第五話 彼女の好きなところ


「あっ、三上くん!」


人気の少ない廊下で俺に気づくと、手を振った彼女。


「来てくれたんですね!」

「そりゃまあ、一ヶ月だけって約束したし」


内心、彼女に隠れて密会をしている気分で複雑だったけれど。


「名前、覚えてますか?」

「…魅音…ちゃんだろ」


咄嗟に脳が判断して、ちゃん付けをすると、えー、と不満めいた顔を浮かべた彼女。


「呼び捨てがよかったです」

「これでも俺、頑張ってる方なんすけど」


だって、彼女がいるのに他の子を呼び捨てなんて、そんな邪道なやつがすることだろ。

ほんとは名前で呼ぶのだって抵抗あるっつーのに。


「でも、嬉しいです」


突然告げられた言葉に、え、と困惑した声をもらしていると、「なんか」と口元を緩めた彼女は。


「名前で呼ばれるってこんなにも嬉しいんですね。私、今までこんな幸せなこと知りませんでした」


言葉の通り、幸せそうに顔をほころばせる。


「そんなに?」

「はい。だってずっと好きだったから。まさか三上くんに名前で呼んでもらえるなんて、夢にも思いませんでした」


なんて恥ずかしがる素振りも見せずに彼女が言うから、呆気にとられた俺は、窓の外に視線を向けた。


彼女とは、ほとんど面識はなくて好かれる要素なんて何一つないはずなのに、どうして俺なんかだったんだろう。


「なぁ、一つ聞いていい?」


窓の外へ目を向けながら尋ねると、なんですか、明るい声が帰ってくる。


「なんで俺だったの」

「え?」

「だって俺らクラス違うし、ほとんど面識ないし。なのにこんなに好かれる要素が俺にあると思えないんだけど」


窓にぼんやりと映る自分を見つめながら、言葉を待つと、


「三上くんって全然自分の良さ気づいてないんですね」


そう言って、笑った。


「良さなんて何もないだろ」


笑い飛ばすと、いいえ、と否定をした彼女が。


「三上くんのいいところ、たくさんありますよ。まず一つ目は優しくなさそうに見えて実はすごい優しいところ」

「俺って優しくなさそうに見えてんの?」

「あっ、ち、違いますよ! 見た目が、その少しクールだからそう見えるってだけで。今のは言葉のあやです!」


まくし立てられるように言われたから、多分、気を遣わせたんだろうなと思った。


だから俺は、ふうん、と適当に相槌を打つ。


「そして二つ目が、おいしいものをおいしそうに食べるところ。昨日も、コロッケパンとメロンパン、おいしそうに食べてましたね」


おいしそうに食べていたのがなんかたまらなく恥ずかしくなったので、


「…食べてるときは人間気が緩むんだよ」


そう誤魔化すと、「おいしそうに食べるのはいいことですよ」と笑った彼女。


俺の好きな食べ物を把握してるなんて、よほど俺のこと見てたのかな。なんて一瞬、自意識過剰なことを思っていると、


「そして、三つ目なんですけど」


言いかけて、口を閉じた彼女。


なんで言わないのかと少し疑問に思いながら、隣へ視線を向ければ、俺を真っ直ぐな瞳で見つめていた。


その瞳が、あまりにも真っ直ぐすぎて逸らせずにいると、口元を軽く緩めた彼女が、


「彼女思いなところです」


優しい口調で言葉を言った。


「それ、べつにふつーじゃない?」

「全然ふつうなんかじゃありませんよ」


首を振ったあと、


「だって彼女思いってことは、すごく一途ってことですよ。一途って簡単なようで意外と難しいんです。男子高校生なら、手当たり次第にとっかえひっかえしてもおかしくない年頃なのに、三上くんは全然そんなことなくて。だから、それが三上くんのいいところです」


