第9話 尊皇攘夷(4)
池田屋事件後。
行くあてのない僕は、結局、長州藩にお世話になっている。良くしてもらった松繁を置いて逃げてきたというのに。
「松繁の所の生き残りは一人だけか。」
誰かの声が聞こえてきた。
「そうか、松繁さんも、田所さんも、平田も・・・みんな死んだのか。」
僕は呟いた。
「我々は、天皇を武公合体派から助け出さねばならない!」
誰だろう?
見慣れない人が、部屋の前方で叫んでいる。
「そうだ!天皇に我々が正しいという事をお伝えして、長州藩の汚名を返上しなければ!」
今後、絶対的な権力のあった徳川幕府も、明治維新に向けて弱体化の一途を辿っていく事だろう。今、ここにいる志士たちは少数だが、今に薩摩藩と同盟を組み倒幕の流れが強くなる。
「これより我々長州藩は京都御所に赴き、武公合体派から天皇陛下をお救い致すことにする。」
何を言っているんだ?
新選組に実力の差を見せつけられたばかりではないか?!
「ここに短筒もある。皆に行き渡るだけの数はないが、なるべく多くの藩士に持って行ってもらいたい。」
箱の中には大量の銃が入っていた。短筒というのは、この時代で言うところのハンドガンのようだ。
「松繁の所の・・・お前も持て。敵討ちができるかもしれんぞ。」
見知らぬ志士が短筒を差し出してきたが、丁重にお断りした。
人を殺す武器を手にすることに抵抗があったからだ。
「それでは出発するぞ!攘夷だ!」
口々に歓声を上げる藩士たち。それは異様な光景だった。
まるで何かに取り憑かれたかのようだった。
京の都は静まり返っていた。
布令が出たのか、それとも何かを感じとってなのかは分からないが、明らかにいつもよりも人の姿は少なかった。
それにしても、どこにここまで多くの人間が隠れていたのだろうか。会津藩邸を出てから、人数がどんどん増えてくる。
多すぎて、何人いるのか検討もつかない。
「おい、肩に力が入りすぎてるぞ。」
そう話しかけてきたのは、先程、藩邸でも話しかけてきてくれた藩士だ。
「そ、そうですか?」
「俺も短筒は置いてきた。お前を見習ってな。やはり時代は刀で切り開きたい。」
男は歯を見せて笑った。
強面だと思っていたが、人懐こそうな笑顔だ。
「僕は・・・。」
そんな大層なものじゃないです、と言いかけて止めた。無粋なことは言うもんじゃない。
「ここから二手に分かれて、御所を目指す。途中、さらに少人数に別れながら進んでくれ。」
御所まであと少しというところで、そう指示が出た。
京都特有の、碁盤のような街並みを利用しろと言うことだろう。
それにしても、詳しい作戦の説明は無しか。上の人たちだけで話し合ったと言うことだろうか?
僕は先程の藩士が行った方向に進むことを決めた。
自主性がないと笑われるかもしれないが、右も左も分からない状態で判断しろというのがそもそも無理な話なのだ。
京の都を進む。
左、右、右、左と曲がった。
京都でなければ、どちらを向いているかも分からなくなっているところだろう。
「あれが蛤御門だ。」
僕の動きを制止しつつ、一緒に来た藩士が言った。
目を細めて遠くを見た。
なるほど、小さい門が見える。
「どうします?」
座りながら僕は質問を返す。
「まぁ、待て。ここからが正念場だ。」
額の汗を拭う。
この汗は暑さによるものなのか、それとも緊張によるものなのか。
その答えを知る術はない。
遠くで聞こえる火薬が弾ける音、金属がぶつかり合う音、怒声、悲鳴。
京都のあちこちで戦いが始まっているようだ。
「少数で行っても全滅するだけだ。援軍を待つ。まずは来島さんあたりが突撃するだろう。我々が動くのはそれからだ。」
一際大きな爆発音が轟き、一同は顔を見合わせた。
「あいつら大砲まで持ち出したのか?!」
立て続けに、もう2回爆発音が轟く。
直後、すぐ後方から叫び声が聞こえた。
大砲に気を取られ、後方の警戒が疎かになってたのだ。
「見つかった!新選組だ。」
弾かれたように後ろを見ると、段だら模様を白く染め抜いた浅葱色の羽織の姿が見えた。
「何人かは、見たことがある顔だな。」
先頭にいるのは土方歳三だ。
土方と目が合った。
まずい。土方は僕を覚えている。
「蛤御門まで走れっ!」
皆、一斉に走り出した。
これは突撃なのか?それとも逃走なのか?
