第23話 託されたもの(2)

 ――天下布武。


 織田信長による政策のひとつ。

 信長の天下統一と、武家中心の泰平の世を築くというもの。

 しかし、この政策に異を唱える集団が2つあった。

 ひとつは、日本最大級の宗教武装集団である本願寺。

 もうひとつは、傭兵集団である我々雑賀衆だ。

「孫市さん、本願寺からは何と?」

 早馬を駆けさせ、山間の集落まで本願寺の使者がやってきた為、孫市を中心とした雑賀の男たちは、雑賀城のある雑賀の里まで戻っていた。

「本願寺が織田軍に包囲されているらしい。雑賀衆は本願寺を援護し織田軍を退けろとの事だ。」

 簡単に言ってくれる。

 その行為が、どれほど難しいか分かって言っているのか?

 孫市は腕組みをして目を瞑り、暫く考えている。

「考えても仕方ないな。紀州に拠点を構える限り、信長とは争う運命にあるのだろう。」

 孫市はポンと両手の掌を合わせると、まるで買い物にでも行くかの様な軽い調子でそう言った。

「勘八、武器庫に行って銃と弾の備蓄を調べてくれ。」

 織田信長。

 誰もが認める、戦国一の武将。

 同じく戦国一と称される真田信繁と違うところは、信長が人を使うことに長けていたと言うことだ。

 信繁が『兵』ならば、信長は『将』なのだ。

 今度はそんな奴と一戦交えるのか。

 考えるだけで憂鬱になる。

 天下布武、楽市楽座、関所撤廃。

 信長の政策は歴史の教科書でいくつも習った。

 「武家による泰平の世を築く」。

 聞こえは良いが、早い話が武士が一番偉いって事だろう。

 時代の流れとはいえ、自分が一番上の位だと信じて疑わない者は独裁者でしかない。

 雑賀の里には明確な階級がない。

 皆が同じ様に畑を耕し、収穫し、歌い、飲み、笑う。

 今まで見てきたどの村よりも生き生きとしている。

 平等で差別の無い世界。

 現代日本では当たり前の物が、ここにはあるのだ。


 本願寺は宗教団体と銘打っているが、実質は一大武装集団だ。

 裏で組織された僧兵たちが、各大名に圧力をかけ、莫大な利益を得ている。

「信長は本気で本願寺を潰しに来てるな。」

 早朝、織田軍の陣形を確認しながら、孫市が言った。

「しかし何故です?領土を持っている大名を攻めるのは分かりますが、本願寺は領土を持っているわけではありません。本願寺を落としたとして、信長にそれほど利があるとも思えないのですが。」

 確かに、もっともだ。

「わからねぇか?本願寺は大阪湾に面した好立地にある。ここを手に入れちまえば、毛利、上杉に睨みを効かせられるって訳だ。」

 孫市が地面に地図を書きながら、そう教えてくれた。

 なるほど。教科書には一揆を抑えるためとか、力を付け過ぎた本願寺の勢力を削ぐためとか色々書いてあったけど、早い話が本願寺は信長の領土拡大に巻き込まれたということか。

「さて、作戦だ。」

 孫市が隊長クラスの人間を呼び集めた。

 隊長クラスの中には勘八も入っている。

 意外な事に、勘八は銃の名手であり、雑賀衆の代表的な銃の使い方である『組撃ち』の狙撃手を担っている。

「作戦って言っても、いつもと変わらねぇ。隠れる、撃つ、逃げる。これの繰り返しだ。」

 孫市がにやりと笑った。

「そして織田軍が攻めてきたところに、全員でぶっ放してやれ。」

 やれやれ、乱暴な作戦だ。

 しかし数で遅れを取っている雑賀衆にとって、ゲリラ戦というのは合理的な作戦なのであろう。

「さて、いこうか。」

 孫市の合図で狙撃手が立ち上がり、それに補助者が続いた。

 さっきまで人懐っこい笑顔をしていた男たちの顔が、戦士のそれとなった。

 さあ、戦の始まりだ。

 本願寺は周囲を堀で囲い、さらに柵を設け、寺もいうよりも城に近い。

 本願寺の前には参拝者が集まる、大きめの広場がある。

 数で劣る雑賀衆の作戦は、この広場に織田軍を誘い込み、周囲から一斉に狙撃するというものだ。

 夜明けが近い。

 それまでに織田軍を誘い込まなければならない。


 塀を背に、薄闇に隠れ大阪の街を移動する。

 4人の補助者が僕に続いて来る。

 補助者には、僕に銃を渡す者、発砲した銃を受け取る者、銃の掃除をする者、銃に火薬と弾を込める者がいる。

 焦らず、素早く、各自が的確に動けば、15秒間隔ほどで銃を撃つことができる。

 戦国時代にここまで速射ができるのは雑賀衆ぐらいだろう。

 武田騎馬隊を破った織田軍でさえ、ここまでの熟練者はいない。

「ハチさん、いました。」

 前方100メートルぐらいの位置だろうか、薄暗い中で松明に照らされている武将の姿を発見した。

 僕たちは長屋の間の路地に入り、火縄に火をつけた。

 長屋の裏手を回り、織田軍に近づく。

 あと20メートル。

 圧倒的な兵力の差が油断を生んでいるのか、織田軍の武将がこちらに気付く様子はない。

「孫市さんもいますね。」

 補助者の一人である辰吉が、僕に耳打ちをした。

「あそこです。織田軍の目の前の民家の影です。」

 目を凝らすと、民家の塀の入口付近に植えられた木の影に孫市の姿があった。

 もうあんなに近づいたのか。

 僕も急いで移動したつもりであったが、やはり孫市の名は伊達じゃない、ということだろう。

 孫市がこちらを見た。手で「座れ」と合図をしている。

 ここで待て、ということだろうか。

 僕はこれ以上は間合いを詰めず、塀の影に身を隠す。

 照明弾が上がった。

 作戦開始だ。

 僕から武将までの距離は少し遠い。しかし、僕は孫市の指示通りここで銃を構えた。

 照明弾にざわつく織田軍。

 その前に一人の男が躍り出た。

 孫市だ!

