第7話 尊皇攘夷(2)

 祇園の街は今日も賑やかな雰囲気に包まれていた。

 しかし外の雰囲気とは一転して、僕たちの待つこの遊郭の一室は、重苦しい空気が支配している。

「中山は・・・戻らないか。」

 松繁が重い口を開いた。

 中山というのは、あまり目立たなかったが、部屋にいた志士のうちの一人だ。

 寡黙であったが、とても仲間思いの男だったと、正二郎が記憶している。

「松繁さん、田所さんはどうしました?」

 そういえば田所の姿も無い。

 田所も新選組に切られてしまったのだろうか?

「田所は藩の会合に行かせた。近々、藩では大きな動きがあるらしい。」

 皆が胸を撫で下ろすのが分かった。

 中山に続いて、田所まで居なくなってしまったら攘夷どころではなくなってしまう。

「正二郎と平田も、無事でよかった。」

 松繁が声をかけてきた。

「正二郎さん、風のように足が速いんですよ。」

 平田は興奮気味だ。

 小さな声で「逃げ足だけは一人前だ。」と誰かが言うのが聞こえてきたが、あえて気が付かなかったフリをした。

 皆、気が立っている。

 わざわざ事を荒立てることは無いだろう。

「明日もやる事がある。今日はひとまず休め。」

 松繁の言葉に、皆が一様に従った。

 しかし、そう簡単に眠れるわけなど無かった。さっきまで隣にいた人が帰らぬ人となったのだ。


 いつの間にやら眠ってしまったようだ。変な姿勢で寝た為か、肩と腰が傷んだ。

「正二郎、朝飯を食べに行こう。」

 松繁が声をかけてきた。

 部屋には、僕と松繁以外の志士の姿はなかった。皆、それぞれ朝飯を取りに行ったのだろうか。

 祇園の繁華街を松繁と歩く。

 昨晩は逃げるのに必死で、街並みなど眺めてはいられなかったが、改めて見ると、整然な街並みに美しささえ覚えた。

 この美しい街並みでも、血生臭い切り合いが行われているのだ。

 そう思うと、無性にやるせない気持ちが、湧き上がってきた。

「正二郎、ここにしようか。」

 松繁が足を止めたのは、遊郭の街にひっそりと佇む小さな蕎麦屋だった。

 店構えはシンプルで、お世辞にも華やかとは言えないものであったが、遅すぎる朝飯の時間帯だというのに、それなりに繁盛しているようだ。

 まるで、遊郭で一晩の関係を終わらせた者たちが、夢の街から現実へと気持ちを切り替える場所として成り立っているかのようにも見える。

 暖簾を潜ると、蕎麦の香りが鼻腔をくすぐった。

「オヤジさん、盛りそばを二つ。」

 厨房からは威勢の良い声で、返事が帰ってきた。

 松繁と僕は、壁際の小さめの席に腰を下ろす。

 シンプルな長方形の机に、こちらもシンプルな形の長椅子が設置されている席だ。

 座布団が敷いていない、木に直接座るタイプの長椅子であったが、驚くほど座り心地が良い。

 よくよく見ると、座面の前方、膝の当たる部分の木が円を描くように削られている。

 年季の入った長椅子は赤黒く変色しているため、これが職人による匠の技なのか、何人もの客が座り続けた結果なのかは分からないが、昨晩から張り続けた緊張を少しだけ和らげてくれた事は確かだった。

「盛りそば二つ、お待たせ。」

 店主がお盆に乗せた盛りそばと、蕎麦湯を運んできた。

 昨晩から何も食べていない。

 こんな時だというのに、お腹が盛大な音を立てて鳴った。不謹慎な事この上ない。

「はっはっはっ、腹が減ったか。若いっていいなぁ。遠慮するな。足りなかったら追加で頼め。」

 松繁が楽しそうに言った。

 仲間の安否もわからない中、心配で胸が張り裂けそうであろうに、こんな若輩者に気を使ってくれて申し訳ないと思う。

「いただきます!」

 僕は俯きながらそう言い、勢いよく蕎麦を啜った。

 鼻腔に蕎麦の香りが広がる。

「う、うまい。」

 打ち方がとか、汁がとかでは無く、蕎麦本来の味が深く、これ程美味い蕎麦を食べたのは初めてだった。

「そうか、美味いか!」

 自分が打った訳でもないのに、松繁が嬉しそうに言った。

「この店はな、俺の行きつけなんだ。場所はアレだがな、味は確かだ。」

 そう言って、松繁が蕎麦を啜る。

 美味そうに蕎麦を啜る人だと思った。

「オヤジ、お勘定。」

 最後に残っていた蕎麦湯を飲み、松繁が店主に声をかけた。

「へい、24文になります。」

 蕎麦が本当に好きなのだろう。さっきまでは少し塞ぎ込んでいたように見えたが、今は少しだけ気分が晴れたように見える。

「ご馳走様でした。」

 しかし、松繁は僕の言葉には反応せず、通りの先を睨みつけていた。

 僕もその方向に目を向け、松繁の反応に納得した。

 ざわつきと共に、街の空気が変わっていく。

 空気が変わる。とてもおかしな表現であるが、僕にはそうとしか言い表せなかった。

 活気のあった街は緊張に包まれ、直後に海が割れるかのように、街の人たちが左右に避ける。

 段だら模様の上着を羽織った集団。

 新選組だ。

 僕はゴクリと唾を飲み込んだ。

「正二郎、目を逸らすんじゃねぇぞ。」

 まるで無人の荒野を進むが如く、威風堂々と歩みを進める新選組。

「先頭を歩くのが、土方歳三だ。」

 界隈では鬼の土方と知られている。

 鋭い眼光、思っていたよりは細身であるが、筋肉質な体躯。

 僕たちは、その土方歳三の行く手を阻むような形で立っている。

「ま、松繁さん・・・道をあけなければ・・・。」

 松繁は動こうとしない。

「貴様!何奴だ!」

 新選組の隊員のひとりが、松繁に向かって声を荒げた。

 土方が無言でその隊員を制する。

「松繁か。」

「幕府の犬が、朝廷の土地ででかい顔しやがって。」

 土方と松繁の間に緊張が高まる。

 自分の飲み込む唾の音が、やけに耳に響いた。

「ふん、今は勘弁してやる。しかし命令が下ったら覚悟しておけ。」

 土方はそう言うと、松繁の押しのけ、通りを進んでいった。

「中山さんを、斬ったのか?!」

 土方が僕を睨みつけた。

 僕はその表情を見て、余計なことを言ったと心底後悔した。

「それが誰かは知らんが、俺の前に立ちはだかる奴は誰であろうと斬る。貴様も覚えておけ。」

 僕は土方の姿が小さくなるまで、そこを動けずにいた。

「ふぅ。」

 僕は大きな溜息をついた。

「よく言った。なかなかできる事じゃねぇぞ。」

 松繁が僕の肩を叩きながら笑った

 背中を流れる冷たい汗はいつになっても治まりそうも無かった。

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