第25話 託されたもの(4)

 吐く息が白い。

 先月より幾らかは暖かくなっているようだが、まだまだ寒い日が続いている。

 今日は、朝から少しだけ雪がちらついている。この分だと積もることはせずに、昼過ぎには消えてしまうだろう。

「孫市様ぁ。こっちこっち!」

 子供たちが松の木の下で手を振っている。いつの時代でも子供は元気だ。

 僕は目を細めてその様子を伺っていた。

「孫市様ここに居ましたか。一大事です。」

 走ってきたのは僕の補助者をしている辰吉だ。

「織田軍が雑賀討伐のため、挙兵をした様子。その数10万。」

 何だって?!

 織田軍は本願寺との戦で、疲弊しているはず。この時期に挙兵する余力など無いはず。

 本願寺を落とすには、雑賀衆を殲滅するのが近道だと織田信長は判断した。というわけだ。

 木津川口の戦で、雑賀衆は目立ち過ぎたのだ。

「どうしますか?」

 どうするも何も、迎え撃つしか無いだろう。

 しかしどうやる?

 小田軍10万に対して、我々雑賀衆は2千ほどの戦力しか無い。

 たかが傭兵集団である雑賀衆を助けようとする大名がいるとも思えない。

 考えろ、考えるんだ。

「孫市!孫市ー!」

 清正さんが走ってきた。

「中野城が、墜ちた。」

 くそっ!中野城には戦力を割いてはいなかった。さすがは織田信長と言うべきか、行動が早すぎる。

「皆を雑賀城に集めるんだ、作戦を立てるぞ。」

 僕は二人にそう伝えると、雑賀城に急いだ。

 織田軍は海岸沿いと内陸の二手に分けて、雑賀の里に進軍中だ。

 海岸沿いを進行していた、滝川一益・明智光秀は中野城を制圧し待機中。

 中野城を第一拠点として、雑賀城に攻撃を仕掛けるという作戦だろうか?

 一方、内陸を進む羽柴秀吉はそのまま進軍中。紀ノ川を渡るのも時間の問題だ。

「作戦だが、まずは内陸を進軍中の羽柴秀吉隊を撃退する。」

 場所は小雑賀川。

「急いで小雑賀川に陣を引け、そして川の中に馬が通れるぐらいに間を開けた柵を立てておくんだ。」

「馬を、通してしまうんですか?」

 そう、これは心理戦。

 人は急いでいる時ほど、楽な道を通りたがるものだ。数で劣る雑賀衆は人の心でさえも利用しなければ勝利は掴めない。

「小雑賀川の羽柴秀吉隊を撃退したら、すぐに雑賀城に帰還。滝川一益と明智光秀に備えるぞ!各自準備に取りかかれ!」

 威勢のいい声と共に、雑賀の男たちが立ち上がった。


「圧巻だな。」

 もう笑うしかない様な戦力差だ。

 小雑賀川の両岸で向かい合った、織田軍と雑賀衆。

 例えれば、大人と子供。

 いや、蟻と象ほどの力の差がありそうだ。

「孫市、さすがに今回はヤバそうだな。」

 清正がゴクリとツバを飲んだ。

「どうします?一緒に逃げますか?」

「バカ言え!今回も何とかしてくれんだろ?!」

 雑賀孫市っていつ死ぬんだっけ?

 僕は記憶を辿ってみるが、孫市がどのような人生を送ったか、というような知識は持ち合わせていなかった。

 そもそも孫市の名前が受け継がれていくものなら、その人の生涯など語り継がれる訳も無いのだ。

 もう聞き慣れた法螺貝の音が鳴った。

「雑賀衆は3列に陣形を取れ、前に狙撃手、すぐ後ろに補助者、一番後ろは弓兵だ。」

 羽柴隊が小雑賀川を渡りだした。

 先方は堀秀政。あまり聞いた事のない武将だ。

 小雑賀川は流れが緩やかで、幅の広い川だ。通常であれば、馬で渡ることなど造作もない。

 しかし僕は事前に川の中にも柵を建てることを指示しておいた。

「川の中の柵を避けて勧め!」

 避けて進む。

 つまり、川の流れに逆らう者が出てくるということだ。

 徐々に馬の嘶きが増えてきた。緩やかな川であっても流れに逆らって進む事は困難だ。

 ましてはこの密集した状態。思うように進めるものかっ!

「待て、隊列を乱すな。」

 案の定、進めなくなる者が出てきた。

「雑賀衆弓隊、構え・・・放て!」

 密集した羽柴隊めがけて、放物線を描いた矢の雨が降り注いだ。

「くそっ、構うな。数ではこちらが優位だ!突撃しろ!」

 秀政が指示を飛ばす。

 しかし弓で倒れた味方がさらなる障害物となって、後進の味方の進行を阻んでいた。

「突撃だ!準備ができた者から突撃するんだ。」

 川の中でもたもたしていても矢の餌食になると判断した秀政が、さらに突撃の指示を飛ばした。

 一人、また一人と柵を越えてくる騎馬隊。

「行け!相手は寡兵だ、殲滅せよ!」

 羽柴騎馬隊が、気合と共に馬の横腹を蹴った。馬が速度を上げる。

 しかし次の瞬間、羽柴騎馬隊は次々と落馬していった。

 よし、計算通り!

