第14話 樹海

 次の日の朝。海岸は形を変えた。

 一面のマングローブ。巨大な森が広がってる。

 僕はこの景色に心当たりがあった。


 テルストロイ共鳴国は自然を愛し、自然を重んじる緑豊かな国だ。

 出現する魔物は数も種類も、世界中の国と比べても頭ひとつ抜けていて、強さもFランクからAランクまで幅広い。

 冒険者ギルド本部に舞い込んでくる依頼の半分はテルストロイでの採取か討伐クエストになってる。

 目的地の国によって張り出される依頼書の色が変わるのだが、テルストロイは緑色の紙で、掲示板の半分を緑に染めてる。

 駆け出し冒険者の登竜門と呼ばれてる場所だ。


 駆け出し期間の短かった神童の集いは、テルストロイ国内で最強の魔物、デビルコングの討伐を完了して以来、くることはなくなった。


 船のまま森の中に入ろう。

 永遠と続くマングローブの列が大きな川で途切れている。【風速操作ウェザーシェル】で船を押し、流れに逆らって川の上を航行する。

 

 緑の壁に挟まれて進む。無数のモンスターが物珍しそうに僕たちの船を見つめていた。


「こ、こんなに沢山の魔物を見たのは初めてです」


 エリスティーナ様は恐怖を感じつつも、船の手すりに身を乗り出し、外の景色を観察していた。

 第三王女がこんな魔物だらけの森の中に入ることなんて、まずないだろう。見るもの全てが、新しい発見になる。


 しばらく進むと、船底から無数の何かに突かれているような音が響く。


「お、おい! 水が入ってきてるぞ⁉︎」


「川の下に何かいます!」


「キラービルの仕業でしょうね。船の移動はここまでのようです」


 キラービルは淡水魚のFランクモンスター。強靭な顎を持ち、動くもの全てに噛み付く。1匹1匹は普通の魚なみに弱いんだけど、水の中にいるし数も多いしで、特定のスキルがないと討伐が難しい、意外と手強いモンスターだ。

 ちなみにその身は淡白で、煮込めば美味しい出汁が取れるらしい。


「飛んでください!」


 川で削がれた土に船を擦り付ける様に当てる。船はもう半分水に浸かってる。悠長に止まってる暇はなかった。

 セバスは船縁を蹴り上げ、なんとか陸地に飛び込んだが。エリスティーナ様は、恐怖からか飛ぶのを躊躇した。


「すみません。失礼します」


 エリスティーナ様を抱き抱え、僕は船から飛び降りる。川に溶けるように船はどんどん粉々に砕かれながら沈んでいった。


「あ、ありがとうございます」


 エリスティーナ様を下ろし、辺りを索敵する。

 【鷲の目イーグルアイ】で視認できるだけで半径500メートル以内に1300匹以上の魔物たちがいる。

 気性が温和な魔物、考える脳のない魔物は変わった行動を見せないが、縄張り意識の高いデビルモンキーがソワソワと不穏な動きを見せてる。


 牽制しておくか?

 いや、矢は少ししか無い。魑魅魍魎が跋扈する樹海で、いちいち牽制なんてしてたら、あっという間に矢筒が空になる。なるべく気を荒立たせないように、静かに進んで行った方がいいだろう。


「こ、これからどうしましょう……」


 座ったままのエリスティーナ様が僕の顔を伺う。


「案内役とかって……」


「すみません。用意したのは船までで……」


「そうですか。目的地はどちらに」


「テルストロイの首都マディスカルです。テルストロイの王は私の亡命に協力すると約束して下さいました。そこに辿り着きさえすれば、もう安全です」


 首都マディスカルはテルストロイ領土のちょうど中心。ここが最南端だとすると、だいたい300キロ北上しなきゃならない。巨大な樹木が並ぶ起伏の激しい道を歩くなら、早くても6日か7日はかかる。


「歩くしか無いですね」


「はい」


 ここでも南に行けば行くほど魔物は弱くなる傾向がある。討伐クエストでこの国にやってくる時は、だいたい北の森に生息するモンスターを討伐してたから、南の森はまるで勝手が分からない。


