第45話 魔教の村 (3/4)
「……やはり……隠せませんでしたか……。
そうです……私は以前、魔教徒でした」
「以前? 今は違うのか?」
「はい。
魔教徒の里を出たときから信仰は捨ててます。
いえ……里を出る前から、もう信じてはいなかったと思います」
私の質問に村長は重苦しい顔で答える。
「信仰とはそう簡単に変えられるものではないはずだが?」
村長の言葉を直ちに受け入れることは出来ない。
信者の集団の中で暮らしていたのだ。
生活スタイルそのものが信仰を基盤としたものになっているはずだ。
生活の中で広範に亘って作り上げられた価値観を全て捨てるのは、簡単なことではない。
その証拠に、彼には魔教徒らしい価値観が垣間見える。
「自分の力だけを頼りに勝手気ままに奪い、殺し、
魔教徒って聞くと、きっと皆さんはそんな人を想像すると思います。
でもですね、違うんですよ」
「どう違うのだ?」
「魔教徒はみんな、こんな姿ですからね。
人里離れたところに自分たちの里を作って暮らすんです。
もちろん、里には皆さんが想像するような人たちもいます。
でもそういう人は、ほんの一握りの強い人だけなんです。
大多数の魔教徒は、勝手気ままに振る舞う強者に虐げられる弱者なんです」
なるほど。
腕力を基準とした実力主義な上に、強ければ何をしても許される価値観なのだ。
弱者は搾取されるばかりだろう。
「丹田を壊されたのだって別に罰を受けてじゃないんです。
里の実力者に、面白半分でやられたんです。
……五歳から始めて十八年です……少しでも強くなろうとその年月……毎日苦しい鍛錬をしてたんです……。
そうやって
そんな里を作った宗教なんて、憎いとしか思えません」
胸の溜まり続け
様子を注意深く観察していた。
彼は嘘を言っていない。
心の底から魔教を憎んでいる。
「何故、魔教に入信したのだ?」
「魔教の教えに共感して里に移り住んだのは私の親です。
私は、魔教の里で生まれ育ったんです」
二世信者だったのか。
それは……
里は閉じた社会だ。
そこにいては逃げ場も無いだろう。
「街に逃げようとは思わなかったんですかのう」
マシューが村長に尋ねる。
「うちの両親もそうですが、外から来た里の者は外の世界を悪く言います。
だからずっと、外は酷い世界だと思ってました。
いよいよ命の危険を感じるまで外に逃げようと思うこともありませんでした」
「魔功を修練するなら、いずれ走火入魔になることは決まっておりますがのう。
命の危険があったから逃げたと
何故、魔功の修練を続けたんですかのう?」
マシューが村長に尋ねる。
走火入魔が何だか分からなかったのでマシューに説明を求めた。
魔功に手を染めると粗暴になっていきやがて人としての理性を失う。
その理性を失うことが走火入魔だそうだ。
おそらく前世の医学で言う人格解体のことだ。
人格解体はある日突然、前触れも無く起こる。
不自然に歪む気の循環経路、特に脳内の経路がぷつりと切れることが原因だ。
まるで脳溢血でも起こしたかのように昏倒し、意識を取り戻したときは理性のない獣になっている。
魔功修練者と似たような外見になる疾患について、前世の医学書で調べて来た。
重罪を犯していない魔教徒が改宗に応じた場合、彼らを生かす道がほしかったのだ。
「確かに魔功を修練すればいずれは走火入魔になります。
そうなれば里を挙げてその人を討伐します。
きっと命を落とすでしょう。
ですが、走火入魔になる人なんてほとんどいないんですよ」
「何だと?
では、魔功を修めていながら走火入魔にならない者もいるのか?」
驚愕して問い
武人は皆、魔教徒を見掛ければ討伐している。
魔教徒はいずれ必ず大量虐殺を始めるからだ。
だが、もし実際は理性を失う者が少ないなら、魔教徒の討伐自体が大きな間違いということになる。
「そうではありません。
魔教は走火入魔について長年研究していて、魔功に工夫を加えています。
魔教のものなら、その辺の魔功よりずっと走火入魔を遅らせることが出来るでしょう。
ですが、出来るのは遅らせることだけです。
たとえ魔教のものでも必ず走火入魔になります」
「では、走火入魔になる者がほとんどいないというのは?」
「ほとんどの人は走火入魔になるより前に殺されるんです。
街に出て好き放題暴れた場合はもちろんですが、里から出なくてもそうです。
一部の幹部以外は殺しても罪を問われない場所ですからね。
殺したり殺されたりなんてのは日常茶飯事なんです。
だから、走火入魔になるほど長生きする人なんてほとんどいないんです」
平均寿命が三十代という国が前世にはあった。
内戦中の国だった。
殺人も許される魔教の里は、内戦時のように残酷な世界なのだろう。
「……過酷な環境ですのう。
魔教徒が強いのも頷けますのじゃ」
同情する声でマシューは言う。
「過酷でしたね。
魔教と言えば魔功ですけど、別に魔教徒は必ず魔功を修練しなきゃならないってわけじゃないんです。
教主以外は、何を修練しても許されます。
それでもみんな魔功を選ぶんです。
早く強くならないと生き残れないから、普通の武功より早く成果が出る魔功を選ぶんです。
魔功が走火入魔になることは、里の人間なら誰でも知ってます。
でも気にしません。
遠い未来の走火入魔より、一年先も生きていられることの方が大事ですから」
「……だから……お逃げになったのですね?」
アナは悲しそうな顔をして尋ねる。
「そうです。
丹田を壊された私では、到底生き残れない場所でした。
生きるためには、逃げるしかなかったのです」
