第27話 生きる意味を求めて(2)

 残暑と言えど、甲斐の国の暑さは猛烈という訳ではない。

 晴信に多少は気にかけてもらっているように感じるが、足軽という立場上、正面きって話をするなどという事はできずにいた。

「現実とは、甘くないものなのだな。」

 河原に座り、ひとり呟いてみた。

 透き通った川の水に反射する太陽の光が眩しく、僕は目を細めた。

 小鮒であろうか。川の中では群れを成した小魚たちが、忙しなく泳いでいる。

「佃煮にしたら美味いかなぁ。」

 浪人をしていたときは、川に罠を仕掛けてよく獲ったものだ。

「おぉ、勘助。ここにいたか。」

 話しかけてきたのは、僕と同じ足軽の与吉だった。

「勘助、聞いたか?戦があるらしい。何でも晴信様が北信濃に進軍するとの事だ。」

 とうとう来たか。

 甲斐の虎、北信濃進出。

 上杉謙信と戦った、『川中島の戦い』も近いというわけだ。


 砥石城。

 北信濃の戦国大名である村上義清の出城だ。

 晴信は一度、村上義清に敗れているので、面目を保つためにあり得ない戦力差で戦に望んでいる。

 その数、7千。

 砥石城の守りが5百と聞いているので、14倍の戦力差があるということになる。

「降伏しませんね。」

「砥石城の兵士は、以前私が滅ぼした志賀城の残党だ。死ぬまで抗う覚悟なのであろう。」

 晴信と側近の会話が聞こえてきた。

 こんな時代だ。『滅ぼす』『滅ぼされる』という事は、それほど珍しく無いのかもしれない。しかし、相手の恨みを買い、また戦に発展する。そんな事の繰り返しなど悲しすぎる。

 砥石城とはよく言ったもので、砥石城の周りは砥石のように平らな石でできた崖で囲まれていた。

「この城を落とすのは厄介だな。」

 崖を登るのに、どれくらいの時間がかかるのだろうか。

 見た感じだと、かなりの時間がかかりそうだ。

 僕が守るのであれば、登ってきた兵を引きつけて、上から物を落とす手を使うだろう。

「勘助は臆病だのう。まあ見ておれ、私の部隊がすぐに陥落させてやるから。」

 そう言ったのは、足軽大将の横田高松だ。

「行くぞ!私に続け!」

 高松に続き、足軽部隊が砥石城に突撃した。

「ま、まて!まだ策も練っていないのに!」

「勘助は足が悪いからな。そこで指を咥えて見ておれ。」

 高松隊が威勢のよい声を上げながら、崖に手をかけ始めた。

 砥石城側の動きはまだ無い。

「敵は武田軍に恐れを成して逃げ出したぞ!皆、登るんだ!」

 高松が大きな声で指示を飛ばす。

 本当か?本当に逃げ出したのか?

 さっきの話だと、相手は武田晴信に恨みを持っているはず。そんな人間が簡単に逃げるはずは・・・。

「一番乗りは、この横田高松じゃ!」

 もうすぐ高松の手が崖の上に届く。

「ご苦労だったな。」

 突如、崖の上に現れた村上軍。

 その手に持っているのは、大弓。

「皆、よく狙えよ。」

 引き絞られる弦。

 まずい!成す術がない!

