武士の子に生まれて
第10話 武士の子に生まれて(1)
僕は勢いよく体を起こすと、自分の胸を確認した。
良かった、傷がない。
悪い夢でも見ていたのだろうか?
僕は思い起こす。
そうだ、夢に決まってる。何が尊皇攘夷だ、何が新選組だ。
ドラマの見過ぎだ。
暇だからっと言って、ずっとテレビを見ていたから、こんなくだらない夢を見るんだ。
受験も近い、遊んでいる時間などない。
しっかり勉強しなければ。過酷な受験戦争など勝ち残れない。
確か提出期限間近の、数学の課題が残ってたな。たまには時間に余裕を持って、課題をやるのも良いかもしれない。
体が汗で濡れていて気持ち悪い。
僕は額の汗を手で拭うと、周りを見回した。
畳6畳ほどの和室。
鴨居には質素な和服がかけられ、部屋の隅にはきれいに畳んだ布団が積まれていた。
襖の反対側の障子からは、優しい光が差し込んでいた。
「――!!」
ここはどこだ?!
僕の部屋は洋室だ。
ベッドがあり、すぐ横に教科書が山積みになった勉強机。本棚には漫画が並び、PCの前にはお気に入りのタンブラーが・・・。
「正太ちゃん、やっと起きたの?」
障子が少し開き、陽光とともに顔を出したのは一人の少女だった。
「番頭さんが呼んでるよ。早く顔洗って、朝ごはん食べちゃって。」
「う、うん。」
訳も分からずに返事をした。
これは、夢か?現実か?
「正太ちゃん、どうしたの?」
少女が首を傾げて、僕を見た。
「ごめん、すぐ行く。」
それを聞いた少女は、嬉しそうに笑うと、障子を静かに閉め、トタトタと小さな足音をさせて去っていった。
視界がぐるぐる回る。
吐きそうだ。
交通事故・・・空襲・・・新選組・・・夢では無い、夢では無いんだ。
今度は何だ?
何が起こるんだ?
僕は静かに布団から出ると、注意深く障子を開けた。
眩しい陽光。
小鳥の囀り。
塀の向こうからは、住民たちが話す日常的な会話が聞こえてくる。
僕は一回障子を閉め、その場でペタンと座り込んだ。
平和・・・なのか?
「正太ちゃーん!早くー!」
さっきの少女の呼ぶ声が聞こえた。
いや、そんなはずはない。この後、誰かが切り込んでくるとか、爆撃を受けるとかあるはずだ。
どこだ?
どこから来る?
「正太ちゃん、ご飯冷めちゃうよー。」
少女の声がする。
危険だ、この世界は危険なんだ。
しかし、いつまで経っても何も起こりそうもない。
疑いながら僕は布団をたたみ、声がする方向に廊下を進んだ。
途中、顔を洗うために井戸に向かう。桶に水を汲み、水面に写った姿で顔を確認した。
年齢は10歳ぐらいか?
僕は井戸水で顔を洗い、頬を2回挟むようにして叩いた。
「正太、早く飯食っちゃえ!朝から配達の注文が入ってるぞ。」
そう言って土間から顔を出したのは、20代半ばぐらいの若い男だ。
「はい、すみません。若旦那。」
自然と口から声が出た。
「いつも、返事だけは良いからな。まあいい、りっちゃんはとっくに起きて店の前を掃除してるぞ。」
りっちゃん、正確には「りつ」は正太の姉の名前のようだ。気立てがよく、働き者で、近所でも評判の娘だ。今年14歳になる。
座敷に上がると、お膳が準備されていた。僕のお膳は一番土間側の端っこだ。
「正太ちゃん、ご飯はこれぐらいでいい?」
そう言って、ご飯茶碗を持ってきてくれたのは、ふみだ。
ふみは、問屋であるこの店の娘で、年齢は10歳で僕と一緒。
短めの前髪を結上げ、小さな髷を作っていたりして、少しお姉さんぶっている所はあるが、花と歌が好きな、優しい少女だ。
今日の朝ごはんは、ご飯に漬物、それと芋の味噌汁。
「ふみちゃん、ありがとう。いただきます。」
質素であるが温かみのある、そんな幸せな食卓であった。
「正太、飯食ったら、ちょっと頼まれてくれ。清兵衛んところが開店するまでに、醤油届ろって注文が入ってる。」
番頭さんが座敷に顔を出して言った。
清兵衛さんというのは、ここから三町ぐらい離れたところにある蕎麦屋の店主だ。
お得意様で、この店から醤油や蕎麦粉を多く購入してくれている。
「分かった。すぐ行く。」
僕は玄米を口の中に頬張ると、番頭さんを追って店に移動した。
問屋と言っても店舗はそれほど大きくない。顧客の殆どは蕎麦屋や食堂なので、その場で商品の受け渡しをすることは稀だからである。
注文を受け、後で配送という形が殆どだ。
今回の清兵衛さんも、いつもは事前に注文してくる。発注ミスでもあったのだろうか。
番頭さんは、定位置である店の中央に既に座っていた。よく時代劇のワンシーンで出てくる、周りを低い木の柵で囲んだアレである。
この場所、なかなかよく考えられている。狭いながらも中はよく整頓されており、そろばん・台帳・顧客リスト・在庫表など必要なものは全て手の届く範囲に配置されているのだ。
ふと、こたつに入った時には手の届く範囲に物を置いていた事を思い出した。
リモコン・ドリンク・みかん。親からはだらしがないと怒られたが、番頭さんを見ていたら、こういう配置も有りなのだと思い直せた。
「正太、早速で悪いが、この醤油を清兵衛の所に届けてくれ。」
そう言って番頭さんが出してきたのは、2リットルは入っているかという、大きな瓶だった。
「行ってきます。」
「気をつけて行くんだぞ。」
番頭さんが店の前まで、出てきて送ってくれた。
「正太、やっと起きたの?もう少し早く起きないと、みんなに迷惑がかかるよ。」
そう言ってきたのは、店の前を掃除していた姉のりつである。
「姉ちゃん、おはよう。今日は何だか起きれなくて・・・。」
「今日は?正太が起きてこないのは、いつもでしょ?」
間髪入れずに、りつが口を挟んだ。
「うるさいな、配達あるからもう行くよ。」
「はいはい、気をつけて行くのよ。」
りつと番頭さんは揃って手を振って見送っている。
東から昇った太陽が眩しい。
雲一つないいい天気だ。
醤油の瓶は10歳児には少し重かったが、とても清々しい気分だった。
「清兵衛さん、毎度〜。」
目的地である蕎麦屋の奥に向かって、僕は声をかけた。
「正太か?いつもすまんな。」
店の奥から痩身の男が姿を表した。清兵衛だ。
「お代はいつも通り、月の終わりに請求するって。」
店に入り、テーブルに醤油の瓶を置き、番頭さんに言われたとおりに伝言をした。
「分かったって伝えてくれ。」
そう言うと、清兵衛は僕に何かを差し出した。
金平糖だ。
清兵衛は配達の駄賃として、金平糖をくれることが多かった。
「ありがとう!」
僕は清兵衛にお礼を言うと、意気揚々と帰路についた。
口に入れた金平糖が甘く弾ける。
半分はふみにあげよう。確か甘いものが好きだったはずだ。
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