それから村長は村が出来た
彼が魔教の里から逃げ出したのは二十年ほど前だ。
同じく丹田を壊された仲間三人で一緒に逃亡した。
村長は肘から下を腕を隠せば普通の人だ。
戦闘用の小手などで肘から下を隠せば街でも生活は出来る。
だが、共に逃げた仲間は隠しようが無かった。
だから三人でこの地に小さな家を築いた。
それからしばらくは三人で魔物を狩り、魔物の素材を近くの街で売り生計を立てていた。
ある日、買い物で街に出たとき村長は子供がいじめられているのを目にする。
その子は側頭部から牛のような角が生えていた。
いじめを止めさせ、その子供と話をした。
自分と同じ丹田を壊された魔教徒だと思っていたが、子供は魔教徒ではなかった。
その街で生まれ育ち、武功を修練したことはなかった。
忌み子として捨てられ、残飯を漁って生きていた。
そういう子たちを呼び寄せていたら、森の中の一軒家が村へと発展した。
アナはハンカチを目に当てている。
アナもまた、人とは違う容姿だったのだ。
同情してしまうのも当然だ。
ここまで村長の様子を観察してきた。
何一つ嘘は言っていない。
やはり、今の彼は魔教徒ではない。
「村長が今現在、魔教徒ではないことは分かった。
次に、村で行われている殺人について教えてほしい。
魔教の里では殺人も許されるのかもしれないが、ここは私の領地だ。
勝手気ままに人を殺すことは、ここでは許されない」
「……何故……殺人があったとお思いで?」
顔を引き攣らせてしばらく固まった村長が、震える声で尋ねる。
「この村には魔功を修練した者と似た外見を持つ者が多くいるな?
似た外見なのは気の体内循環経路が魔功と似ているからだ。
気の循環経路が似ているなら外見は似たようなものになる。
精神症状もな。
走火入魔と似たような症状が現れた者も過去にいたはずだ」
魔功は特殊な気脈を構築することで気の循環経路を特殊なものに変えてしまう。
これが外見が変わってしまう理由だ。
この村には魔功を修練していなくても魔教徒のような外見の者が多い。
これは修練により気脈を形成しなくても魔功と似たような気の循環経路になってしまっているからだ。
アナは以前、人と少し違う外見だった。
あれは魔力循環に問題が生じたからだ。
魔力も気も、体内循環経路の変調で人の外見が変わるのは同じだ。
しかし気の変調は、魔力変調時にはない症状が現れる。
怒気、陰気、短気という言葉があるように、気は感情と密接な関わりがある。
気の循環に不調をきたすと、魔力の不調時とは違い感情にも影響が出る。
次第に粗暴になり、最後は人格解体を起こしてしまう。
つまり、魔功を修練したときと似たような精神症状が現れるのだ。
魔教の魔功には走火入魔の発症を遅らせる工夫がある。
だが、彼らは魔功を修練したわけではない。
何の工夫もないのだから、人格解体は魔教徒よりずっと早いはずだ。
この村が出来てからもう二十年以上も経つ。
人格解体を起こし人を見れば襲い掛かる者は、過去この村にも現れているだろう。
そうなった者を、村は何らかの形で処理しているはずだ。
「……全て私が殺しました」
「全て村長が?
他の者は手を下していないのか?」
「はい。全て私が処理しました。
丹田が壊されて内功はありませんが、それでも私には武術の心得があります。
他の者は、魔物との戦い方は知っていますが人との戦い方を知りません。
対人戦では村で一番強い私が適任ですので」
村長は私の質問に答える。
覚悟を決めた顔だった。
その後、具体的な人格解体発症者の人数や時期、状況などを詳しく聞く。
こうして村長への事情聴取は終わった。
「……あの方は嘘を
村長がテントを出てからアナが言う。
走火入魔になった者は全て自分が殺したと村長は言った。
その言葉を、アナは嘘だと言っている。
「わたくしは、全てあの方がされたわけではないと思いますの。
走火入魔は、ある日突然に起こるものなのでしょう?
ときには何日も狩りで村を空けられる方ですもの。
全てをお一人で対処されるなんて無理ですわ」
アナは言葉を続ける。
その通りだ。
走火入魔は突然起こるとマシューは言っていた。
前世の医学書にも、気経路性疾患の人格解体はある日突然起こるものだと書かれていた。
狩りで村にいないことが多い村長一人では全てを対処出来ないだろう。
「村に内功を持つ者はおりませんでしたがのう。
外功、つまり騎士や冒険者の
大半は狩猟部隊の者ですが、狩猟部隊以外にも二人おりましたのう。
あの二人なら、走火入魔の者も対処出来るかもしれませんのう」
マシューが納得したような顔で言う。
「誰なのだ?」
「村長の奥様とご子息でしたのう。
元冒険者の奥様ですから、ご子息に自分の業を教えたんだと思いますぞ」
妻子を庇ったのか……。
彼は……里を出て自分より大切なものを見付けられたのだな。
それほど大切な人と一緒にいられるなら、きっと今の彼は幸せなのだろう。
良かった。
「ジーノ様。あの方に必要なのは罰ではなく癒やしだと思いますの」
すっかり村長に同情してしまったアナが言う。
私も同意見だと言ってアナを安心させる。
村で行われている殺人について聴取したが、罰するために問い質したのではない。
領内で殺人があった以上、状況を確認する必要があったからだ。
この件で刑罰を科すつもりはない。
さて、状況は分かった。
次は諸問題の解決だ。
領主として、村人が安心して暮らせるように手配しなくてはならない。
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