第37話 シモン領の運営(5/9)折れないアナと起死回生の新事業
「アナスタシア様。
こんなところで無駄な時間を過ごされていないで、領政の立て直しにお力を入れた方がよろしいのではなくて?」
エイブリー様が
ご不快さを隠されることもないお顔です。
エイブリー様がご不快になるのは予想通りです。
この貧民街はエイブリー様が管轄される地区ではありません。
エイブリー様をこの地で最も重要な臣下として扱うなら、まずはこの方の管轄される地区に伺って炊き出しをしなくてはならなかったのです。
ですがわたくしは、貧民街での炊き出しを優先しました。
貧民街の皆様の方が、よっぽどお困りのご様子だったからです。
「遊んでいるように見えたなら、申し訳ありませんわ。
でも、遊んでいるつもりはありませんの。
貧民街の皆様への援助も領政の一環ですもの」
「あら。
アナスタシア様は領政について何もご存知ないのかしら?
領を運営されるなら、まずは領民が飢えることのないような施策をするべきですわ。
こんなのただのパフォーマンスですわよね?
領主館にお戻りになって、やるべきことをされた方がよろしいかと思いますわ」
「領民が飢えることがないような施策」は、麻事業の事業体制構築を
領地経営で最も重要となる麻事業を最重要視するようにと、エイブリー様は換言されているのです。
「確かに、事業により領を豊かにすることは重要ですわ。
ですが、それで領が上向くのは少し先のお話です。
ここにいらっしゃる皆様は、今週に召し上がるものについてお困りの方かと思いますの。
それなら事業の施策だけではお助け出来ませんわ。
この状況なら事業構築と困窮対策は並行して行うべきだと、わたくしは思いますわ」
今回は引くつもりはありません。
わたくし個人への侮辱などでしたら、わたくしが折れて不問にすることも出来ます。
ですが今回、炊き出しを中止して被害を受けるのは貧民街の皆様です。
有力者に
「いい加減になさいませ! エイブリー様!」
そう仰ったのはレスリー様でした。
ビジー様もこちらにいらっしゃってエイブリー様との口論に参加されます。
やることがなかったわたくしとは違い、このお二人はお料理をされていました。
わざわざお料理を中断されて、わたくしにお味方下さっているのです。
エイブリー様がご不満をお見せになったのは、エイブリー様のお立場もあると思います。
わたくしは真っ先にエイブリー様の管轄区にお伺いして炊き出しをせず、先に貧民街で炊き出しをしています。
周囲は、当家がエイブリー様のお家を軽んじていると判断される可能性があります。
そうなると領地内の序列にも影響してしまうのです。
この領で暮らす方にとって、領内の序列は重要なことなのです。
領内の序列が重要なのはレスリー様たちも同じです。
エイブリー様のお家が領内で大きな権力をお持ちになるのを、レスリー様たちはお望みではないのです。
わたくしたちが麻事業にばかり関心を寄せてしまうと、麻事業との関わりが薄いレスリー様はその余波でお苦しいお立場になってしまわれます。
「アナスタシア様のお考え、よく分かりました。
大変有意義なお話し合いでしたわ。
今日はこれで失礼させて頂きます」
そう仰ってエイブリー様は立ち去られました。
「大変有意義」と仰ったのは、この件を大きな取引材料にするということでしょう。
事業運営にあたって友好的な関係を築くため、こちらに更なる譲歩を要請されるおつもりだということです。
「大変ですねえ。
領地の皆様は、お嬢様さえ攻略すればジーノリウス様を攻略出来たも同然だってお思いですからねえ。
お嬢様のところばかり大変なことが起きますねえ」
メアリはそう言いますが、そんなことはないと思います。
むしろ、ジーノ様を攻略された方が良いと思います。
ジーノ様の
「どうしてそのように思われたのかしら」
「ほほほほほ。
お二人のご様子を五分もご覧になったら、誰だってそう思いますよ。
お嬢様は愛されてますからねえ」
メアリがニヤニヤとわたくしを見るので恥ずかしくなってしまいます。
「ほっほっほ。
先ほどの毅然とした態度は立派でしたぞ。
お嬢様が転べばジーノリウス様も転んでしまいますからのう。
無愛想なジーノリウス様よりお嬢様の方が与し易いと見てお嬢様に狙いを定める方も増えるでしょうが、ここは踏ん張りどころですぞ」
そうですわね。
ジーノ様にご迷惑は掛けられませんわ。
簡単に言質を取られないよう注意しなければいけませんわ。
あら。そろそろお料理が出来上がりますわね。
気を取り直して、わたくしのお仕事をしますわ!
大人の方は怖がってしまうので近付くのが難しいです。
ですので、まずは遠巻きにこちらをご覧になっている子どもたちのところに行きます。
「お貴族様。いつ頃残飯を捨てるの?」
子どもの一人がそうお尋ねになります。
やっぱり残飯をお待ちでしたわね。
「残飯ではなくスープを差し上げますわ」
「……ぼく、お金持ってないよ?」
「お金なんて要りませんわ。
少しお話をお聞かせ頂けたら十分ですわ」
「何のお話?」
「そうですわね。
この街の様子ですとか、昨日は何をして過ごされたですとか、そういうお話ですわ」
「そんなのでいいの!?」
「ええ。十分ですわ。
ですからお友達もお呼びして下さいませ。
皆様にスープを差し上げますわ」
「あの……話をしたら俺らも食べ物貰えるんでしょうか?」
子どもたちとのお話に聞き耳を立てられていた大人の男性がお尋ねになります。
「もちろんですわ。
お話をお聞かせ下さいませ」
領民の皆様から歓声が上がります。
騎士たちが領民の皆様を並ばせて、わたくしは使用人とともにお料理を配ります。
お料理をお渡しする前にちょっとした世間話をして街の状況についての情報を集めます。
「うめええええ!
