第21話 日の本一の兵(4)
新緑の季節。
一年のうちで最も過ごしやすいのが、この時期だ。
川沿いでは花々が咲き誇り、山では力強い木々が新たな命を芽吹かせる。
冬を越した動物たちは活発に動き出し、小鳥たちは恋の準備を始める。
しかし、人間たちのやることは変わらない。
戦、戦、戦。
大阪冬の陣で和平が締結されたはずだというのに、徳川・豊臣両陣営は戦の準備を止めず、とうとう各地で衝突が起こっていた。
冬の陣と違うのは、大阪城の堀が埋め立てられ、籠城には不向きと判断した豊臣方が野戦へ移行した点であろうか。
現在、真田軍のは道明寺へ急いでいた。
前軍の後藤基次が徳川軍と衝突したと連絡があったからだ。
徳川軍武将の名前は伊達政宗。
伊達男などという言葉があるように派手なイメージが先行しがちだが、武勇に秀でた名将だ。
前軍には他にも武将がいたはずだが、基次が孤軍奮闘しているらしい。いったい、他の武将は何をしているのか。
「甚八。」
考えを巡らせていると、前方より下がってきた信繁が話しかけてきた。
「信繁様、いかがなさいました?」
何事かと、信繁の馬の横に自分の馬を並べた。
元々、甚八が馬術に秀でていたとはいえ、随分と馬術が上手くなったと我ながら思う。
「負け戦に付き合わせてしまったな。」
前を向いたまま、信繁が言った。
僕にだけ聞こえるぐらいの小さい声だ。
「お前は逃げることもできたはずだが、良く付いてきてくれた。」
事実、豊臣方についていた多くの武将が、大阪城を出て行ってしまった。
「馬鹿な主君に仕えたと恨んでもらっても構わないが、私はお前がいて助かっている。」
胸が熱くなった。
自分の行動が報われた気がした。
「さあ、そろそろ道明寺だ!全員、兜の緒を締めろ!」
信繁が声を上げると、あちこちから威勢のいい声が聞こえてきた。
もうすぐ戦場に近づく。気を引き締めなければ。
「甚八、いつも通りで良い。死ぬなよ。」
そう言うと、信繁は軍の先頭に馬を進めた。
豊臣軍は石川を渡り、誉田陵付近まで攻め込まれていた。
真田軍の正面に見えるのは伊達政宗軍と松平忠明軍。徳川軍の主力2部隊だ。
「信繁様、味方が後退してきます。」
前軍の兵士だろうか、こちらに後退してくる味方が多数見えた。
「味方を収容し、この地に陣を張る。」
信繁が指示を出した直後、敗走する味方の後方に伊達軍が姿を現した。
「鉄砲隊、前へ!味方を収容次第、発砲できるように準備しろ!」
急いで前へ出る鉄砲隊。
このあたりの連携の早さは、寄せ集めである他の豊臣方の軍とは違うなと実感できる。
「甚八、一軍を率いて側方へ回れ。伊達軍を翻弄するんだ。」
指示通り、僕は一軍を率いると大きく南側に回り込み、伊達軍から姿を隠した。
真田軍の左右に展開する伊達軍。
真田軍も鉄砲で応戦するが、ジリジリと距離を詰められていた。
「甚八様、自軍の旗色が悪いようですが。」
展開され、2方向から射撃されては、さすがの信繁も苦戦を強いられる。さらに伊達軍の指揮官は猛将と名高い片倉重長だ。真田軍が不利だということは、火を見るより明らかだった。
「甚八様、突撃の指示を!」
味方に動揺が走る。
側方から見ると、自軍が少しづつ後退させられているのが良く分かった。
「甚八様!」
「まだだ!もう少し待つんだ。」
まだ突撃する訳にはいかない。
細かい指示は受けていないが、信繁ならもう少し待つはずだ。
伊達軍が鉄砲隊を下げ、騎馬隊を前に出した。馬上の片倉重長も徐々に前に出る。
今だ!
「突撃するぞ!我に続け!」
乱戦になりつつある真田軍と伊達軍。僕はその伊達軍の横を騎馬で突いた。
「我こそは真田信繁!死にたい奴は前に出ろ!」
名乗りを上げ、伊達軍の注意を僕に逸らす。
我ながら安っぽい名乗りだと思うが、伊達軍を混乱させるには十分だった。
「真田信繁だ!」
「討て!奴を討つんだ!」
伊達軍の隊列が乱れる。
これを見逃す信繁ではない。
「敵は乱れた。突撃するんだ!」
信繁が指示を出す。
真田本隊が前進を始める頃には、僕は伊達軍を駆け抜け、後方より真田軍に合流していた。
「甚八、良くやってくれた!機を見るのが上手くなったな!」
信繁が笑顔で出迎える。
攻め込まれていた豊臣軍が真田軍の活躍で盛り返していく。
戦況は五分と五分。
太陽は西に沈もうとしていた。
膠着状態が続く戦況。野営の準備をしていない豊臣軍は大阪城に帰らなければならない。
殿は真田軍が承っている。
「甚八、戦というのは退却時が一番難しい。」
信繁の言葉に僕は無言で頷いた。
『殿』、後備えとも言うが、これは退却時に一番後ろの隊を指す。
逃げながら戦う。守りながら逃げる。
最後尾に噛みつかれないように、追撃を上手く捌かなければならないのだ。
「静かですね。」
徳川軍の追撃隊の姿が無い。
「罠でしょうか?」
その時、後方より走り寄る真田軍の兵士の姿。
伝令だ。
「信繁様に申し上げます。徳川軍、追撃の様子無く待機中です。」
追撃が無い?
