第四話 約束しましょう


「おはようございます」


翌日、昇降口でくつを履き替えていると、隣から声が聞こえた。

視線を向ければ、昨日と同じ顔が見えて、


「…おはよう」


返事をすれば、彼女は嬉しそうに笑った。


「なんか、こういうのいいですね」

「こういうのって?」

「今こうして話しかけられてるのが夢みたいってことです!」

「…夢なんてそんな大袈裟だろ」


鼻で笑い飛ばすと、いえほんとですよ、と声を荒げた彼女。


「こうやって三上くんと話せるだけでほんとに私、幸せなんです!」

「……へえ」


幸せねえ……


「だっていつもは、遠くから眺めているだけだったんですけど、こうやってあいさつを当たり前のようにできるのが私にはほんとに夢のようで」


淡々と告げられた言葉を一瞬聞き逃しそうになったけれど、前半部分で気になる言葉を見つけた俺は、


「いつもって?」


少しだけ薄寒くなっておそるおそる尋ねた。


すると、ニコッと笑って、


「三上くんが朝、私の少し前を歩いてるんです。だけど緊張して一度も声かけられなかったので」


昨日は、あれだけ告白をしてきたのに。あっちの方がよっぽど恥ずかしいはずだろ。


つーか、なに。


「ずっと俺の後ろ歩いてたの?」

「歩いてましたけど……」


途中まで言いかけて、ハッとすると、


「違いますよ! 誤解です! 確かに三上くんの後ろを歩いてたけど、それはただの偶然で、決してストーカーしてたとかじゃないですから!」


ズイッと距離を詰めて、慌てたように言葉を取り繕うものだから。


「……分かったから一旦離れろ」


こんな場面、誰かに見られでもすれば面倒なことになる。


「あっ、す、すみません!!」


状況を理解した彼女は後ずさる。


さっき俺が言った言葉にいまだに動揺しているようで。


「…あのさ、なんかそこまで否定すると返って怪しいんだけど」


思わず、少しだけ笑ってしまった。


あまりにも必死すぎたから。


「──かっこいい……」


ふいに、そんな声が聞こえた。


話とは全く関係のない言葉に困惑して彼女を見つめると、「…へ」と瞬きを繰り返したあと、


「……もしかして私、今声出ちゃってましたか?!」

「…ああ」


返事をすると、ポポポポッと効果音がついたように赤面する。


「うわー、恥ずかしい……っ!」


声をあげて顔を背ける。


人ってあんなに無意識に言葉ってもれるものなのか……。


「あのっ、今の聞かなかったことにしてください…!」


そう懇願されるけれど、


「それはどう考えても無理だろ」


またおかしくなって笑いを堪えて返事をすると、うあ〜と唸りながら赤面する頬を両手で隠していた。


つまり、さっきの言葉は俺に向けて言ったものなのか?


まあ、誰かに好かれるのは悪い気はしないし、ふつうに嬉しいとも思う。

けれど俺には大切な彼女がいる。

だから、その子以外の誰かとどうこうなるつもりはない。


狼狽えたままなにも話が進まないから、


「じゃ、俺行くから」


短く返事をして歩き出そうとする。


「あの、ちょっと待ってください」


けれど、俺の前に立ちはだかった。まだ、赤面した顔のまま。


「…なに?」

「えっと、あの、ちょっとこれからのことについてお話したいことがあるのですが…」

「話?」

「はい。だからその、今少しだけ時間ありますか?」


他のクラスメイトが俺たちを追い抜いて、教室へ駆けてゆく。

昇降口で立ち尽くしたまま話す俺たちを見ながら、遠目にひやかすやつも現れて、心底鬱陶しいと思った。


だから俺は迷わず。


「ごめん、今は無理」


一言そう告げると、


「あ…そうですよね」


一気に落ち込んだ声が聞こえる。


さすがに突き放しすぎたのかと心配になっていると、じゃあ、と気を取り直した彼女は、


「お昼休みに迎えに行ってもいいですか?」


そう告げられるから、ダメだ、と断ろうと思って口を開いた矢先。


「迎えに行きますね!」


俺がダメだと答えるのをまるで先読みしていたかのように言葉を言い換えると、ニコリと笑ってパタパタと俺の前から姿を消した。


嵐のように現れて嵐のように去ってゆく。


なんか、朝からすごい疲れた。




「洸太、購買行こうぜ」


同じクラスメイトでよく一緒に行動する誠也(せいや)が声をかけてくる。


「ああ」


昼休みになり、昼飯を買いに行こうと返事をした矢先、そういえばあの子、昼休みに迎えに来るとか言ってたよな。


「──悪い、やっぱ先行ってて」

「は? どした?」

「ちょっと担任に呼ばれてた気がするから」

「気がするってだけじゃねえの?」

「いや、まじで!」


まくし立てるように言葉を被せると、「お、おお」と怯んだ誠也。


「あー、じゃあ、先行っとくから早く来いよ」


ポンッ、と俺の肩を叩いたあと、手を振って廊下を駆けて行った。


さすがに友達と鉢合わせになるのは避けたいからな。

つうか迎えに来るって言ってだけど、本気でここまで来るのか?


