第36話 シモン領の運営(4/9) 激怒するジーノと炊き出しするアナ

「なんだと!?

そのエイブリーとか言う、不快極まりない無礼者を引っ捕らえろ!

今すぐにだ!」


ジーノ様が衛兵に向かってお声を張り上げられます。

お茶会でのことをジーノ様にご報告したら、ジーノ様は大変お怒りになってしまわれました。


「お、お待ち下さい。ジーノ様。

どうか、どうか落ち着かれて下さいませ。

エイブリー様は、お家のために懸命に戦われているだけだと思いますの。

わたくしもそれは存じていますから、不快には思っていませんわ」


何とかジーノ様を落ち着けなければなりません。

ジーノ様は領主になられたばかりです。

十分な実績を積むより先に赴任早々過激な制裁を行われてしまったら、民心が離れてしまいかねません。


今はまだ駄目なのです。

処分をされるにしても、もう少し時間を置いてからです。

それも領民の皆様が納得できるような理由が必要です。


「お嬢様の仰る通りですのう。

まずは落ち着かれて、それからお嬢様をお褒めになって下さいませ。

今回のお嬢様のお仕事は、私どもの仕事の大きな助けになっていますぞ」


執事長のマシューもわたくしを援護してくれます。


「む。そうだな。

アナ。今回は本当に頑張ってくれた。

ありがとう。

おかげでこちらも随分やりやすくなった」


お顔の色からして、ジーノ様はある程度落ち着きを取り戻されたようです。

胸を撫で下ろします。


「少しでもお役に立てたのでしたら……嬉しいですわ」


恥ずかしくなってうつむいてしまいます。

だって、心が溶けてしまうのではないかと思うほどお優しい笑みを浮かべられて、わたくしの手を握られておっしゃるんですもの。


「だがアナ。

もう無理はしないでほしい。

君がずっと笑顔でいることが私の望みだ。

そのために、私は力を尽くしたい。

私がどうしてもそうしたいのだ。

どうか私の願いを聞き入れてほしい」


本当にお優しい方です。

わたくしのために、いつも進んで苦労をされるのです。

ですが、そう思うのはわたくしも同じです。


「わ……わたくしだって……ジーノ様に尽くしたいですわ」


勇気を出して、自分の気持ちを正直にお伝えします。

ジーノ様は目を見開かれ、身動きを止められてしまいました。


「アナ!! なんて可愛い人なんだ!!」

「そこまでです! ジーノリウス様!」


しばらく動きを止められていたジーノ様ですが、歓喜のお顔で両手を広げられ、わたくしを抱き締めようとされました。

ですがブリジットは、ジーノ様の後ろ襟を引っ張ってそれを制してしまいました。



「あの家が強気の態度になるのは分かる。

置かれた状況を考えるなら、そうすることが自然だ。

だが、度を超えているな」


「過去の記録を調べてみましたが、ここがサンガー侯爵領だった頃はサンガー家の関係者はほとんどこちらに来ておりませんからのう。

王家没収地だった頃は尚のことですじゃ。

王家はこの領地には関心がほとんどなく、有力者への叙爵さえしておりませんのじゃ。

この地の有力者はずっと野放しで、この地はあの者らの天下でしたからなあ。

増長してしまったんでしょうなあ」


ジーノ様のお言葉に対してマシューがそう返します。


「なるほどな。

目上の者と接する機会が少なかったから、目上相手の駆け引きが稚拙だということか。

アナの計画が成らなかったとしても、最初にある程度のむちが必要だな。

あの態度のままでは、アナがこれからも辛い思いをすることになる」


「わたくしは大丈夫ですわ」


「いや。君への不敬は私が耐えられないのだ。

それに、不快な思いをするのはアナ以外のセブンズワース家の者も同じだ。

私の忍耐力とは関係なく是正しなくてはならない」


結果がどう転ぶにせよ、ジーノ様は一度厳しい対処をされるようです。





「わたくし、まだまだ駄目ですわね」


資料室でマシューたちと一緒に資料を探しながらそんな独り言をつぶやいてしまいます。


もしお母様がお知恵をお貸し下さらなかったら、一人では何も出来なかったと思います。

このままではジーノ様のお荷物です。

もっと頑張らなくてはなりません。

もっと頑張って、ジーノ様のお役に立ちたいです。


「そんなことはありませんぞ。

お嬢様は親しみやすい方ですからな。

お相手も口を滑らせることが多くなりましょう。

必要な情報を集めるのは向いていらっしゃると思いますぞ」


「ええ。そうですよ。

奥様は口調も所作もお優しげですけれど、他の方を圧倒されてしまう大変な覇気もお持ちですからねえ。

大抵の方は奥様を前にすると萎縮されますから、簡単には口を滑らせなくなるんですよ。

いとも簡単にお相手の警戒心を解いてしまえるのは、お嬢様の大きな強みですよ」


執事長のマシューとメイド長のメアリは、そう言って励ましてくれます。


「でも、お母様みたいに知略を巡らせることなんて、今のわたくしにはとても出来そうにありませんわ……」


「何も奥様の真似をされる必要なんぞありませんぞ

お嬢様は、お嬢様の出来ることで家を盛り立てれば良いと思いますぞ」


「ええ。そうですよ。

