第3話 玉里ちゃん、ジャスティッス。


「先生‼ それは偏見と印象論に基づいた不公平な認識です‼」

【玉里内海は憤怒ふんどした。暴虐ぼうぎゃく不遜ふそんな現代文担当教師にして私たちのクラスの担任教師の言い分を許しておくものかと威勢よく立ち上がったのである】

「伊豆さん本人に事情を詳しく聞いてから、このような場はもうけるべきだと思います」

【予定していた授業の時間を潰して急遽きゅうきょ始まったクラス内でのホームルーム。

議題はそう——、】

【伊豆サプラ監禁事件(仮)である】

「あらぬ疑いを掛けられて怒る気持ちは分かるが、玉里。伊豆は用具入れの中に無かったはずのロープで手足を縛られていた」

玉里ちゃんの指摘を受けて先生はバツが悪そうに教壇に両手を置いて真剣にしゃの掛かった表情で眼鏡を光らせる。

「このクラスの中の誰かが伊豆に対して悪ふざけをしていたとしたら、笑えない冗談だ。教師として、これに問題意識を持たないわけには行かないだろう」

クラスの雰囲気は最悪だ。沈黙の中で『ざわわ』と各々の同級生たちの表情を窺う雰囲気の音が聞こえてくるようで。

「もちろん後で伊豆にも事情は聞くし、このクラスにイジメは無いと先生は信じているが一応確認はしておかないと、な」

「……分かりました。しかし後で疑いが晴れた場合、謝罪はして頂きます」

そして、みんな汗をかいていた。玉里ちゃんと先生の作り出す耐えきれぬ空気を耐えつつ、表面張力の限界に近づくようにジワリ、ジワリと汗をかいていた。

私もそうだ。こんな険悪の状況の中、チラリチラリと陰原くんの机に視線を引き寄せられていたからだ。

無論、その異常に先生も玉里ちゃんも気付かぬはずがない。

「それから——……」

だから玉里ちゃんはグッとこらえていた感情を、満を持して解き放つように体を教壇の方から陰原くんの机のある窓際後方に向ける。

「陰原くん‼ 空気椅子するの止めなさい‼」

陰原くんは、腕を組みながら堂々と空気椅子にいどむストイックな男の子である。

【あ、突っ込んだ】

【ツッコんだな】

【そりゃツッコむよな】

誰も口に出来ずに居た異常な状況を玉里ちゃんが指摘した事で、心なしか安堵の息が教室中で漏れ始める。しかし、陰原くんだけが至って平常運転で。

「……気にしなくていい。話は聞いているし僕の背筋や腹筋、大腿だいたい四頭筋はヤワじゃない」

「気になるでしょ‼ その見た目のせいで、このクラスにはイジメが無いって私の言い分に説得力が無くなるの‼」

ギギギと音が聞こえそうな雰囲気で玉里ちゃんに首を回し、陰原くんと玉里ちゃんの対話が始まった。とは言うものの、

「椅子はどうしたの‼」

「壊れた。今は反省している」

「また筋トレか‼」

【椅子を使ったトレーニングをする際は強度の確認や点検をしよう】

ずれた夫婦漫才の風体で怒りのボルテージを上げていく玉里ちゃんに対し、のれんに腕押し、ヌカに釘、やなぎに風の陰原くん。

それでも、陰原くんにも感情があるのだ。

「空気椅子なんて前時代的な反省の仕方で誤魔化しても許される訳ないでしょ‼」

それは、玉里ちゃんの怒りに任せて椅子を叩く音と共に不意に放たれ、

陰原くんの全身の筋肉をピクリと伸縮させた。


「……空気椅子は腹筋と背筋の筋持久力を鍛える有効な自重トレーニングだよ。古臭いから間違っているという考えは捨てるべきだ。腹筋や背筋に一定時間の負荷を掛ける事で体幹を強化する。この体幹をしっかりしておくことで怪我の防止や腰痛の予防をすることが出来る。確かにきついトレーニングだけど、それに見合った効果を期待できるんだ.もちろん初めの内に気合いを入れて無理に長時間続けると続けられなくなるし逆効果になる事が多い。それでも一日の中で気が向いたときに何秒かでもいいから三セットくらいやり続けるのをお勧めするよ。それから手足を縛ったのは僕だ」



饒舌じょうぜつ‼】


【饒舌:口数多く、相手に対し不必要だと思える程に多くの言葉を発する事】

「~~~‼ そんな事は聞いていないんです‼ 今は効率の良い筋トレ方法の議論はしてないの‼」

【……空気椅子か。夜にでもやってみよう】

【先生を含めたクラス全員が、その時そう思っていました】

「「……んん?」」

しかし、私達は気付いたのです。筋肉談議に紛れてサラリと陰原くんが漏らした一言を。

「ちょっと待って。陰原くん、今……オカシな事をさりげなく言ってなかった?」

何とも言えない表情で、その一言の違和感を確かめようとする玉里ちゃん。

思わず私も息を飲みました。

すると、

「保健室に伊豆さんを連れていく時、絡まっていただけのロープを結び直した」

「スクワットする時に伊豆さんの腕が地面に着いて危ないから。邪魔だったし」

陰原くんは相も変わらずに死んだ魚の眼で真っすぐ玉里ちゃんを見て答えます。

恐る恐る私たちが玉里ちゃんに視線を送ると、玉里ちゃんはプルプルしていました。

「す、

す、

す、スクワぁぁぁッつト‼」

ダァァン!と崩れ落ちたかの如く机に叩きつけられる玉里ちゃんの上半身。

【玉里ちゃんが限界だぁぁぁあ‼】

「あー、陰原。椅子の件も含めて後で職員室に来なさい」

「玉里、他の皆も現国の教科書出してー、今からでも授業を始めます」

「先生、バケツを持った方が良いですか」

「バケツは体罰になるからな。そこにパイプ椅子があるから座りなさい」

先生の瞳は眼鏡越しでも分かるくらいに力が抜けて感情が死んでいるようでした。

【か、陰原くん……】

【陰原くんは言葉が足りない】

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