 何やってんだ、あの人は!

 総大将自ら敵の目前に出るなど、聞いたことがない。

「おい、お前ら!この雑賀孫市が相手してやるぞ!」

 馬鹿なのか?!

 やっぱり馬鹿なのかあのひとは?!

「雑賀孫市だと?!誰か、あの者を捉えよ!」

 一人の武将が叫ぶ。

 あれが指揮官というわけか。

 孫市の行動のおかげで、指揮官を特定する事ができた。まさか、ここまで計算して・・・?

 4人の騎馬兵が孫市に向かって走る。

 距離は10メートル。時間にして数秒だ。

 孫市が火縄銃を構えた。

 駄目だ!間に合うわけがない!

 銃声が響き渡る。

 騎馬兵がひとり、馬から転げ落ちた。

 孫市が撃った銃を補助者に放る。すると絶妙なタイミングで、弾を込め終わった新しい銃が孫市に手渡された。

 ふたつ、みっつ。

 孫市が火縄銃を撃つたびに、騎馬兵が馬から転げ落ち、動かなくなる。

 は、早い。

 これが雑賀衆頭領の力か。

「さて、逃げっかな。」

 相手が怯むのを確認すると、孫市は振り返り、走り出した。

「追え!逃がすな!」

 我に返った織田軍が孫市を追い始める。

 孫市と目が合った。

 ったく!事前に打ち合わせとか無いのかよ。

 僕は塀から半分だけ身を乗り出すと、先頭を走る指揮官に向かって発砲した。

 弾は指揮官の兜に弾かれてしまったが、足止めには効果は十分。

 僕は補助者から新しい銃を受け取り、さらに弾を撃つ。

 今度は右の肩口を捉えた。

 鎧の隙間から、血が滴り落ちているのが分かる。

「くそっ!伏兵か。一時撤退するぞ!こう暗くては的になるのが関の山だ。」

 織田軍が撤退するのを見て、大きく息を吐いた。

 少数による各小隊の撃破。

 これが雑賀の戦い方か。

 正直、生きた心地がしない。

「おい、ハチ。良くやったな。じゃあ次に行くぞ。少しづつ広場に誘い込むんだ。」

 いつの間にか近くに来ていた孫市がそう言った。まったくタフなオヤジだ。

 僕と孫市は、お互いの位置が分かるように注意しながら大阪の街を進んだ。

 突然、織田軍に出くわしても、援護し合える様にだ。

「ハチ、何か聞こえないか?」

 孫市が茂みの中から話しかけてきた。

 耳を澄ますが、特に何も聞こえない。

「子供だ。どこかで子供が泣いてる。逃げ遅れたのか?」

 孫市が立ち上がり、辺りを見回す。

「あっちだ。」

 暗がりを物ともせず走り抜ける孫市。

 いつ織田軍に出くわすとも知れず、危険だとは思ったが、総大将をひとりにはできない。仕方なく僕もそれに続いた。

「逃げ遅れたんだな。」

 小屋の影に座り泣いている男の子を見つけると、孫市は男の子の前にしゃがんだ。

「大丈夫だ。おじちゃんが、安全な所まで連れてってやる。」

 優しく話しかける孫市。

「孫市さん、今はそんな時じゃ・・・。」

 そう言った僕に、孫市の鋭い眼光が突き刺さった、

「ハチよ、こんな時じゃなきゃ、いつ助けるんだ?」

 男の子の頭を孫市が撫でる。

「子供はよ、宝なんだよ。俺たちの将来の宝だ。」

 そう言った孫市の声は、優しさに満ちていた。

「じゃあ、一回本願寺に戻・・・。」

 そこまで言った孫市の動きが止まった。

「いたぞ!敵がいたぞ!」

 孫市の右脇腹には深々と矢が刺さり、腰から足にかけて血で赤く染め上げていた。

 やられた・・・のか?

「孫市さんっ!」

 僕は考えるより先に、手に持っていた銃を織田軍の兵士に向けて構え、発砲した。

 塀に弾かれる弾丸。

 くそっ!

 当たれ!当たれよ!

 2発、3発と撃つが、一発も当たらない。

「ハチさん、一回本願寺に戻りましょう!」

 味方の言葉で我に返った僕は、急いで本願寺に戻った。


 結果的に戦は本願寺の勝利に終わった。

 不用意に広場に出てきた織田軍に、作戦通り雑賀衆が一斉砲火を浴びせたのだ。

 しかし、雑賀衆は想像できないほどの痛手を被った。

「ハチよ。」

 孫市が僕を呼んだ。

「俺は、もう・・・長くない。」

 孫市の顔は土のような色をしている。

 きっと血が足りないのだ。

「次の雑賀孫市は、お前だ。」

 何を言ってるんだ、この人は。

「俺も・・・歳だからよ、そろそろ引退だなんて皆に話してあったんだ。」

「そんな話、後でいいよ!今は、傷を治して、それで・・・。」

 孫市が僕を制する。

「今じゃなきゃ話せねぇ事だ。」

 孫市の顔が苦痛に歪んだ。

「雑賀孫市が死んだって事は、誰にも漏らしちゃならねぇ。」

 孫市が僕の手を取った。

「皆を頼んだぞ、孫市。強い奴が、弱い奴らを守るんだ。」

 孫市の手が力無く床に落ちた。

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