知略に長けた方、旦那様を癒すことが得意な方、家門内の人間に好かれる方、世の中には色んな貴婦人がいらっしゃいますもの。

お嬢様はお嬢様なりに、ジーノリウス様との関係を築かれたら良いんですよ」


「わたくしになりに、ですか……。

どんな関係を築けば良いのでしょう……」


「ほっほっほ。

それは、ご結婚なさってからお考えになっても遅くないと思いますぞ」


「ほほほほほ。

ええ。そうですね」


わたくしはまた、勇み足をしてしまったようです。

恥ずかしいです……。




◆◆◆◆◆




レスリー様のご助言に従ってお忍びで街を見回ってみました。

書類から想像する状況よりもずっと、本当に酷い有様でした。

特に貧民街は深刻で、領民の皆様はその日の食べ物にも困っています。


ついでに宝飾店を回り、帳簿をお借りします。

今回はまた別にお借りする理由はありますが、お母様も宝飾店の帳簿は確認するようご助言下さいました。

宝飾店の帳簿は、領主館の資料では把握できない宝飾品の流通が確認できます。

横領などの不正があったとき宝飾品の流通という形で表れることが多く、領内宝飾店の帳簿閲覧は不正発見に有用なんだそうです。



◆◆◆◆◆


今日は貧民街に来て炊き出しをしています。

先日の視察で見た貧民街が切迫した状況だったからです。


貧民街で大鍋などを用意してお料理を始めるわたくしたちを、皆様は最初いぶかしげにご覧になっていました。

やがて大勢の方が集まって来られ、食い入るような目で遠巻きにわたくしたちをご覧になっています。


「皆様は、なぜもっとお近くにいらっしゃらないのかしら」


「記録を調べてみましたが、この領地では飢饉の際に食料を配給したことはあっても、炊き出しをしたことは一度もありませんでしたからのう。

こうして貧民街に貴族が来て料理するのは初めて見るんだと思いますぞ」


「ええ。そうでしょうねえ。

あの人たちも、このお料理が自分たちのためのものだとは思っていないんですよ。

遠巻きに見ているのは、お料理が出来上がるのを待っているのではなくて、私たちが捨てた食材を狙っているんだと思いますよ」


マシューとメアリの説明を聞いて驚いてしまいます。

貧民街での炊き出しは街の状況把握と領民の皆様との親睦のために有用だって、学園でも習います。

教科書にも載っていることなのに、困窮したこの状況で一度も炊き出しをされなかったなんて。

以前はどんな領政だったのでしょうか。


「マシューはさすがですわね。

過去の炊き出しの記録まで調べているなんて」


「ほっほっほ。

過去の事例を調べるよう私に命じられたのはジーノリウス様ですぞ。

お嬢様の炊き出しを成功させようと、あの方も陰でお気遣いされているのです。

お嬢様は相当、愛されていますぞ」


「ほほほほほ。

ええ。本当に。

これならお世継ぎのご誕生も、きっとすぐでしょうねえ」


マシューとメアリがとんでもないことを言うので、恥ずかしくてうつむいてしまいます。






「まあ。こんなところにいらっしゃって。

どうされたんですの?」


思わずそう申し上げてしまいます。

わたくしたちがお料理をしているところにビジー様とレスリー様がいらっしゃったのです。


「貴族が貧民街で変わったことしてるって、大変な噂になっているから来てみたんですわ。

お手伝いしますわよ」


「領民と向き合われたことは評価しましょう。

諫言を申し上げた以上、わたくしもお手伝いしますわ」


ビジー様とレスリー様は、お手伝いをお申し出下さいます。

領内初の炊き出しなので、話題になっているようです。


「まあ! お料理がお出来になるんですの!?」


ビジー様とレスリー様はご自身で用意されたエプロンをお召しになったので、驚いてお尋ねしてしまいます。


「それはもちろん、出来ますよ」


レスリー様は「はい」と短くお答えしてお料理の準備を始められましたが、ビジー様はお喋りにお付き合い下さいます。


「すごいですわ!

わたくし、包丁もさわらせて貰えませんのに」


「あっはっは。

そりゃ、筆頭公爵家のご令嬢はさわれませんよね。

でもわたくしたちは立派な平民ですし、貴族だった頃も平民に毛が生えた程度のものですから」


そう仰るとビジー様は慣れた手つきでお野菜を切り始められます。


すごいですわあ!

ビジー様の包丁さばき、とってもお上手ですわあ!


……わたくしも切ってみたいです。

あら。ちょうどすぐそこに包丁がありますわね。


わたくしもお料理にチャレンジですわ!


「お嬢様っ!? いけませんっ!」

「わあっ! あぶなーい!」


慌てて駆け寄られたビジー様とブリジットに手を押さえられてしまいます。


「アナスタシア様。

野菜にも持ち方があるんですよ。

包丁の刃の先に指が来るように持ったら危ないですよ」


「その通りです!

もうこんな危ないことはなさらないで下さい!

お料理は禁止です!」


包丁は取り上げられてしまい、お料理をすることは出来ませんでした。

残念です。


わたくしたちがお料理をしていると貧民街に馬車が入ってきます。

馬車から降りて来られたのはエイブリー様でした。

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