救いと絶望

第14話 救いと絶望(1)

「うわぁぁああ!」

 声が枯れるほど大きな声で、僕は叫んでいた。

 何で?!

 何で?!

 何で?!

 既に何に対する疑問なのかも分からなくなっていた。

 地獄だ。

 殺されては生き返る。

 生き返っては殺される。

 一体、僕が何をしたというのか?

 あと何回殺されたら許されるのか?

 あと何回死んだら開放されるのか?

 僕は泥にまみれた手で、土を握りしめた。爪の中に泥が入る感覚があったが、気にしなかった。

 握りしめた手に額を当ててうずくまる。

 溢れ出て止まらない涙が、両手に付いた土を濡らす。

 誰でもいい。誰か僕を助けてくれ。

 「どうした甚太、大丈夫か?」

 誰だ?

 僕は涙でぐちゃぐちゃになった顔で、話しかけてきた男を見た。

「今は耐えるんだ。耐えるしかねぇ。」

 そう言ったのは、泥で汚れ痩せこけた老人だった。

 鍬を担いだその男の服装は粗末で、ひと目で裕福で無いことが分かる。

「もうすぐ秋になる。秋になれば少ないが、稲穂も実る。」

 僕の肩に置いたその男の手は震えていた。窪んだ目がやけに大きく、肋骨が浮き出ているのに腹だけがやけに出ている。

 明らかに栄養失調だ。

 肩に置かれた枯れ木のように細い手から、温かい何かが広がっていくような感覚があった。

 人の手とは、こんなにも温かいものだったのか。

 涙を拭き、顔を上げた僕の目の前には灰色の空が広がっていた。

「お触れだ!新しいお触れが出たぞ!」

 そう叫んだのは、ここの村人と思われるひとりの男。

 その声を聞き、畑仕事をしていた男たちが、ゾロゾロと村の中心にある広場の方に集まって行く。

 皆痩せていて、今にも倒れてしまいそうだ。

「おい、何て書いてあるんだ?」

「年貢がまた上がるんだとよ。」

 広場に集まった人たちが口々にそう話している。

「領主松倉勝家公からの新しいお触れだ。今年から年貢は2倍、新しく家を建てた場合は家銭、窓を作った場合は窓銭、棚を作ったら棚銭、人が死んだら穴銭・・・。」

 次々と言い渡される税の数々。何だ、この滅茶苦茶なお触れは?

「守れない者には厳しい罰則もある。精進するように。」

 役人達はそれだけ言うと、馬に乗り去っていった。

 この村の収穫量がどれほどの物かは分からないが、それでも余裕がないことぐらいひと目で分かる。

 それを・・・2倍、しかも他にも言いがかりとしか思えないような税金を設けるって・・・。

「あぁ、一体どうすれば良いんだ。」

 困惑する村人達。

 いや、絶望とも言えるような状況だ。

「皆、耐えるんだ。ここで耐えれば救われる。」 

 誰かが言った。

 何を言っているんだ?耐えるって・・・状況を分かっているのか?

「そうだ、耐えるんだ。」

「辛抱すれば救われる。」

「信じるんだ。」

「信じるんだ。」

 耐える。救われる。信じる。

 そう口にする村人達。

 おかしい。ここの村はどこかおかしいぞ。

「主よ我ら御子たちを救い給え、アーメン。」

 胸の前で十字を切り、祈りを捧げる人々。

 そうか、ここはキリシタンの村なのだ。


 荒屋に着いた。

 ここが甚太の家のようだ。

 柱は傾き、今にも倒壊しそうなほどボロボロな家だ。

 隙間風がひどく、壁があるだけ外よりは良いぐらいの居心地だ。きっと雨が降ったら雨漏りがひどいのだろう。

 確か、家を修理しただけでも税金を取られるって書いてあったな。

 甚太はこの村で唯一の若者だ。

 他の若者達は、流行病にやられたり、村を出ていったりしてしまったらしい。

 両親は随分前に他界し、結婚もしていない。少し格好良く言うと「天涯孤独の身」ってやつだろう。

 殺風景な室内には、囲炉裏以外の物はほとんど無く、あるのは薄い布団と少しの食器。

 そして部屋の奥に祀られてある、木で切り出したであろうと思しき簡素な十字架。

 何故だろう。

 このような部屋では異質であるはずの十字架が、この空間には無くてはない、かけがいの無い物のように思えてくる。

 まるでこの家自体が、十字架の為に造られたかのような錯覚さえ覚える。

 僕は十字架の前で正座をし、見様見真似で十字を切り、祈りを捧げる。

 不思議と涙が出た。

 不安で握りつぶされそうになる心に、温かい何かが浸透していくようだった。

「馬鹿馬鹿しい。」

 涙を拭いて、僕はそう呟いた。

 正月には初詣をして、盆には墓参り、クリスマスにはプレゼントを貰うが、教会に行ったことはない。

 典型的な日本人の僕が、神を信じる?

 そんな事はあり得ない。

「もう寝よう。」

 腹は減ったが、食べるものは見当たらない。仕方なく僕は空腹に耐え、床についた。


 寝苦しい夜も無くなり、過ごしやすい日が多くなった。

 痩せた土地に作られたこの深江村の田にも、少しばかりの稲が実っている。

「役人が来たぞ!」

 広場から珍しく鋭い声が聞こえてきた。

「この者は、定められた税の納入を怠ったため、鞭打ちの刑に処する。」

 三人の役人の前に膝まづいているのは、最初に僕に話しかけてきた老人だ。

「もう少し待って下さい。もう少しすれば、米も取れる。そうすれば・・・。」

 必死に引き下がる老人。

 しかし役人達に容赦は無かった。

「ひとつ!ふたつ!・・・。」

 役人の号令と共に、別の役人が手に持った鞭を振り下ろす。

 その度に皮が裂け、衣服に血が滲んだ。

「主よ救い給え。」

 取り巻いた村人たちが、口々に救いの言葉を紡ぐ。

「二十五!二十六!・・・。」

 一体、いつまで続くのだろうか?

 自然と僕も胸の前で手を組んでいた。

 救いがあると言うなら、何者でも良い。救いの手を差し伸べてくれ。

 老人は地面に倒れ、既に意識がない。

 それでも続けられる鞭打ち。

 僕も含め、集まった村人たちの全てが胸の前で手を組み、祈りを捧げていた。

「七十三!七十四!・・・ん?何だこれは?」

 役人が目をつけたのは、老人の懐から落ちた一枚の和紙。

 綺麗に折りたたまれたその和紙には、何かの絵が描かれていた。

「あれはデウス様だ。」

 隣で祈りを捧げていた男が言った。

 デウス?・・・ゼウスの事か?

「こんな物に現を抜かすから、税も納められないんだ!」

 役人が手に持った和紙を破り捨てた。

 騒然となる村人達。

「デウス様。」

「デウス様。」

 村人達の目の色が変わった。

 意図せず僕の目から涙が溢れてきた。

 ああ、そうか。

 僕も救われていたんだ。あの粗末な十字架に、日々の祈りに。

 僕の中で、何かが切れた。

 村人達が役人に襲いかかる。その手に鋤と鍬を持って。

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