後ろから新選組が追ってくる。
大丈夫だ。僕は足が速い。
あと少しで蛤御門に到着するという所で、横から一隊が走り込んできた。
敵か?味方か?
「来島さん、待ってましたよ。」
「益田さんか。しかし、状況は最悪だ。」
蛤御門前は、敵味方入り乱れての乱戦となりつつあった。
僕は一体何をやっているのだろうか。
訳も分からずこんな場所に付いてきて、戦いもせず、ただ逃げ回っている。
敵、敵、敵。
いつの間にか、周囲全て敵に囲まれていた。
あんなにいた長州藩の人たちは、どこに行ってしまったのか?
「鉄砲隊前へ。」
声のした方向へ目をやると、銃を構えた一隊が目に入った。
まずい!殺される。
「打てー!」
僕は強く眼をつぶった。
しかし、いつまでたっても痛みは感じない。着弾の衝撃さえも無い。
「来島さん!来島さん!」
恐る恐る眼を開けると、僕の横に倒れている、一人の男の姿が目に入った。
「退却だ・・・退却するぞ!」
誰かの声がした。
それからは、まさに地獄絵図だった。
一度浮足立った人間を斬るのは容易い。逃げ惑う藩士、吹き上がる血しぶき、響き渡る悲鳴。
目を覆いたくなるような惨状が、目の前で広がっていく。
僕は乱戦のどさくさに紛れて、何とか蛤御門から離れた。
「ここまで来れば。」
僕は地面に腰を下ろした。
息が苦しい。もうこれ以上走ることはできそうに無かった。
火の手が上がった。
京の街が燃える。
「もっと離れなくちゃ。」
フラフラと立ち上がる。
足が重い。まるで鉛でもぶら下げているようだ。
「逃げられると思うなよ。」
急に声をかけられた。
僕は顔を上げた。
そこにいたのは、もう見慣れてしまった段だら模様の羽織を着た一人の男。
土方歳三。
最悪だ。よりによって、こいつに見つかるとは。
「刀を抜け。」
獲物を狩る時の獣ような視線が僕を射抜いた。
無理だ。助かる気がしない。
「お前ら、何やってんだよ。人殺しばっかりやってよ!」
無意識のうちに、僕は土方に向かって叫んでいた。
何を言っているんだ僕は。
でも言葉が止まらない。
「人の命っていうのは尊いんだよ。」
土方は攻めてこない。
「それをバカスカ切りやがって!」
「目の前の敵を斬る。何が間違っている?」
そうだ、それがこの時代の常識。
「それでも、人殺しは良くない!」
もう、自分でも何を言っているのか分からなかった。
「ならば何故、お前は刀を俺に向けている。」
僕はハッとして、自分の両手を見た。
恐怖によるものか、僕は無意識のうちに刀を抜き、土方に向けていた。
「幕府はもう終わりなんだよ!黒船が来て、維新派が力を付けて、坂本龍馬が出てきて・・・。」
「幕府は終わらん。俺たちが守る。」
土方の構えが変わった。今にも斬り込んできそうだ。
「駄目な幕府は倒れなくちゃならないんだ!」
僕は再度叫んだ。
「それはお前たちの理論だ。」
もちろん土方には届かない。
「やめてくれ、死にたくない。」
僕は刀を投げ捨てると、背を向けて逃げ出した。
大丈夫だ、僕は足が速・・・。
背中に衝撃を感じ、口の中には鉄の味が広がった。
な、何か起こった?
「敵に背を向けるとは、長州藩は武士の誇りも捨てたのか。」
薄れゆく意識の中で見たのは、胸から突き出た土方の刀の切先だった。
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