「三上くん」


ドア付近で考え込んでいると、声が聞こえてハッとしたら、


「お迎えにあがりました」


廊下で俺の方を見てにこりと笑った。


「…今朝の本気だったんだ」


思わず、口をついて出た。


「何か言いましたか?」

「いやなにも」


運良く彼女には、聞かれてなかったみたい。


そんなことよりも、ここはまずい。

もうすぐすれば帰ってくる友達にこの状況を見られたらまたからかわれるに違いない。


「あのさ、ちょっと移動しない?」


だから俺は、そう提案するしかなくて。


もちろんそれに彼女は、嬉しそうに頷いた。


俺は、小さな罪悪感を抱えながら教室を出ると、その隣を彼女はついて来た。



* * *


「あの、遠くないですか?」


普段使わない道具を詰め込んでいる、いわば物置状態の教室で、少し離れたところから声が投げられる。


だって俺には、彼女がいるから。そして、こんな密室でべつの女の子と一緒にいることさえも俺には罪悪感しかなくて、一刻も早く、空き教室を出たかった。


「気のせいでしょ」


冷たく言葉を告げると、


「…ごめんなさい」


少し離れたところで縮まった彼女は、申し訳なさそうに眉尻を下げた。


密室で会っているからか、密会をしているみたいで居心地が悪すぎて俺は彼女を気にかけてやる余裕なんかなかった。


「それで、話ってなに」


何も切り出そうとしない彼女の代わりに俺が尋ねると、ああ、はい。と気を取り直して、


「名前を……」


照れくさそうに言葉を切った。


その先はなんだ? なかなか話そうとしなかったから、ハア、とため息をついて、


「名前を、なに?」

「あ、えっと、その……よければ名前を呼んでもらえないかなと、思って…」

「は?」

「あ、いや。その、一ヶ月だけでいいので…」


おずおずと言葉を告げる彼女は、弱々しかった。


けれど、俺は。


「それは、できない」

「え?」


だって、俺には。


「昨日も言ったけど彼女がいるからそういうのは無理」


今もまだ目覚めないけれど。

いつか、きっと、目を覚ましてくれると信じて。


「一ヶ月だけでいいんです。ダメですか?」

「だからそれは」

「──お願いします。一ヶ月だけでいいんです。それ以外は何も望みません!」


まくし立てられるように告げられた言葉に押されて口を開けたままでいると、


「だからどうか、お願いします!」


突然立ち上がって俺に頭を下げた。


「は? いや、ちょ、そこまでしなくても…」

「バカなことお願いしてるのは承知です。でも、この恋をいい思い出として忘れるために最後にお願いします。どうか私の願い叶えてくれませんか」


まだ頭を下げたままの彼女を見て、罪悪感が募る。


このまま何度断ったって彼女はきっと納得しないだろう。


「…一ヶ月だけだから」


ボソッと告げると、彼女はバッと顔をあげた。嬉しそうに顔をほころばせる。


「それと期待はしないで」


だから俺は、咄嗟にクギを刺した。


女と男は考え方も価値観も違う。

名前を呼んだからといって勘違いされたら困るから。


「もちろん分かってるつもりです。期待はしません」


なんだ。俺の思い過ごしか。ちょっと気が抜けた。


「あの、名前覚えてますか?」

「名前?」

「あ、その顔は忘れちゃってますね」


ぷくっと頬を膨らませて、「もう〜」と拗ねる彼女の顔が、一瞬だけ、彼女に重なって見えた。


気が緩んだ俺は、ふっと笑う。


「あっ、三上くん笑った!」


ふいに聞こえた声に、口を覆って顔を逸らすと、緩んだ顔を引き締め直して。


「名前ちゃんと覚えてるから」


ほぼ初対面相手に告白する人なんて、どこを探しても彼女以外いないだろう。


「ほんとですか?」

「ほんとだって」


俺を怪しむ彼女は、なぜか楽しそうで。


片想いはすでに散っているはずなのに、どうして昨日からそんなに笑っていられるんだろう。


ほんとに謎だ。

女の子の気持ちって理解し難い。


「それで、名前呼ぶように頼むだけでここに呼んだの?」


にこにこ笑うだけの彼女は、俺の顔にハッとして、


「あ、そうですね。その話がまだでしたよね。……あっ、でもその前にこの袋受け取ってもらえませんか?」

「…は?」


少し離れたところで袋を掲げた彼女。


「なにそれ」

「受け取ってもらえば分かります」


なんて言うだけで彼女はその場を動こうとしないから、俺が取りに行くしかなくて渋々立ち上がって袋を受け取ると、


「……これ」


中を覗くと、俺が購買でよく買っているコロッケパンとメロンパンとホットティーが入っていた。


「それ、三上くんがよく食べてるものですよね。多分、買う時間ないかなと思って買ってきました。ご迷惑でしたか?」


俺が普段食べているものまで把握しているなんて、と咄嗟に薄ら寒くなった気がしたけれど。