「射て!」

 真上から放たれる矢の雨が、高松隊を射抜いた。

 上で射抜かれた仲間が落下をする際に、下の仲間を巻き添えにし崩れ落ちる。

「次を準備しろ。」

 出てきたのは、人の頭ほどはあろうかという大きな石。

 石は頭を砕き、腕を折り、血を撒き散らした。

「最後は煮え湯でも浴びせておけ。」

 戦意を喪失した高松隊に、追い打ちをかけるように煮え湯が撒かれた。

 悲鳴が響き渡る。

「ひでぇ。」

 助けに行くのも忘れて、立ち尽くす仲間達。

 崖の下には、地獄のような光景が広がっていた。


 10日。

 いや、さらに多くの日数が費やされたかもしれない。

 武田軍は未だに、砥石城を攻めあぐねていた。

 日々崖の攻略に向かうが、戦果を上げることなく、ただただ時間と戦力を浪費するのみ。

 天下の名将『武田信玄』も、若かりし頃はただの猪武者だったということか。

 しかし妙だ。

 武田軍がここまでの兵力で砥石城を包囲していたら、補給もままならないはず。

 籠城するにも、あのような小城では物資の備蓄も心許ないだろうに・・・。

「村上義清本人が援軍に来るのではないでしょうか?」

 僕が晴信にそう上申したのは、10月に入ろうという時期だった。

 晴信は「高梨と敵対している村上軍が、こちらに兵を割く余裕はない。」と言っていたのでこの話は終わりにしたが、可能性があるのであればもっと強く言っておくのであったと後悔した。

 突如、村上軍が現れたのだ。

 兵力は2千程度であったが、疲弊していた武田軍に迎え撃つ力は残されていなかった。

「迎え撃て!数は我らが圧倒的優位、押し返すんだ。」

 晴信の指示が飛ぶ。

 しかし、突然現れた村上本隊に対応するには、意識を城に向けすぎていた。

 バタバタと倒れていく武田軍。

 後方からの襲撃に対応すべく、足軽や騎馬隊が村上本隊方向へ一気に移動する。

 それじゃ駄目だ!

 あまりにも多い人の流れが混乱を呼び、足を遅くする。

 驚いた騎馬が暴れ、仲間の兵を蹴り、逃げ出した。

 ここまで統率取れていた軍が、ひとつの事柄で烏合の衆と化したのだ。

 この混乱を見逃す将などいない。

 追い打ちをかけるように出撃してきた砥石城の兵達。

 こうなったてしまったら、武田軍には成す術は無い。

「晴信様、退却の指示を!」

 僕は身分もわきまえず、晴信に叫んだ。

「勘助か?」

 馬上の晴信は悔しそうに戦場を一瞥し、手綱を握りしめると退却の指示を出した。

「退却だ!退却するんだ!」

 伝令が戦場を駆け、自軍に指示を伝える。

「晴信様、早く!退却しますよ!」

 指示を出したまま立ち尽くす晴信に僕は声をかけた。村上軍はすぐそこまで迫っていた。

「我が民を、多くの民を失ってしまった。」

 呆然としている晴信。

「勘助、晴信様を安全な地へ!」

 僕に声をかけてきたのは、足軽大将の横田高松だ。

「後はなんとかする、早く行け!」

 晴信の手綱を握り、動かない足を引きずりながら僕は走り出した。

「待て勘助!残った者たちを助けなければ!」

 我に返った晴信が僕にそう言ったが、僕は構わず走り続けた。

「勘助!」

「駄目です!死んでいった兵の為にも、あなたは生き残らなければ!」

 馬乗で振り返り、唇を噛みしめる晴信。

「皆、すまない。」

 晴信の呟く声を、僕は聞こえない振りをした。

 大打撃を受けた武田軍を、執拗に追撃する村上軍。このままでは、退却もままならなくなり、犠牲となった高松に顔向けができない。

「晴信様、私に騎馬を50騎ほどお貸し願えないでしょうか。」

 目を丸くする晴信。

「勘助、騎馬50騎で何ができるというのだ?死ににいくようなものだ。」

「このまま退却しても、村上軍は手を緩めることはしないでしょう。私が策をもって食い止めます。晴信様はそのうちに安全な地へ退却して下さい。」

 晴信から返事は無かった。

 しかし、時は待ってはくれない。僕は「失礼します。」とだけ言うと、出陣の準備をしに晴信に背を向ける。

 晴信が勘助の名前を呼んだ気がしたが、僕は振り返らなかった。誰かがやらなければ、撤退は犠牲が増えるだけだ。

「目的は、村上軍に武田軍が盛り返してきたと思わせる事だ。」

 これから僕は遊撃に向かう。

「戦わなくて良い。」

 騎馬隊たちに僕は言った。

 目的は武田軍が持ち返したと村上軍に勘違いをさせて、退却までの時間を稼ぐこと。

 遊撃しつつ武田本隊が移動していると、思わせられれば良い。

 大丈夫だ。

 遊撃は信繁と一緒に、大坂の陣で散々やった戦法だ。

 僕は武田本隊が退却し始めるのを確認すると、南に向かって馬を走らせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る