第15話 救いと絶望(2)
やってしまった。
後悔先に立たずとは、正にこの事だ。
重い年貢、度重なる拷問や処刑、そしてキリシタン弾圧。
しかし、やってはいけない事はある。
役人を憂いて言っているのではない。この後の報復に、農民たちが太刀打ちできるはずがないから言っているのだ。
「村長、どうします?」
広場に現れた初老の男に、皆の視線が集まる。
「一揆じゃ。このまま耐えていても死を待つだけ。立ち上がるんじゃ。」
村長の口から出た言葉は意外な物だった。
「天変地異が起こり人々が滅亡に瀕するとき、16歳の少年が立ち上がり、キリスト教を信じるものを救うだろう。」
村人たちが次々と天を仰ぎ、胸の前で手を組む。
「益田四郎時貞様は、今年で16歳。今こそ蜂起の時なのじゃ!」
異常な盛り上がりを見せる村人たち。
その目に、その姿に、その群衆に、僕は恐怖を感じていた。
しかし、その無謀だと思われた蜂起は、意外な方向へと発展する。
「深江村の状況はよく分かった。もしかしたら、ここで立ち上がることが運命なのかもしれないな。」
有家監物という人物に会う。
村長からそう指示された僕は、深江村を離れ、ここ有家村へ来ていた。
目の前にいるのは、農民とは似ても似つかないほど立派な人物。
「甚太と言ったな。深江村を救いたいか?」
有家監物が僕の目を真っ直ぐに見て言った。
「はい。」
「ならば近隣の村に伝えよ!時は来た、今こそ立ち上がる時だ、と。」
そう言うと、有家監物は刀を抜き、横に控えていた人物に指示を出す。
間もなくして建物の周りから、歓声とも、怒号とも思しき声が次々に上がった。
な、何だこの村は?!
集まった村民たちも、今まで見てきた農民の体つきとは全く違う、言うなれば戦うための体。
「手始めに富岡城を攻める。三宅藤兵衛に目にものを見せてやれ!」
村長が僕を有家村に来させた理由がわかった気がする。ここは浪人達が作り上げた村なのだ。
――富岡城を攻略する。
そう知らされた有家村の周りの村人たちの動きは早かった。
もともと武士が浪人となり、農民に身を転じ、各地の指導者になった彼らは、虎視眈々と蜂起の機会を伺っていたのだ。
どこに隠していたのか、蔵からは刀や弓、鉄砲に至るまで様々な武器が持ち出され、装備が整えられていく。
またそれに呼応するかのように、百姓や漁師、商人に至るまで一揆に参加し、一大勢力となっていった。
「止まれ!」
有家監物の号令で、全軍が停止した。
とても百姓一揆の集団とは思えない、統率された動きである。
「焦ったな、三宅藤兵衛。」
遠くに見える三宅軍を目を細めて見て、有家監物がそう言った。
「どういう事ですか?」
側近の一人であろうか、ひとりの男がそう尋ねる。
「富岡城というのは、富岡半島に建てられた要害だ。周りを海で囲まれ、陸との接点は南側の砂州のみ。」
勝ちを確信した有家監物の顔。
「陸路をとる我々に対して、迎え撃つのは下策と言うことだよ。弓隊前へ!」
角笛の音と共に、伝令が伝わった。
開戦だ。
頭上を無数の矢が行き来する。
戦の死傷者のほとんどが弓によるものだという話を聞いたことがある。
その事実を肯定するかのように、前にいた人が、横にいた人が、後ろにいた人が倒れていった。
「突撃ー!」
騎馬隊が前に出る。
それに呼応するかのように、三宅郡の鉄砲隊が前に出た。
足が竦む。
当たり前だ。僕は、ただの高校生だ。
しかし僕の思いとは裏腹に、戦はどんどんと進行していった。
気付けば、敵味方入り乱れての乱戦となっていた。
「甚太!大丈夫か?!」
深江村で見た顔だ。右肩に矢傷が付いている。
槍を持った手の震えが止まらない僕と違って、彼は勇敢に戦っているのだろう。
「いたぞ!三宅藤兵衛だ!」
声をした方へと視線を移すと、数人の騎馬兵と共に戦場の真ん中で孤立する男の姿。
「くそっ、多勢に無勢。ここまでか・・・。」
農民の戦の仕方は、武士のそれとは違い、皆で囲んで滅茶苦茶に武器を振るう。
ある者は槍で突き、ある者は棒で打つ。そして別の者は石を投げ馬から引きずり落とす。
殺傷能力の低い鈍らの武器は、時として切れ味の良い日本刀よりも残虐だ。
僕は、いつまでも絶命できないその男たちを直視する事ができなかった。
「このまま富岡城に駆け上がるぞ!」
有家監物の号令で走り出す一揆軍。
その表情は勝利に酔いしれ、喜びに満ちていた。
しかし、血で汚れた彼らの表情を見た僕は、吐き気を覚えずにはいられなかった。
有家監物も言っていたが、富岡城は天然の要害だ。
現在僕たちが進軍している南側の砂州以外に陸路で攻寄る事は出来ない。また、東側に形成られた湾は差嘴に囲まれ海軍の進行を阻む。
一揆軍は城の南側に位置する袋池を迂回して、富岡城に迫った。
富岡城に近づくに連れ、三宅藤兵衛が出撃してくれた事が、いかに幸運であったかということを痛感した。
袋池の周りは足場も悪く、軍も一気に通過はできないため、どうしても縦長の行軍となる。
ここで奇襲でもされたら、かなりの痛手を被っていたことだろう。
「三宅は我々をただの百姓一揆軍だと思って、油断していたのだろう。」
近くを進軍していた有家監物が側近と話している。
確かにそうなのかもしれない。
ひとつの村の一揆は他愛のない物なのかもしれないが、浪人により組織化されたこの集団は既に軍隊の粋に達していると思われる。
「隊列を整えろ!突撃するぞ!」
富岡城に迫った一揆軍は、思い思いに城下町に突撃していく。
皆、前を向いて。
いや、明日に向かって・・・か?
そういえば、これも歴史上で実際にあった出来事なのだろうか?
百姓一揆が成功する例など、歴史の授業で習った記憶がない。
「炎が上がったぞ!」
後方で火の手が上がった。
今は11月だ。乾燥したこの時期、火の回りは早いぞ。
一方、突撃した先鋒隊は富岡城を攻めあぐねているようだった。
三宅藤兵衛を討ち取って、崩れるかと思った富岡軍だが、思いの外統率が取れているようだ。
「このまま攻めていても、被害が増すばかりか・・・。」
いつの間にか後方まで下がってきた有家監物が、口惜しそうな表情でそう言った。
「全軍、退却だ。一時、原城まで引くぞ。」
有家監物の指示が下った。
退却も実に見事なものだった。
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