尊皇攘夷
第6話 尊皇攘夷(1)
暗い、暗い部屋だった。
行灯の薄明かりに照らされて、数人の男たちが話しているのが分かる。
僕はというと、壁に寄りかかって座り、長い棒のようなものを肩にかけていた。
ここは、どこだ?
僕は・・・いや、三郎は死んだのか?
「黒船を見たか?」
黒船?
「いや、俺もみてねぇんだけどな。すごいらしい。」
「なんだよ。見てないのかよ。」
「あんなのにデカい顔をさせてるようじゃ、幕府も終わりだな。」
「今こそ御上の権威を取り戻すときだ。」
「尊皇攘夷だ!」
「尊皇攘夷だ!」
男たちは異常な盛り上がりを見せている。
「正二郎、正二郎も端にいないで、こっちに来い。」
正二郎?
ああ、僕のことだ。
「空襲は?」
「空襲?何言ってるんだ正二郎。寝ぼけてるのか?」
行灯の灯りに目が慣れてきたのか、周りの状況が少しづつ見えてきた。
六畳ぐらいの板間に男性ばかりが、6人座っている。大柄な人が多く、とても圧迫感がある。
全員着物を着て、髷を結っている。
それぞれの手にあるのは、日本刀。
今気づいたが、僕がさっきから握りしめている物も、どうやら日本刀らしい。
「攘夷、攘夷と言ってるが、具体的な事は何も決まっておらん。もう少し辛抱するんだ。」
リーダーとおぼしき人の声で、皆が黙った。
「長州藩は今は耐え時だ。幕府や会津藩、薩摩藩が唱える公武合体を阻止すべく皆が力を蓄えなければならない。」
「俺は待つのは好かん。当たって砕ければ良いんじゃ。やっぱり侍ってのは、こいつで語るもんじゃ。」
そう言って、男は皆に自分の刀を見せた。
僕の名前は、どうやら正二郎と言うらしい。
自分は・・・いや、三郎はどうなったのであろうか。あのまま死んでしまったのだろうか?
そもそも、あれが現実であったのかどうかも定かではない。
今のこの状況だってそうだ。数秒先には目が覚めて、今あった事は全て忘れているかもしれない。
維新志士。いや、状況から察するに維新志士と呼ばれるよりももっと前の時代のようだ。
この辺の歴史に関しては、テレビの特集で組まれてたのを見たから多少は覚えていた。
黒船襲来以来、脆弱化し信用の落ちた徳川幕府は、会津藩・薩摩藩と共に武公合体を唱え、勢力の立て直しを図った。
それに異を唱え尊皇攘夷を提唱ているのは、正二郎の属する長州藩。
幕府と長州藩との対立が深まった結果、幕府は京都の治安維持に乗り出し、あの有名な新選組と京都見廻組を設置、長州藩の勢力を徐々に削いでいったのだ。
「厄介なのは、新選組だな。」
リーダー格の男、正二郎の記憶では松繁という名前らしい。
松繁は大柄な男だ。顎に立派な髭を生やし、部屋の真ん中であぐらをかいている。傍らには大刀を置いている。銘柄は忘れてしまったが、有名な鍛冶職人に打ってもらったと自慢していたのを覚えている。
「先週も何人か土方に切られたって話だ。」
土方?新選組副長の土方歳三の事だろうか?歴史上の人物の名前が出てきて、僕は不謹慎にも少し心が踊った。
もしかしたら会えるかもしれない。
「鬼の土方とはよく言ったものだ。あいつにだけは会いたくないものだな。」
前言撤回します。僕も会いたくないです。
「正二郎も気をつけろよ。新選組は今じゃ会津藩預かりって事になってるが、元は浪人集団だ。会ったら真っ先に逃げろ。戦おうなんて思うんじゃねぇぞ。」
正二郎のグループは祇園や伏見を中心にして活動している。それは新選組の管轄と同地域なため、鉢合わせすることも多々あるという。
「松繁さん、今後の方針だが・・・。」
今、話したのは、集団の副リーダーの田所。松繁とは対照的な小柄な男だ。
頭がよく松繁をよくサポートしている。
「分からん。藩の上層部では何やら大きな動きがあるようだが、末端の我々の方まではまだ話が来ていない。」
「新選組が会津藩のアジトを嗅ぎ回ってるって話だ。ゆっくりはしてられないぞ。」
部屋の中は重い空気に支配されていた。
不安、不満、様々な要素が絡み合って、皆いたたまれない思いであろう。
何か行動していれば気も紛れるだろうが、指示のないこの状態が皆のストレスを増幅させているようだった。
突如、廊下を走るけたたましい音が響き渡った。
何事かと、全員が自分の刀を引き寄せ、腰を浮かす。
僕も皆に倣った。
大きな音を立てて、襖が開いた。
「平田、どうした?!」
襖を開けて入ってきたのは、グループの新参者の平田だった。
「新選組だ!」
皆が顔を見合わせる。
「皆、逃げるんだ!新選組が来た。」
まさか、たった今話していたことが現実になるなんて。
物々しい音が、下の階から聞こえてきた。
ここは旅籠なのだろう。ここの主人とおぼしき者の声が、下から聞こえてきた。少し時間稼ぎをしてくれているようだ。
「正二郎!平田を連れて逃げろ。集合場所は祇園の遊郭だ。死ぬなよ。」
松繁が僕の背中を押す。
押された先にあるのは、裏通りに面した窓。障子を開ければ裏通りに飛び降りられる。
「我々は屋根沿いに逃げるぞ。田所、付いて来い。」
そう言うと、松繁と田所は表通りに面した障子を開けると、屋根伝いに移動を開始した。
案の定、すぐに新選組に見つかった。
僕と平田の逃げる時間を稼いでくれているのだろう。
「さて、行こうか。」
皆もそれぞれ、逃げる準備を始めている。
「正二郎、平田を頼んだぞ。」
僕はその言葉に弾かれたように障子を開け、裏通りに飛び降りた。平田がそれに続く。
「裏通りにもいるぞ、追え!」
段だら模様の羽織を着た隊員達が、裏通りの入り口にいるのが目に入った。
しまった見つかった。
僕は体勢を低くし前方に傾けて、走り出した。
「正二郎さん、走るの速すぎです。」
振り向くと平田との距離は、随分と離れていた。
そうか、走る技術も現代と違うから、この時代の人達はそれほど速くは走れないのか。
これならば逃げ切れるかもしれない。
僕は平田の手を取ると、入り組んだ路地を走り抜けた。
新選組の隊員の声は、もう聞こえなかった。
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