「……助かる」


ポケットから財布を取り出して、五百円を取り出すと、彼女に突き出した。


「えっ、お金いりません! 私が勝手にやったことですし!」

「いいから受け取って」


無理やり手のひらに乗せると、彼女は、申し訳なさそうに硬貨を見つめて、じゃあ受け取ります、と告げるとスカートのポケットへ入れた。


踵を返して、元いた場所ではなく、少しだけ彼女の近くで座ると、ありがたくパンを頂戴することにした。


「それで、さっきなんか話してたよな」


コロッケパンを食べながら視線を彼女へ向ければ、「あ、はい」と背筋を伸ばして座った。


「あのですね、その……放課後とか時間あったりしますか?」

「放課後? …なんで?」

「三上くん、あんまり人前で話しかけられたくないみたいだったので放課後なら人目を気にせずお話ができるかなぁと思ったのですが」


俺の顔をチラチラ確認しながら、言葉を選ぶように告げる。

おそらく、俺を怒らせないように気を配っているんだろうな。


「ごめん。放課後は無理だ」

「じゃあ明日でも…」

「これからもずっと無理」

「えっとそれは、彼女さんと会うからとか…ですか?」


だって放課後は、毎日欠かさず病院にお見舞いに行っているから。


あながち尋ねられたことに嘘はなく、


「…まぁ」


言葉を濁すと、一気に彼女の顔から笑顔が消えた。


「そ、そうですか。それじゃあ仕方ないですよね」

「ごめん」

「いえ! 三上くんが悪いわけではないですので。こんなこと頼んでいる私が悪いですから」


ほんの数分前までは嬉しそうに笑っていたのに、笑顔が消えるのは一瞬らしい。


「えーっと、それじゃあ」


パチンッと両手を合わせて笑顔を取り繕うと、


「たまにこうやってお昼少しだけ話せませんか? 一〇分でも五分でも構いませんので」

「え?」

「もちろん密室は避けてもらって構いません。どこか人通りが少なさそうな廊下で話すだけでもいいので」


これでもかと食い下がる彼女。


なんか話だけ聞いてると、ほんとに俺が密会してるみたいじゃん。

まあ、本人である俺にそんなつもりはないんだけれど。


「一〇分とかでいいの?」

「はい」

「じゃあ休み時間とかでもいい?」

「え?」

「そっちの方が俺の友達にも言い訳しやすいっつーか。昼休みだったら、誤解されたときが困るからさ」


全部、俺の都合に過ぎないのだけれど。だから彼女が納得するはずないよな、と心の中で笑うと、


「分かりました」


言った声に、開いた口が塞がらない。


かじろうとしていたパンから口を離して、彼女へ視線を向ければ。


「三上くんには一ヶ月無理を言って付き合ってもらっているだけなので、そこは私が合わせます」

「それでいいの?」

「はい。だって私、お二人の邪魔はしないって約束しましたから」


あまりにも物分かりがいいのか呆気にとられた俺は、そ、と告げると、パンをかじった。


「二限目のあと時間ありますか?」

「なんで二限目のあと?」

「あ、いえ。特に理由はないんですけど、他の休み時間がいいなら変えても構いませんよ」

「や、それでいい」


どうせ一〇分話す程度だし。


「待ち合わせはどこにしますか?」


問題はそこだよな。

誠也は、俺に彼女がいるって知ってるから決して見られるわけにはいかないし。


「魅音ちゃん…は、何組なの」

「あ、私七組です。三上くんとクラス離れてるから滅多に会うことないですよね」

「そーだね」


コの字型の校舎は珍しく、中庭を挟んだ向かいが六組〜一〇組だから少し遠いんだよな。

でも、そのこうが都合がいいか。


「じゃあそっち行くよ。その方が俺のこと知ってるやつ少ないだろうし」


そう告げると、え、と困惑した声をもらす。


「こっち来てくれるんですか?」

「うん」


すると、彼女は両手で頬を包み込んで嬉しそうに顔をほころばせる。


べつに彼女のためじゃない。

俺の。俺自身の保身のためだ。


だから、そんなに嬉しそうにされても困るのに何も言えなかった。



* * *



放課後、彼女のお見舞いに行ったけれど、相変わらず変化は何もなくて。

ベッドに横たわる彼女は、まるで安らかに眠っているように見えた。


病院の先生は、頭を強く打った衝撃で脳に障害が生じているんだろうと言った。

身体に外傷は見られなくて、だからあとは、奇跡を待つしかない、と。


彼女の生きたいという気持ちに賭けるしかないと言われた。


それなのに、一ヶ月待ってもその奇跡は起きそうになくて。

何もできない俺が、腹立たしくて、無力で、情けなかった。


だから今日も。


「早く起きてくれよ」


手を握って、声をかけることしかできなかったんだ。


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