「猫の日」
「はぁ…ネコは気楽でいいね」
久々の日曜日。
春日差しに誘われて、モンシロチョウがひらひらと庭を舞う。
暖かい縁側で、ぼんやりと目を細めるセンセイの横で、ふと弱音を零してしまった。
ここ最近、休日出勤に駆り出されることが多く、休日らしい休みは久々。
日差しが心地よかったので、センセイと一緒にのんびり日なたぼっこをしていた。
最近はウトウトとしていることが増えたセンセイ。以前はもう少し活発だったのだけれど…。
何にせよ、今日はぽかぽか暖かい日なたぼっこ日和。彼の側に寝転んで、彼の暖かく柔らかい身体を撫でていると、いつの間に目を覚ましていたのか、ゴロゴロと喉を鳴らす声が聴こえた。
一緒に寝ているからか、いつもより身体に響くその音が心地よく、だんだんと私のまぶたが重くなってきた…。
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突然、携帯のバイブが床を通して、響いてきて、思わず跳び上がる。
ぎゃあああ!結局今日も出勤か!?
床に着地して、スマホを取りにリビングへとダッシュ!
廊下を駆けている途中、ふと違和感を覚える。
…私の家ってこんなに広かったっけ?
何だか廊下が長い気がするし、天井もいつもの数十倍の高さがあるような気がする。
じわじわ不安が湧いてきて、しっぽをぐっと引き寄せた。
……え?しっぽ?
…何で、私のお尻にしっぽ生えてんの?
思わず自分の身体を眺めて、吃驚仰天。さっきまでの着古したジャージは何処へやら、全身を覆うのは真っ白な毛皮…。側の鏡に映るのはいつもの私ではなく、不安そうにこちらを見つめるネコ、センセイの姿。
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…どうやら、私は念願のネコになったらしい。
というか、センセイの身体に乗り移ってしまったらしい。
訳のわからない展開だが、不安より好奇心が勝った。ネコの視点で見る我が家は、知らない場所のようで、何だか新鮮でワクワクする。
しっぽがピィーンと立つのを抑えられない!
ベッドの下に潜り込んでみたり、カーテンと戯れてみたりしていると、頭をぽりぽり掻きながら、《私》が現れた。
「あぁ、琴音!やっと見つけた!
吾輩と一緒に“お散歩”行くぞ?」
正確には、私の姿をしたセンセイ。
てか、センセイって、自分のことを《吾輩》って呼んでたの?!てかてか、男の人みたいに話す私って新鮮だ!てかてかてか、そもそも自分を客観的に見るなんて!
いろんなことがグルグルする私の心を知ってか知らずか、センセイは穏やかに微笑む。そして、しっぽをくねくねさせている私を優しく抱きあげた。
その手は、何だか自分の身体だなんて思えないほど、あたたかくて、やさしくて、私はすぐに微睡んでしまった。
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日に照らされた芝生の芳しい匂い…。
ハッと目を覚ますと、そこは私たちが初めて会ったあの公園。
芝生に覆われた公園の少し小高くなったところでセンセイは私を抱いたまま、腰を下ろしていた。私が目を覚ましたことに気づいているのか、いないのか。駆け回る子どもたちをぼんやり眺めている。
「幸せだ…」
きっと独り言だったのだろうけど、私は喉を鳴らして、賛成の意を示す。
私が目を覚ましたのに気づいたセンセイは、少し顔を赤らめて、優しく下に下ろした。
服や靴を着ずに寝転ぶ芝生は、少し痛いけれど、少しいい香りで、何だか気持ちよかった。
ふわっと優しく背中を撫でる風に顔をあげると、黄色いタンポポがそよそよと揺れていた。まん丸に実った綿毛も、今にも飛んでいきそうに、今にもこぼれ落ちそうに、ゆらゆら揺れる。
何だか、また少し眠たくなってきた。
いつの間にか、センセイが私の背中を撫でてくれていたのも、心地よくて…。
まぶたが落ちきる前に、見上げたとき、《私》の顔は、逆光で見えなかった。
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ゾクッとして目を覚ますと、もうとっくに日は落ちていた。
子どもたちもほとんど帰った公園に、私はセンセイを抱いたまま、座り込んでいた。
…あれ?ネコになったのは夢だったの?
寝ぼけ頭で苦笑いをして、独り言のようにセンセイに語りかける。
「私、センセイになった夢を見ちゃったよ」
センセイは深く眠っているのか、ピクリとも動かない。
立ち上がったとき、胸に何か冷たいものがあることに気づく。
それはだんだん広がって、手足から熱を奪い、喉をぎゅうっと締めあげた。頭の中はぐちゃぐちゃで、息を吸うのもままならない。
どうにか家にたどり着くと、丸い月がぼんやり滲んで、こちらを見下ろしていた。
「今日は月が綺麗だよ、センセイ」
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