第31話 愛故に(2)

 源氏と平家の戦いは、留まることを知らなかった。

 後白河法皇より、平宗盛へ三種の神器の返還と源平の和睦が打診されたが、宗盛がその打診を断ったからだ。

 宗盛は水軍を持たない源氏が、平家に勝利する事はないと考えたようだが、義経の働きにより摂津国の水軍と、熊野水軍、伊予国の水軍が源氏に付き、平家は屋島にて敗北、壇ノ浦まで追い詰められていた。

 今、おびただしい数の船団が、義経の元に集まり、打倒平家を掲げ、壇ノ浦を目指して進軍していた。

「義経様、屋島でも申し上げましたが、そろそろ総大将であるあなたが先頭に立つのは控えて頂きたいのですが。」

 そう言ったのは、頼朝の元より派遣された梶原景時だ。軍の目付役として同行している景時は、何かと義経の戦略に苦言を呈する。

 戦は正々堂々と正面からぶつかるべきだという考えの景時は、奇襲中心の義経の戦略が気に入らないのだ。

「良いではないか。総大将は兄である頼朝だ。私は一武将に過ぎないのだよ。」

 義経の意見はいつも変わらなかった。

「戦か終わったら、官職などはいらないから、今まで一緒に過ごせなかった分、兄と一緒に過ごしたいと思っている。」

 義経は楽しそうに、そう語った。

「でも、義経様は後白河法皇に気に入られてますからね。兄弟のんびりっていうわけにはいかないんじゃないですか?」

 三郎が冗談めかして、そう言う。

 僕は景時が一瞬顔を顰めたような気がした。


 壇ノ浦は本州の最西端。関門海峡の一部である。

 この海峡は海がも速く、航海の難所であると知られている。

「義経様、今回の戦はどう見ますか?」

 義経と三郎の会話に皆が聞き耳を立てた。

「そうだな。私も海戦はあまり経験がないからな。明確な作連も立てづらい。まあ、やってから考えれば良いんじゃないか?」

 義経が皆に笑いかけた。

 皆がつられて笑う。

 源氏は海戦の経験が圧倒的に少なく、皆肩に力が入っていた。

 今の義経の笑顔で、肩に入りすぎていた皆の力が良いように抜けたようだ。

「義経様、それでは困ります。平家には海戦の経験が豊富な武将が沢山います。ここは綿密な作戦をしっかり立てて・・・。」

 そう言ったのは景時だ。

 まったく余計なことを言う。これでは義経が皆をリラックスさせたのが無意味になってしまうではないか。

「そうは言っても景時殿、現時点で有効な策が思いつかないんだ。まずは相手の出方を見てから考えるってのも、ひとつの手だと思うがな。」

 弁慶が話に割って入った。

 確かに弁慶の言う通りだ。経験が少なくては作戦の立てようがない。

 後手に回りがちになってしまうが、じっくり観察するというのも良いように思える。

「前方より平家船団近づいてきます。」

 ちょうどその時、先頭の船にいる物見から情報が伝わった。

「総員戦闘準備!」

 義経が叫ぶ。

 ついに源平最後の戦か始まった。


 壇ノ浦の流れに乗った平家船団の速度は目を見張るものがあった。

「義経様、押されております。」

 味方の船は、敵船の突撃を受けるたびに、大きく揺らされ、破損していった。

 船体に穴が空き、沈没させられた船も少なくない。

「今は耐えるんだ。もう少しで・・・。」

「そこにいるのは源義経か!」

 義経の言葉を遮って、ひとりの武将が船首に姿を現した。

「我こそは、平教経!義経よ正々堂々と勝負せよ。」

 平教経といえば、平家一の猛将と謳われている人物だ。

「義経様の慣れない船上での一騎打ちが正々堂々とは、笑止千万!その申し出、武蔵坊弁慶が承る!」

 確かに足場の悪い船上では、弁慶のような足腰がしっかりした力自慢の方が有利かもしれない。

 ふと義経の方を見ると、義経はふたりのやり取りなどそっちのけで、船が揺れるのに合わせて足踏みをしたり、軽く跳んでみたりと、奇妙な行動を繰り返していた。