 歩き続けて日が落ちる。高く聳える木々はわずかな夕日の光も遮って、あっという間に真っ暗になってしまう。


 魔物たちの声が全方位から聞こえて来る。


 こういう周囲を魔物に囲まれた場所では【鷲の眼イーグルアイ】の警戒を解くことができない。

 目の神経が疲れてきて、思わず目頭を押さえた。


「大丈夫ですか? 少し休憩いたしましょう」


「……ええ、そうですね」


 朽ちた枝を集め、【地獄の烈火スキューズショット】を最弱で放ち火をつける。

 ずっとこちらを観察していたデビルモンキーが少し遠ざかった。そういえば、緑の中で生きる魔物たちは火を嫌う傾向にあるんだった。

 寝ている間は、火を絶やさないようにすれば襲われることは無いかもしれない。


「火は絶やさないようにして下さい。魔物に襲われにくくなります。私とセバスさんで交代に寝ることにしましょう」


「ああ、わかった」


 焚き火のパチパチという音が、少しだけ心を癒してくれる。

 揺らぐ炎に見えるのは、懐かしい故郷と神童の集いのメンバー、冒険の日々。

 良いことばかりじゃ無かったけど、楽しくなかっといえば嘘になる。戻りたいわけじゃ無いけど、思い出すのは彼らとの旅の記憶ばかりだ。


「そういえば、第四王女のアルテミーナ様はどういった御方なのですか? 覇権を狙っていると仰っていましたが……野心のお強い方なのですか?」


 過去かばかりに向く意識を切り替えさせるため、僕は話を持ち出した。


「アルテは剣の才覚を持って生まれた子で、小さい頃はよく城の近衛兵相手に剣の修行をしていました。特別、悪戯が好きだったわけでもなく。素直で気立ての良い普通の女の子でした。彼女が変わってしまった理由を私は知りません。気づいた時には、あの子の周りは腐敗に満ちて、嘘で塗り固められていました」


 エリスティーナ様は悲しそうな顔をして火を見つめる。複雑な心境で過去を想うのは、僕も同じだった。


「第一王女のフローレンス様は、操り人形になっていると聞きましたが……それは一体……」


「アルテは禁忌の術をつかい、フローレお姉様の心臓を奪い取ったのです。心臓を人質に取られたお姉様は、アルテに逆らう方が出来なくなりました」


 心臓を……奪う?

 そのままの意味なんだろうか。

 生きたまま相手の心臓を奪うってことなのか。

 じゃあ今の第一王女は心臓を持ってないってこと?


「それを教えてくださったのは、魔法に長けた次女のハルネお姉様。しかし彼女もそのアルテの催眠術にかかってしまい。今はその術に抗うために部屋に閉じこもって反対魔法を唱え、なんとか正気を保っている状態です」


「魔法に長けているのに、催眠術に?」


「アルテはフローレお姉様を使って油断させたみたいです」


 話が凄すぎて気持ちがついていかないけど、もしもそれが事実なら確かに国の危機といっていい。国王陛下は異変ににづかないんだろうか。それだけアルテミーナ様の諜報活動が上手いという話なんだろうか。


「それで、エリスティーナ様は今後どうするつもりなのですか?」


「アルテを止め、王国を救う。それが私の使命です」


 ぐぅうう。


 またエリスティーナ様の腹の虫を聞いた。真剣な話をしていたのにすっかり台無しになってしまった。第三王女様は随分と食いしん坊な方のようだ。


「すみません……」


 音が聞こえないようお腹を押さえて、顔を赤くするエリスティーナ様。

 魔物の襲撃もさることながら、問題なのは食料だ。

 セバスはお金の入った布袋を持って船から降りたが、リンゴまでは持ってこれなかった。

 この森には魔物が多く存在する。果物なんかはみんな食べ尽くされてしまってる。

 

「うっ……」


「大丈夫ですか? 本当に」


「無理をするな。お前は少し休め」


 【鷲の眼イーグルアイ】を使って食料を探そうとしたけど、目がズキズキと痛み出した。

 神童の集いでは護衛任務なんてやってこなかった。どこで気を緩め、どこで体力を補えば良いのか、僕は緩急というものを何も理解していなかった。

 人を守りながら行動する難しさを初めて痛感する。明らかに経験値不足だ。


「ケイル様。少しよろしいでしょうか」


「え……」


 エリスティーナ様は片手で僕の両目を押さえる。


「【聖霊の祈りアテナス】」


 暖かい光が眼球を癒していく。

 張り詰めていた神経が一気に緩み、滞っていた血の巡りが良くなっていくのを感じる。

 ああ……物凄く気持ち良い……なんだこれ……。

 

 生まれて初めての極上の癒しに、疲れ切っていた僕の体は宙に浮いたように軽くなっていく。

 フカフカな雲の上で眠っているような。

 

「ケイル様。起きてください。もう朝ですよ?」


「はっ!? も、申し訳ございません! ぼ、僕は……!」


 飛び起きた時には、空はもう明るくなっていた。


「ふふ、よく眠れましたか?」


「ふん、さっさと立て! 先を急ぐぞ?」


 いつの間に寝てしまったんだろう。

 慌てて謝罪のポーズを敢行したが、任務を疎かにした僕を、エリスティーナ様もセバスも叱ること一切しなかった。

 むしろ僕の隙を見つけて、嬉しそうにしている感じですらある。全く護衛する立場として、情けない限りだ。


「疲れは取れましたか?」


 夢の続きにいると思うくらい、体は軽くなっていた。


「すみません……。ええ、凄く良いです。体が飛びそうに軽いです」


「それはよかった」


 完全に油断していた。

 幾百幾千の魔物の群れを警戒しても、心許した人にはこうもアッサリと油断してしまう。

 姉に心を許し、催眠術をかけられたという第二王女ハルネスティ様の心情が、少しだけ分かったような気分だった。

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