塩がたっぷり入ってるぞ!」
「うわあああ!
お肉だああああ!」
我慢できず、手にされて
ふふふ。炊き出しして良かったですわ。
「お貴族様。これあげる」
「あら? これは?」
「ぼくが作ったの。
父ちゃんがね、何か貰ったらお礼しないさいっていつも言ってるの。
スープ貰ったからそのお礼」
食べ終えた子どもが差し出したのは、石を繋いだ腕飾りでした。
こんな小さな子が装飾品を作って商売されているんですのね。
「立派なお父様ですわね。
ありがとう存じます。
嬉しいですわ」
「お貴族様。
これ、あたしが仕事で作ってる草縄です。
草原の使えそうな草の繊維を寄せ集めたもので強さも性質も麻縄みたいに均一じゃないんですけど……。
こんなものしかなくてすいません!
庭作業にでも使って下さい!」
今度は三十代ぐらいの女性が草縄を一束差し出されます。
「お貴族様。あたしはこれあげるね」
「これ、俺が作ってるやつなんだ。あげるよ」
一体どういうことでしょうか。
多くの方が何かを差し出されます。
「これがこの貧民街の文化なんですよ。
貰って上げて下さい。
貴族がルール違反なんてしたら、大切な文化が壊れてしまいかねませんから」
そう仰ったレスリー様が、ご説明下さいました。
貧民街では、何かをして貰ったら何かを返すのがルールなんだそうです。
貧しい領地の中でも特に貧しい場所です。
一人でも多くの方が生き残るため、代々顔役の方が皆様に助け合いのルールを徹底されているのだそうです。
貧しければ奪い合いなんてすぐに起こってしまいます。
そうならないよう、ルールの徹底はかなり厳しいものなんだそうです。
皆様のプレゼントは有り難く頂きました。
◆◆◆◆◆ ジーノリウス視点
「やはり厳しい」
思わずそう呟いてしまう。
麻袋ではなく麻布を使った服を事業とする計画を立てているのだが、なかなか厳しい。
収益性は今よりも格段に上がるだろう。
だがそれでも、黒字転換出来るほどではない。
赤字の大幅縮小止まりだ。
「ジーノ様」
嬉しそうな顔でアナが執務室に入って来る。
笑顔で近付いてくるアナを見るだけで疲れが吹き飛ぶようだ。
「これ、炊き出しをしたときに男の子から頂いたものなんですの」
「これは! 七色鉱石か!?」
アナが差し出したのは、細く割いた植物の茎を撚り合わせて作った紐でいくつもの石を繋いだ腕飾りだった。
鉄鉱石のようなその石は、油膜が張っているかのように虹色に輝いている。
これは、前世では七色鉱石と呼ばれたものだ!
ミスリルの原料だ!
「やっぱりそうですわよね。
図鑑で見たのと同じでしたもの」
私の前世についてアナに打ち明けた後、アナに魔法を教えようと思った。
だがアナは、魔法だけではなく前世の言語から学ぶことを望んだ。
大学図書館を発掘したので、私は前世の書物を大量に持っている。
本が大好きなアナは、前世の本を読みたがったのだ。
そこで、水晶球リーダーに収められた本を獣皮紙に焼き付けてプリントするゴーレムを作った。
プリントされ
習熟度はまだまだなので、読むのは図鑑などの絵が付いたものが多い。
ちょっと前に『宝石・鉱物図鑑』を読んでいた。
それで七色鉱石を学んだのだろう。
「この領地では虹石と呼ばれているもので、近くの山でたくさん採れるものらしいですわ。
ミスリルなら、領地は莫大な利益を上げることが出来ると思いますの」
「そうだな。
これを素材に魔道具を作ったなら大きな利益を上げることが出来る。
採掘には人が必要だから、領民の雇用にも繋がる。
あとは販路か」
この世界の魔道具は、大変な高級品だ。
八百屋で野菜と一緒に高級宝石を売っても、その宝石に相応しい価格で買っては貰えない。
高級品を高級品としての価格で売るには、相応に豪華な店舗で販売する必要がある。
今の私の商会の店舗は魔道具の販売には適さない。
「二日後にエカテリーナ様がこちらにいらっしゃいますわ。
お話されたら良いと思いますの」
「なに? バイロン嬢が来るのか?」
バイロン家は魔道具販売を営む家だ。
魔道具販売では広い販売網を持っている。
また、あの家の令嬢はアナと親しく信用の置ける人物でもある。
取引相手としては申し分ない。
「はい。
お招きしましたの。
ご用もありましたし、久しぶりにお会いしたいと思いましたので」
アナは貴族らしい貴族だ。
嘘は吐かないはずだ。
用があるのも、久しぶりに会いたいのも本当だろう。
だがそれだけではないと思う。
ミスリル魔道具の事業を成功させるために、さり気なく気を回してバイロン嬢を呼んでくれたのだろう。
こちらが気付かないうちに気を回してくれ、その手柄を誇ることもしない。
そんな素敵な女性なのだ。
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