「皆、聞いたか?」
信繁が自軍に向かって大声を発した。
「徳川軍は大軍だと言うが、その中に男は一人もいないらしいぞ!」
信繁の言葉で味方の士気が上がっていくのが分かった。
人の心を捉えた武将の姿がそこにはあった。
新緑の季節はいつしか過ぎ去り、梅雨が駆け足で通り過ぎた。
真田軍がいくら勝ち続けても、戦況は変えることはできなかった。
統率の取れていない寄せ集めの豊臣軍は、至るところで敗走し、ついに徳川軍は大阪城の本丸まで迫ってきてしまっていた。
「討って出るだと?!」
信繁と誰かが言い争っている。
「負け戦だということが分からないのか?!」
「秀頼公はまだ降伏しておりません。一点突破で敵方の総大将の首を取れば・・・。」
「話にならんな。」
会話の相手は呆れ顔だ。
「私も付き合おう。」
その会話に横から口を挟んだのは、毛利勝永だ。
「ありがとうございます。勝永殿がいれば百人力です。」
しかし、その後に声を上げる武将はいない。
「信繁様。」
こちらに戻ってきた信繁に僕は声をかけた。
「私は、出陣には・・・反対です。私はあなたに死んでほしくない。」
この出撃の後、信繁は帰らぬ人となるのだ。それは変えられない史実。
でも、最後まで抗っても良いのではないかとも思う。
「甚八。私は豊臣とともに散る。そう覚悟を決めたんだ。」
しかし、この人はそう言う。
分かっていたことだった。
「行くぞ甚八。いつも通りで良い。死ぬなよ。」
真田軍の準備が整うと、信繁は馬に乗り城門をくぐる。
僕もそれに続いた。
目の前には吐き気がする程の数の徳川軍。その圧倒的な数に頭がクラクラした。
左右に展開する毛利軍。
真田軍はその中央を真っ直ぐに進んだ。徳川家康を目指して。
毛利軍の左右からの攻撃で、多少は徳川軍の隊列が乱れるとはいえ、中央を走り抜けるのは難しい。
「信繁様、味方を待ちましょう!」
突進した信繁と僕の周りに味方は殆どいなかった。
「朱揃えだ!」
「信繁を狙うんだ!」
朱色に統一された甲冑を身に纏った信繁と僕は、戦場では目立ち過ぎる。
これでは一気に徳川軍に包囲されてしまう。
「邪魔だ!押し通る!」
信繁が家康に向かって、馬を駆けた。
は、速い。
敵兵の中を、無人の野のを走り抜けるかのような速度で突き進む信繁。
「甚八、今までありがとう。死ぬなよ。」
風に乗って、信繁の言葉が聞えた気がした。
「真田信繁ここに有り!徳川家康の首を頂戴しに参った!」
あっという間に信繁と僕との距離が広がった。
「家康様を守るんだ!」
信繁を討とうとして、あとに続く徳川兵。
僕から敵を遠ざけた・・・?
いつしか僕の周りの敵兵は誰もいなくなっていた。
涙が流れた。
信繁は行ってしまった。
史実は変えられないのだ。
茂みを入り、馬を降り、木の袂に腰を下ろした。
十文字槍を傍らに置き、僕は膝に顔を埋めた。
例えようのない喪失感が体を支配する。
さっきまで気にならなかった甲冑の重さが、両肩に重くのしかかる。
――甚八、死ぬなよ。
信繁の最後の言葉だ。
でも、あんたは死んだじゃないか!
大阪夏の陣で、真田幸村は死ぬ。
知っていたことだ。
それでもどこかで期待していた。
一緒に生きてくれると・・・。
近くを通る馬の足音で、僕は我に返った。
「家康様、ご無事で何よりです。」
「さすがは真田信繁。敵ながら感服致しました。」
「もう言うな。鬼神の如きあの姿、夢に出そうじゃ。」
だ、誰だ?
会話の内容から察すると、まさか徳川家康か?!
「しかし、真田亡き今、豊臣方に有能な将は一人もいないでしょうな。」
徳川家康が、そこに・・・いる。
僕は十文字槍を手に取った。
何を考えてるんだ僕は。
ここで家康を討ったとしても、信繁は帰ってこないんだ。
意味の無い事はするな!
意味が・・・無い?
誰が決めるんだ、そんな事。
意味なんて、歴史家が後で考えれば良い!
信繁の無念、今ここで晴らす。
もう、どうとでもなれ!
僕は姿勢を低くして、家康目指して突進した。
「覚悟!」
「馬鹿な!お前は真田信繁!」
家康の表情が硬直する。
十文字槍を精一杯伸ばす。
あと、20センチ!
しかし、寸でのところで僕は右からの衝撃と共に、脇腹に痛みを感じた。
「家康様を守れ!」
続けて背中からも痛みが走り、口からは熱い物が溢れてきた。
あと少し、あと少しで届くんだ。
視界が狭まってきた。
・・・あと、少し・・・。
最後に僕が見たのは、振り下ろされる刀から反射した真っ赤な太陽の光だった。
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