まくし立てられた言葉の半分も頭に入らなかったけれど、つまり彼女が言いたいのは俺がかなり一途らしいってことだった。


確かに俺は、彼女しか好きになったことはない。

人生で初めての恋ってやつだし。


「三上くんが私の彼氏だったらよかったのに、って何度も考えました。だけど、そんなこと無理だって分かってて」


悲しそうに目を細めたあと、


「だからすごく彼女さんが羨ましいです。できるものなら、彼女さんと変わりたいくらいです」


羨ましさと悲しさが混在しているような、声色で彼女は告げた。


ベッドの上で一ヶ月も眠っている俺の彼女。言葉を交わしたくても交わせない。


簡単に羨ましいと言った彼女は、俺の彼女が今どんなことになっているなんて知らずに。だから俺は、途端に苛立った。


彼女が傷つくと知りながら、


「変わったからって俺が、魅音ちゃんのことを好きになるわけじゃないけどな」


どうやら俺は、口がかなり悪いらしい。


彼女だってきっとこんな俺を見れば、すぐに嫌いになるだろう。


「そうですよね。確かに、私が彼女さんに変わったって好きになってもらえる保証なんかどこにもないのに」


それなのに彼女は、笑った。無理をして。

だから、俺なんかよりも、ずっと強いんだと思った。


「私、バカなこと言っちゃいましたね。ごめんなさい」

「いや、べつに……」


なんだかバツが悪くて顔を逸らすと、窓の外へ視線を向けた。


「それより彼女さん、どんな人なんですか?」

「え?」

「三上くんをここまで虜にさせる彼女さんがどんな人なのか少し知りたくなってしまったので」

「虜って……」


いや、まあ、あながち間違いではないか。


「それでどんな人なんですか?」

「どんな……」


尋ねられて、数秒考えた。


「まあ、強いて言うなら、すごくやきもち焼きだったかな」

「やきもち焼きですか?」

「うん」


頷いたあと、彼女から今まで言われた言葉が溢れてきて口元を緩める。


「なんか、俺が女の子に話しかけられたりしたらすぐ心配してた。逆ナンされてるんじゃないかって。いつも顔を真っ赤にさせて、やきもち焼いてた」


あの表情が忘れられなくて、わざと、困らせることもあったけど。


「洸太は私の彼氏なの、──ってよく言ってた。それ聞くのが俺、嬉しくてさ」


顔を真っ赤にさせて拗ねる姿が可愛くて。


「もしかしてわざと困らせてたとか?」


図星を突かれた俺は、静かに頷いた。


「なんか、ほんとに彼女さんのこと好きなんですね」

「まぁな」

「私の見立てでは、三上くん人前でのろけないんだと思ってたんですけど全然そんなことないんですね。のろけ放題じゃないですか」

「…そんな、のろけてねえよ」


さすがの俺も我に返ると、恥ずかしくて否定するけれど、


「そんな顔で言われても説得力なんかありませんよ?」


そう言って彼女は、笑った。


この子といると、調子が狂う。

だってさっきまで悲しそうに落ち込んでいたのに、すぐに持ち直して今度は俺をからかったり、楽しそうに笑ったり。


「それで三上くん。彼女さんは、どんな子だったんですか?」

「それはもう今言っただろ」

「いえ、そうじゃなく外見です。髪型とか顔が誰に似てるとか」


なんで、そこまでつっこんでくんの。


まさか。


「違いますよ!」


矢継ぎ早に現れた言葉に呆気にとられて、口をポカンと開けていると、


「彼女さんに似せたとしても私なんかじゃ

、きっと三上くんの心を掴むのは無理だから」


淡々と告げられた言葉に言葉をぶつける気力もなくなって、口を閉じると、


「ただ、三上くんがどんな女の子を好きになったのか知りたかったんです。ほんとに、それだけで」


泣きそうに笑った彼女。


魅音ちゃんは、強い子なのか弱い子なのか、どちらなのかよく分からなかった。


けれど、その表情を見ていたら。


「背は魅音ちゃんより少し高くて、髪も背中まであって、顔は目鼻立ちがしっかりしてて綺麗な子だよ」


なんか、教えてあげたくなった。


例え、それが彼女を傷つけることになったとしても。


「私と、真逆の子なんですね」


魅音ちゃんは、ショートボブで栗色の髪に、少しあどけなさが残っている顔。


だから、その問いには。


「そうだね」


頷くほかなくて。


「でも、仕方ありませんよね! いくら好きな人に近づきたいからって顔まで変えることはできませんし。それに、三上くんのこと諦めるって約束しましたから」


