降り注ぐ炎の中で

第2話 降り注ぐ炎の中で(1)

 サイレンのが響き渡る。

 最近は、毎日のようにこの音がけたたましく鳴り響く。

 爆音とともに爆撃機が頭の上を通過する。アメリカの最新鋭爆撃機B-29だ。

 今日生きている事に感謝し、明日生きていられる事を不安に思う。


 ――東京大空襲


 今日はそう呼ばれる日だ。

 高校・・・いや、中学校か・・・とにかく、歴史の授業でそう習った。

 第二次世界大戦末期、東京。1945年3月10日。

 空が、黒い。

 毎日のように巻き上げられる埃と硝煙。

 誰もが疲れきっていた。

 お国の為、お国の為と、呪文のように繰り返し、ただ耐える。

 そんな日々。

 耐えきれなくなった者から脱落していく。

 終わりの見えない苦痛。

 空を横切るエンジン音で我に返った。

「どこだ、ここは?」

 いや、知ってるぞ。

 今日は3月10日。ここは東京。

 僕の名前は・・・。

「三郎!何やってる!早くこっちに来い!」

 三郎・・・僕の名前だ。

 そうだ。僕は三郎・・・いや、違う!僕は・・・。

 耳を突く爆音が起こった。

 近くに爆弾が投下されたんだ。

「ぼーっとすんな!」

 急に手を引かれて、建物の中に引きず仕込まれた。

「いいか、次に爆撃がやんだら土手沿いの防空壕まで走るんだ!」

 必死の形相で男の人が僕に怒鳴っていた。

 大きい人だ。

 僕の身長より、かなり背が高い。

 僕は周りを見渡した。

 茶箪笥、ちゃぶ台、火鉢。テレビの中でしか見たことのない物ばかりだ。

 ひとつひとつがとても大きい。

 僕は自分の両手を見た。

 すすで真っ黒に汚れた小さい手。まるで小さい子供の手ようだ。

 子供の手?

 僕は全身をくまなく見る。

 細い足、痩せた体、小さな手。

 全てが幼い子供のそれだった。

 頭が混乱する。

 今は2020年。僕は交通事故に会って病院に向かっている・・・はず。

 夢か?

 夢でなければ説明がつかない。

 しかし、夢で終わらせるには不自然なほど現実味を帯びた世界。火薬の臭い、まき散らされた埃が喉を通る不快感、爆発時の空気の振動。全てがリアル過ぎる世界。

 まさか・・・な。

 僕は身震いした。

 今も爆撃は続いていた。多すぎる爆撃の音は悲鳴さえもかき消すようだ。

 じっと息を潜めて待つ。

 爆撃が・・・止んだ。

 爆撃機のエンジン音も遠ざかってく。

「行くぞ!三郎、走れ!」

 大きな人が言った。

「兄ちゃん、待って!」

 自然と声が出た。

「早くしろ!次の爆撃機が来るぞ!」

 そう言いながら、兄は戻ってきて僕の手を引き瓦礫で溢れた道を走った。

 兄の名前は・・・そうだ、一郎だ。

 長男だから一郎。

 そして、一つ上の兄は次郎。次郎は先月亡くなったばかりだ。

 一郎は隅田川に向かっているようだった。

 焦土と化した東京の町並みを横目に、必死に走った。

 あちらこちらの家々から炎が上がっている。煙とともに運ばれてくる、鼻を突くような臭い。これは肉の焼ける臭いか?

 どこかで赤ん坊が泣いている。

 助けなきゃ。

 そう思う心とは裏腹に、足は隅田川の防空壕に急いでいる。

 一郎を見た。

 助けなきゃ・・・そう言おうとして、口を閉ざした。

 自分のことで手一杯だ。誰も余裕など無いのだ。

 これは・・・本当に夢なのか?

 現実的すぎる情景に、一郎が引いてくれている手が震えた。

 夢なら覚めてくれ。そう願わずにはいられなかった。

「痛っ!」

 僕は突然右足に激しい痛みを感じて、転倒した。

 見ると、右足の裏に錆びた釘のようなものが刺さって血が流れていた。

 痛い。

 今まで気が付かなかったが、僕は裸足だった。着ているものといえば、薄汚れた白いランニングシャツと木綿でできた茶色のズボン。

 一郎も同じような格好だ。

「三郎、大丈夫か?」

 釘は足の甲まで貫通している。焼けるように痛いと言うのはこういう事か。

 一郎が強引に釘を引き抜く。

 痛みに耐えきれず、大きな声を上げてしまった。

 自然と呼吸が荒くなる。息を吐く事で痛みを和らげようと努力するが、その行為は徒労に終わる。

 そんな生半可な痛みでは無いのだ。

 一郎は着ていたランニングシャツの裾を歯で裂くと簡易的な包帯を作ってくれた。

 包帯を足にきつく巻くことによって、ほんの少しだけ痛みが軽くなったような気がした。少なくとも先ほどのような吹き出るような出血は止まったようだ。

「歩けるか?」

 僕は一度立ってみたが、右足に激痛が走り再び座り込んでしまった。

「痛くて歩けないよ。」

 一郎を見上げながら僕が言う。

 情けない。今はこんな事言っている場合ではないのに、体が言うことを聞いてくれない。

「よし。じゃあ、おぶってやる。」

 一郎は満面の笑みでそう言うと、ひょいっと僕をおんぶした。

「ダメだよ、兄ちゃん。すぐに爆撃機が来る。間に合わないよ。」

 もうどうして良いのか分からなかった。

「大丈夫だ。兄ちゃん、足が速いの知ってるだろ?」

 そう言うと、一郎は走り出した。

 風のように走る人だった。焼け野原の景色がどんどん後ろに移動していく。

 一郎は散乱する瓦礫の山をものともしない。僕は足の痛みも忘れて、流れる景色を眺めていた。

 大きな背中が父親のようだ。

 安心したら途端に眠気が襲ってきた。

 とても疲れていた。眠りに落ちるのにそれほど時間はかからなかった。

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