 柵の出口に沈めておいた桶や壺、槍先が馬の脚を捕ったのだ。

「鉄砲隊用意!・・・撃て!」

 狙撃手と補助者が協力する『組打ち』。

 雑賀衆の得意とする戦法だ。

 いつもより補助者の数を減らし、狙撃手の数を増やしているため、連射はできなくなるが、広範囲の狙撃が可能となった。

 次々と倒れ、小雑賀川を赤く染める羽柴隊。

「弓隊、矢を番え!・・・放て!」

 後方の羽柴隊を雑賀弓隊が狙う。

「引けっ!中野城まで後退するぞっ!」

 秀政が急いで退却の指示を出した。この衝突で羽柴隊の受けた損害は、計り知れないだろう。

 次は沿岸から進軍してくる滝川一益と、明智光秀を迎え撃つ。

 僕は急いで雑賀城へ馬を走らせた。


 雑賀の里では、既に小競り合いが始まっていた。

 里の皆が民家の影から鉄砲を撃ち、何とか織田軍の進撃を食い止めている。

「くそっ、間に合わなかったか。」

 僕は馬上から明智隊を狙撃しながら、一軍を率いて戦いの中に割って入った。

「皆、雑賀城まで引け!ここは食い止める、早く雑賀城まで逃げるんだ!」

 里に入ってきたのは、まだ少数。この人数なら持ちこたえられるはずだ。

「踏ん張れ!正念場だぞ!」

 小雑賀川での戦の後、補給をしていない。手持ちの火薬も残り僅かだ。

「引けっ!雑賀城まで急げ!」

 徐々に増える明智隊。そろそろ僕も下がらないと危ない。

 進軍してくる明智隊に発砲したが、弾は空へと消えていった。

 これで弾も最後だ。

「全軍、退却!」

 一斉に退却する雑賀衆。

 大丈夫、城に帰れば弾も火薬も補給できる。織田軍なんかすぐに撃退できるはずだ。

 そう思った矢先、僕の耳に泣き声が聞こえてきた。

「子供の・・・声?」

 まさか、逃げ遅れたのか?!

 僕は周りを見回した。

 何処だ?

「誰かいるか?!返事をしろ!」

 確かに聞こえる泣き声、しかし何処から聞こえてくるか分からない。

 畜生!どうすれば良い?!


 ――弱い奴らを守るんだ。


 先代孫市の言葉が頭に響く。

 分かってるよ!

 僕は馬から下りると、辺りの民家を探し出した。

 どんどん大きくなる戦の音。

 明智隊の数が増えているのが、はっきりと分かった。

 くそっ!何処だ?

 うかうかしていたら、滝川隊まで攻め込んでくるぞ。

 さっきより、明らかに大きくなっている泣き声。

 どこだ?でも近いはずだ!

 いた!

 僕は民家の影で震えている男の子を発見した。

「もう大丈夫だ!一緒に逃げよう。」

 男の子を抱きしめ、精一杯優しい声で話しかける。

「孫市様ぁ!」

 首に抱きついてくる男の子。

「ここに一人いるぞっ!」

 敵兵の声がした。

 くそっ!見つかった!

 鉄砲を構える敵兵の姿が目に入った。

 ダメだ間に合わない。せめてこの子だけでも・・・。

 敵兵を背に必死に男の子を抱きしめ、目を固く閉じた。

 火薬が弾ける音がした。

 万事休すか!

 しかし、いくら待っても背中に痛みは感じない。

 何だ?何が起こったんだ?!

 僕は恐る恐る目を開けた。

「孫市、無事・・・か?」

 そこには仁王立ちする、清正の姿があった。

「マサさん!」

 地面は滴り落ちる清正の血で、赤く染まっていた。

「雑賀相手に、鉄砲でやり合えると思うなよ!」

 気合と共に撃った清正の弾丸は、確実に敵兵の額を捉えた。

「へへっ、ドジ踏んじまった。」

 膝を付く清正の顔色は真っ白だ。

 下腹部からの出血がひどく、着物はどんどん赤く変色していった。

「ずっと後悔していた。」

「マサさん、しゃべるな!」

 清正の口から血液が溢れる。

「まあ、そう言うなよ。最後のおしゃべりだ。」

 咳き込みながら、清正がそう言った。

「子供をよ、ひとり殺したんだ。」

 覚えている。僕が撃てなかった、あの子だ。

「あれからずっと、後悔していた。」

 苦しそうに喘ぐ清正。

「誰かを、守りたかっただけなのに。」

 ただの戦好きだと思っていた清正が、こんなに苦しんでいたなんて。

「今度は・・・守れたかな。」

 僕の腕の中で、清正の体がどんどん冷たくなっていくのが分かる。

「あぁ!守れたとも!」

「いたぞ!」

 敵兵だ。

「行け・・・孫市。皆を守るんだ。」

 くそっ!

 すまん、清正!

「雑賀城まで走れ!」

 僕は男の子の手を取って、雑賀城まで走り出した。

「ひとり逃げたぞ!」

 弾切れの鉄砲を肩から外して、少しでも身を軽くし、銃弾の飛び交う戦場を一直線に走り抜ける。

 肩と太腿が焼けるように痛い。

 被弾したか?!

 それでも縺れそうになる足に鞭打って走った。

「孫市様!」

 数人の雑賀衆が、雑賀城から飛び出してきた。

 あと少し、あと少しで城門に到達する。清正の守った命を繋がなければ!

 城門を潜った。

 やった!間に合ったぞ!

 直後に聞こえる火薬の音。

 背中に感じる痛みと衝撃。

 スローモーションのように流れる景色。 誰かが叫んでいる。水に潜っている時のようにくぐもった声だ。

 地面が・・・近づいてくる。

 あぁ、そうか。

 撃たれたんだ。

 弾は貫通して、胸まで赤く染め上げていた。

 これで、終わりか・・・。

 不思議なほどすんなりと、死を受け入れた。

「孫市様ぁ!」

 男の子の声がした。


 今度は、守れたのかな・・・。

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