。いつもありがとうね」


病室に入ると、今日はおばさんの姿が見えた。


昨日はいなかったけどどうかしたのかな、なんて聞けなくて。


「今日はバレンタインデーよね」


咄嗟に告げられた言葉に、一瞬俺は動揺した。


「洸太くん?」

「え? …あ、はい。そうですね」


危ない俺。何してんだ。


気を取り直してかばんの中から、小さな箱を取り出すと、「これ」おばさんへ差し出す。


「咲良に?」

「はい。中身はチョコではないんですけど」


俺がそう告げると、言葉を理解したのか、


「そうね。ありがとう」


言って受け取ると、


「咲良。洸太くんがバレンタインデーにってプレゼントくれたわよ。中身はチョコレートじゃないんですって。だから、早く起きて中身確認してごらん」


目を瞑っている咲良に話しかけながら、枕元にそっと置いた。


けれど、咲良は起きてくれなくて。


おばさんも、俺も。悲しみに打ちひしがれる。


「ごめんね、洸太くん。咲良、寒いからまだ起きたくないって」


俺に気を遣わせないようにと、おばさんなりの精一杯の冗談を交えた。


「外、寒いですもんね」

「そうね。こんなに寒ければ起きたくないわよね」


悲しそうに笑顔を浮かべたおばさんは、咲良を見つめながらどこか遠くを眺めているようで。


「もしかしたらこの子、冬眠でもしてるのかしら」


俺なんかより、おばさんの方がつらそうで、苦しそうで、何も言ってあげられなかった。


いや。こんなときに、言葉をかけてあげたとしても薄っぺらい言葉にしか聞こえないと思った。

所詮、俺は無力な高校生だから。


何もできない俺は弱い。苛立って、拳を握りしめていると、


「あのね、洸太くん」


ふいに、おばさんが俺の方を見た。


瞬間、緊張して手汗が滲む。


「こんなときに言うことじゃないかもしれないけれど。もう、無理をしなくていいのよ」


悲しそうに微笑んだおばさんの声に困惑して、え、と声をもらす。


「毎日放課後、病院に通うの大変でしょ。だからね」

「いえ、大変なんかじゃありません! 彼女が、咲良が心配だから…!」


まくし立てるように言葉を被せると、


「うん、ありがとう。でもね、洸太くんはずっと無理をしてるわ」

「無理だなんて、そんな…」


してない。何もしてない。


「毎日、お見舞いにも欠かさず来てくれてほんとに感謝してるわ。きっと、この子も心強いと思うの」

「だったら──…」


言いかけた、けれど口をつぐんだ。


おばさんの顔があまりにも悲しそうに酷く歪んでいたから。


「でもね、咲良はそれを望んでいないかもしれないの」

「……え?」


肩にかけていたかばんの紐がずり落ちた。



「この子、洸太くんのことほんとに好きだったみたい」


そう、言葉を落としたあと、咲良へと視線を移し、彼女のおでこを優しく撫でたあと、


「だけどね、同じように心配かけたくない、迷惑かけたくないって思っていたみたいなの」

「…どういうことですか?」


おずおずと尋ねると、優しく笑ったおばさんは。


「毎日、家まで送ってくれたでしょ? だからね、この子いつも言ってたの。『一緒にいられるのは嬉しいけど毎日送ってもらって迷惑かけちゃってる』って」

「そんな、迷惑だなんて俺は…!」


むしろその逆で。一緒にいられる時間が長くなるから俺はその時間が好きだった。


「うん。この子少し心配性なところあるでしょ? だからね、人よりも悩むことが多くて」


確かに、咲良は心配性なところがある。

他校だからなおさらそう思ってたのかもしれないけれど。


「一緒にいられるから嬉しいんだけど迷惑かけてるって。だから少しだけ申し訳なく感じるって、私によく言っていたの」


帰り際、いつも頬にキスをしてくれた咲良。


もしかしてその意味は、送ってもらって申し訳ないからその感謝の気持ちってことなのか?


「だからね」言いながら、咲良の頭を優しく撫でるおばさん。


「咲良のために洸太くんが自分の時間を無駄にする必要はないのよ」

「そんな、無駄なんてそんなこと…」

「だって咲良いつ目覚めるか分からないでしょう?」


ふいに手をとめると、手のひらをきゅっと握った。


「昨日ね、先生とお話ししてたの。咲良は、脳に強い衝撃を受けているから、目覚めるか分からないって。あるいは……」


言いかけて口を閉ざしたおばさん。


その先に続く言葉が容易に理解できた俺は、身体から力が抜けて肩からずり落ちたかばん。

パタンッと床に力なく倒れる。


「だからね、目を覚ますか分からない咲良のために洸太くんの時間を無駄にしてほしくないの。だってまだ一年生じゃない。これから楽しいことたくさんあるはずよ」


まくし立てるように言われた言葉の半分も頭に入らなかった。


だって、咲良が。


酸素マスクをつけてまだ息をしている彼女が、「死」の可能性もあると告げられたのだから。


「咲良は、きっとそんなこと望んでいない」


そんなこと言われても。


「……俺は、彼女とずっと一緒にいるって約束したんです」


当時、中学三年だった俺たちは、お金もないからと公園や図書館によく行っていた。

そしてお金をためて初めて行った遊園地デートのとき。

観覧車のてっぺんで、

『これから先どんなことがあっても、ずっと咲良と一緒にいる』

約束して、キスをした──。


「だから俺、約束を破ることなんてできません」


咲良を裏切ることなんてできない。


だって、ほんとに好きで大好きだから。

これからもずっと当たり前にそばにいるんだと思っていた。


「うん。そう言ってもらえて咲良もきっと幸せよ」


悲しそうに微笑みながら、


「でもね、洸太くんの時間を奪うのはこの子反対だと思うの。『私のために時間を無駄にしないで』って咲良なら、言うと思うわ」


告げられた言葉は、あまりにも苦しくて、かばんを拾うこともできずに立ち尽くす俺。


そんな俺に、おばさんは。


「洸太くんにひどいことを言っているのは重々承知よ。私、あなたに約束を破れだなんて言っているようなものだものね」


悲しそうに瞳を揺らしながら、口を閉じたあと、また、咲良の手を優しく撫でる。


「でもね、この子のためにあなたの時間が止まってしまうのは私も反対なのよ。洸太くんは、まだ若いの。これからもっとたくさんの出会いがある」


だからね──、告げたあと、


「洸太くんには、幸せになってほしいの。きっとそれが咲良にとっての願いだと思うから」


咲良の手を握って、今にも泣きそうな顔でそんなことを言ったおばさんに俺は何も言い返せなかった。


だって、まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかったから。


脱力感と虚無感、絶望感。全部が俺を襲った。


咲良、咲良、──心の中で何度も繰り返し問いかけた。

けれど、彼女は返事をしてくれなくて。


力が抜けた俺は、その場に倒れ込むようにしゃがんだ。


これから俺はどうしていけばいい?


なぁ、聞いてくれよ咲良──。


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