愛故に
第30話 愛故に(1)
甲冑の擦れる音。
馬の嘶き。
既に聞き慣れてしまった音が、周囲から聞こえてくる。
また戦か。
僕はゆっくりと目を開けた。
鬱蒼と茂る山の中。
周囲は闇に包まれ、時刻は分からないが、通常であれば活動をしている時間帯でない事は明らかだ。
足場の悪い山中を30騎ほどの騎馬兵が登っていた。
どこに行っても、どこの時代でも戦ばかり。歴史家が、人の歴史は戦争の歴史だと言うのも頷ける。
理想と理想、いや主張と主張の衝突。
殺し合いの果てに、いったいどれくらいの幸福が待っているというのだろう。
・・・分かっている。
それでも、戦わなければならなかった人々がいた事を。
「そろそろ明かりを消せ。」
前を進む武将が言った。
端正な顔立ちをしている。
その武将は無骨さとはかけ離れていた。
その姿には、少年を戦場に連れてきてしまったかのような、そんな違和感さえ覚えた。
「勘十郎、大丈夫か?」
一際大きな体をした僧兵が僕に声をかけてきた。
「弁慶殿、今井殿がこれぐらいで音を上げる訳がないではないか。」
隣を進む武将が横から話に入ってきた。
弁慶?武蔵坊弁慶か?
「そうであった。勘十郎は馬術において右に出る者はいないと讃えられるほどであったな。」
弁慶が楽しそうに笑う。
「弁慶、三郎、そろそろ着くぞ。もう少し小さな声で話せ。」
三郎?伊勢三郎か?!
だんだん自分の置かれた状況が分かってきた。
武蔵坊弁慶と、伊勢三郎を従える武将。つまり、先頭を進む武将は源義経ということなのだろう。
「着いたぞ。この坂を馬で降りて平家に奇襲かける。」
義経が指した場所は坂などという生易しいものではなく、正に崖だった。
「義経様、本当にここを降りるのですか?!」
三郎が驚いた様子で、義経に疑問を呈した。
無理もない。目の前に広がるのは誰が見ても坂とは呼べないような切り立った崖。
これがあの有名な『鵯越の逆落とし』と言うわけか。
「三郎、安心しろ。地元の人に聞いたが、鹿はこの坂を降りるらしい。馬も鹿も同じ4本脚の動物だ。降りられない道理はない。」
仲間に動揺が伝わるのが分かる。
それはそうだ。誰もこのような崖を馬で降りようとは思わないだろう。
「勘十郎はあまり驚いていないようだな。」
義経が僕に声をかけてきた。
まあ、義経のこの言葉はかなり有名だから知っていたし・・・。
「人が思いも寄らない所から攻めてこそ、奇襲は成功すると思います。」
正直に「知ってた」とは言えないので、僕は少し格好つけて答えた。
「皆、勘十郎の言葉を聞いたか?我々が考えつかなかったように、平家もここから攻めてくるとは思っていない。この奇襲は成功するぞ!」
義経は皆に激を飛ばす。
「ここを下れば平家の陣の真上から攻撃することとなる。まずは火を放て!そうすれば本体である範頼殿が攻め込んでくる。それまで平家軍を撹乱するんだ!」
そう言うと義経は自ら先陣を切り、鵯越を駆け下りていった。
総大将をひとりにするわけにもいかず、次々と駆け下りていく騎馬兵。
信じられない事に、ほとんどの騎馬が駆け下りることに成功し、平家の陣へと攻め入った。
「ば、馬鹿な?!源氏がこんな所から。」
真上から奇襲をかけてくるとは夢にも思っていなかった平家達は混乱を極め、戦いもせずに逃げ出していく。
「逃げるな!それでも誇り高き平家か?!」
指揮官と思しき人物が指示を出すが、耳を貸す者はいない。
平家は貴族化され、武士の精神を失ってしまっていたと聞くが、確かにここまで脆く崩れていく軍は今まで見たことが無かった。
「東より源範頼、西より安田義定が攻め込んできます。」
伝令の声が陣中に響く。
「囲まれる前に退却するんだ!」
平家軍は混乱を極めていた。
既に戦おうとする意志のあるものは存在せず、我先にと逃走用の船に乗り込んでいく。
「逃がすな!追撃せよ!」
本体を指揮していた武将、源範頼が平家追撃の指示を出す。
「勝負あったな。」
話しかけてきたのは弁慶だ。
大薙刀を肩に掛け、僕の方へ近づいてきた。
「勘十郎の言葉で、皆が奮い立った。感謝している。」
真っ直ぐに感謝の意を伝えられ、少し恥ずかしかった。
「私も追撃に参加します。」
僕は照れくさくなって、海岸方面へ顔を向けた。
後ろから「油断するなよ。」と弁慶が声をかけてきたので、軽く右手を振って答える。
逃げる敵を討つのは気が引けるが、戦場で綺麗事など言っていられない。
どうするのが正解なのかなど、分かるはずもないが、今は自分の置かれた状況を一生懸命に生きるだけだ。
他人を蹴落とし、我先にと船に乗り込む平家たち。
逃走用の船が絶対的に足りないのだ。
乗り遅れれば、命は無い。
源氏によって放たれた矢の雨が、恐怖を助長させる。
定員を過ぎた船は船足が鈍り、最悪沈没してしまう事だろう。
海に流れた赤い血の何割かは、味方を切りつけたものなのかもしれない。
そんな中、僕の目に止まったのは、船までもう少しの所までという所まで進みながらも振り返り、源氏の武将と相対したひとりの武将。
甲冑や馬具の作りから、名のある武将なのだと予想できる。
対する源氏の将は熊谷直実。歴戦の猛将だ。
平家の武将は体も細く。
ひと目で分が悪いと分かるほどだ。
一太刀、二太刀。
刀を交えるたびに劣勢に追い込まれる平家の武将。
ついに落馬してしまった所を、直実に抑え込まれてしまった。
しかし、どういうことだ?
首を刎ねようと直実が馬乗りになった直後、ふたりの動きが止まったのだ。
何が起こった?
僕は心配になり、ふたりの元へと急いだ。
直実が一回、二回と僕を見る。
いったいどうしたと言うんだ。
あと少しで僕が到着するというところで、直実が勢い良く首を振り、大きく振りかぶった刀を平家の武将に振り下ろした。
砂浜に首が転がり、流れ出た血液が砂に染み込んでいく。
「熊谷殿、どうかされましたか?」
首を刎ね、呆然としている直実に僕は話しかけた。
「勘十郎殿、武士とは何と情けない者なのだろうか。」
そう言った直実は、苦悶の表情をしていた。
「私が武士で無ければ、このように息子と同じような歳の子供を討たなくて済んだというのに。」
そう言い、両手で顔を覆う直実。
手の隙間から嗚咽が漏れた。
僕にはかける言葉が見つからなかった。
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