言われた言葉に申し訳なさすぎて何も返せずにいると、


「ちゃんと教えてくれてありがとうございます」

「…なんで。俺なんか、魅音ちゃんのこと傷つけてばかりだろ」

「いいえ。三上くんは、隠さず教えてくれました。ちゃんと誠意があるって伝わりましたので!」


恋が散って、好きな人からも毒のような言葉ばかりを向けられても、なおも彼女は立ち上がる。


全然俺なんかより強くて。


「どうしてそんな強いの?」


思わず口をついて出た。


彼女は一瞬、え、と困惑したけれど、すぐに元に戻ったあと。


「私、強く見えますか?」

「え? …いや、まあ」


多分、俺よりははるかに。


けれど、彼女は。


「私、昔はすっごく弱かったんです」

「え?」

「転んだらすぐ泣いちゃうような子だったし、勉強だって苦手だからすぐに投げ出してたし」


そんなふうには全然見えなくて、意外、と言葉をもらすと、


「でも、私決めたんです」


窓の方へ視線を向けた彼女は、おもむろに鍵を下ろして窓を開ける。

そこから冷たい風が入り込み、咄嗟に目を細めたあと、


「後悔しないように、ちゃんと全部自分で頑張ろうって。だって自分の人生、自分でどうにかしていかないといけないから。もう、後悔するのはたくさんだから」


魅音ちゃんの声が冷たい風と一緒に俺の元へ流れてきた。


“後悔”と告げた彼女。

けれど、それを尋ねることはできなかった。


だって彼女の顔が、あまりにも悲しそうに歪んでいたから──。





放課後、病室へやって来ると、そこにおばさんの姿はなかった。

代わりに、彼女の大好きな猫のぬいぐるみが添い寝をしていた。


「今日も来たよ」


椅子に腰掛けて、彼女の手に触れる。


「ごめん、俺の手冷たいよな」


学校から病院まで歩いて十五分ほどかかる。

こんな真冬の中それだけ歩けば手の感覚なんてなくなって、鼻なんかトナカイみたいに赤くなるし耳なんて千切れたみたいに痛くなるし。


けれど、それでも毎日お見舞いを欠かさないのは、彼女がいつか目を覚ますかもしれないと信じているから。


彼女が目を覚ましたとき、一人ぼっちだと不安にならないように俺がそばにいてやりたい。

彼女が目を覚ましたとき、一番最初に視界に映り込みたい。

なんて、まるで独占欲の塊みたいな自分に薄ら笑った。


彼女の手を握りながら、


「なぁ、この前告白されたって言っただろ? それで、ちょっと面倒なことになっちゃってさ」


──今までの彼女なら、「なぁに?」って返事してくれてたよな。


それに、わずかに口元を緩めながら、


「一ヶ月だけ、恋を諦めるために俺に協力してくれって言われたんだ」


言葉を紡ぐ。けれど、彼女はしゃべらない。ただ、酸素マスクをつけながら、深い深い眠りについているようで。


「名前、呼ぶようにお願いされてさ。そんで、それに断れなかったんだよ。ごめんな」


自分がいないところで他の子の名前を呼んでいたら、彼女は怒る。

もし仮に彼女がクラスメイトを名前で呼んでいたら、俺だって嫌だ。


自分がされて嫌なことはしないって決めたはずなのに。


「協力することになったんだけどさ、俺のこと嫌いにならないでくれ」


俺、おまえに嫌われたら耐えられない。



だって、すっごい好きなんだ。

中学入学したとき、一目惚れして、中三のときにやっと想い伝えられて。両想いだと知って。


だから、いつもみたいに、洸太は私の彼氏、って言ってくれよ。


そんで。


「もう一度、おまえの声で俺のこと好きって言ってくれよ」


震える声で、告げる。


一ヶ月、聞けてない。きみの声。懐かしくて、恋しくてたまらない。


「もう一度、声聞かせてくれよ」


彼女の動かない手を両手で包み込む。


いつも帰り道は手を繋いで帰った。

俺が、手を繋ぐと彼女は照れくさそうにして、だけど嬉しそうに笑った。

その姿が、脳裏に焼き付いている。


家まで送り届けると、彼女が、ありがとうって言う。

そして、精一杯背伸びをして、俺の頬にキスをする。

それがいつも俺たちの日課になっていた。


懐かしくて、恋しくて。

彼女が目を覚ますなら、俺はどんな犠牲だって払うだろう。


だから──。


「早く目を覚まして俺を安心させてくれよ。咲良(さくら)」


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