「ふむ。弁慶、下がれ。今は時間稼ぎが必要だ。教経の相手は、私がしよう。」

 そう言った義経は、弁慶を下がらせて船床を強く踏みしめると、ひとの跳躍力とは思えないほど大きく跳び、教経に切りかかった。

「なにっ!?この距離を跳ぶとは、天狗の申し子というのは本当なのか!」

 刀と刀がぶつかる甲高い音が辺りに響き渡った。

 義経は着地と同時に教経の腹を蹴り、間合いを広げると再度船首に走った。

 今度は教経の船の船首で船床を強く踏みしめる義経、そして教経が斬りかかる寸前にはるか後方に跳び、源氏の船に跳び移った。

「義経は人の子では無いのか!?」

 驚愕の表情を浮かべる教経。

 天狗?・・・いや違う。

 船が一回沈み、浮かび上がる時に生まれる大きな浮力。その浮力に波の力を加えてタイミングよく跳んでいるのだ。

 驚くべきは、それを実行する事のできる観察力と身体能力。

「終えっ!義経を逃がすな!」

 戦場を縦横無尽に跳び回る義経を追って教経が船を操作するが、船の機動力で追いつけるはずはない。

「あの人はなんて事をしているんだ。重い甲冑を身に付けて、もし海でも落ちたりしたら・・・。」

 景時が額に手を当て、心配するというよりも呆れたような顔をして、義経を目で追っている。

 突然船が揺れ、大きな波が後方より飛沫を上げた。

 後ろから・・・波?

「時は来た!今こそ平家を攻めるときだ!」

 見事な跳躍で味方の船に跳び移った義経が、今度は攻撃の指示を出す。

 そうか、壇ノ浦は時間帯によって海流の向きが変わる。義経はそれを待っていたのか?!

 海流に乗り、密集して進軍していた平家船団は、急に変わった海流に対応できずに混乱していた。

 前方に位置していた船が海流に押し戻され、後方の船に衝突し、身動きが取れなくなってしまったのだ。

「今こそ反撃の時だ!突撃せよ!」

 義経の号令で一斉に進軍する源氏。

 身動きの取れない平家は、多くの兵が討ち取られ、屍を晒していった。

「弁慶!あそこに子供がいる。」

 僕は平家船団の後方に、尼に抱かれた男の子の姿を認めた。

「安徳天皇だ。可愛そうだが、生きてはいられまい。」

 弁慶がそう言った直後、安徳天皇を抱いていた尼が海に飛び込んだ。

「ま、待て!」

 思わず伸ばした僕の手が届くはずもなく、壇ノ浦の高波はあっという間にふたりを飲み込んでしまった。

 残されたのは、どこにもぶつける事のできない焦燥感。

「安徳天皇が生きていれば争いの種となる。可哀想な事だが、仕方の無いことだ。」

 弁慶が静かに手を合わせた。

 勝ち目が無いと悟ると、平家の武将達は次々と壇ノ浦に身を投げていった。

 今まで他者を蔑ろにしていた自分たちが、許されざる存在となったことを悟ったのだ。

 くそっ!何なんだ、この遣り切れない気持ちは。戦に勝利したというのに、全然そんな気がしない。

 歓喜の雄叫びを上げる源氏の中、僕の気持ちは沈むばかりだ。

 ふと船首に目をやると、ひとり佇む義経の姿が目に入った。

「義経様・・・。」

 いつもと様子が違うことを察した僕は、遠慮がちに義経に声をかけた。

「勘十郎か。」

 義経の目からは、一筋の涙が流れていた。

「すまないな。こんな姿を見せて。」

 篭手で乱暴に涙を拭う義経。

「本当にこれで良かったのだろうか・・・。」

 俯き、静かに口を開く義経。

「もちろん、兄のため、源氏のために尽くした事に後悔はない。」

 僕は相槌も打たずに、ただ義経と同じ景色を見ていた。

「自分達の都合で、他の一族が滅ぶ。こんな世の中は本当に正しいのだろうか。」

 強い海風が通り抜けた。

 その答えを見出だせる者など、どこにもいない。

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