第31話 初めての外出デート。二人で湖へ 後編(アナスタシア視点)

今日はジーノ様と湖に行く日です。

ジーノ様とは毎日のようにお会いしていますが、縁談を除けば今までお会いしたのは全て屋敷内です。

お散歩は屋敷の庭園ですし、歌劇や演劇の鑑賞も屋敷内の劇場ですし、楽団演奏も屋敷内の音楽堂での鑑賞です。


ジーノ様との初めての外出ということで昨日は嬉しくてなかなか寝付けなかったのですが、今日は朝早くから目が覚めてしまいました。

ですので、普段より早い時間から念入りに支度をします。


向かう先は王都街壁内で唯一の湖です。

野外ということで、あまりスカートが広がっていないドレスを選びます。

スカートが大きく広がるドレスは足元が見えないので、足場が悪いところでは転びやすいのです。

ジーノ様の前で転ぶなんて、そんな失態は犯せません。


足場が良くないことも考えて、足元はブーツにしました。

そして、日焼け対策のお帽子を被ります。

お帽子もドレスも、今回は頑張りました。

可愛いものを選んだのです。


醜いわたくしは人の目に止まればその方をご不快にさせてしまいます。

外出するとき、わたくしはこれまでずっと目立たないものを選んでいました。

可愛いものを選ぶなんて初めてです。

すごい冒険をしているようでどきどきします。


「おはようアナ。

そのドレスは似合っていて可愛いな。

首飾りのアクセントも絶妙だ。

帽子も可愛らしい」


嬉しくて飛び跳ねたくなってしまいます。

お洒落したことをお褒め頂くのって、こんな気持ちになるのですね。


今日のジーノ様は、普段の貴族服ではなく黒いボトムスに焦げ茶のアウターをお召しでいらっしゃいます。

貴族男性が狩りのときに着る服です。

スタイルの良いジーノ様は、狩猟服も大変よくお似合いです。


馬車は湖に到着し、まずは散策をします。

春の湖の畔をゆっくりと見て回ります。

初めて見る新鮮な景色を眺めながら、エスコートして下さるジーノ様の腕に手を置いてお喋りをしながらの散策です。

歩きながらお喋りするだけなのに、横にジーノ様がいらっしゃるだけで信じられないぐらいに心が躍ってしまいます。


それから、少し早いですがお食事を頂くことにしました。

テーブルセットが置けそうな場所があればテーブルセットを使い、適当な場所がないならピクニック・シートを広げる予定です。


「あそこがいいと思う」


ジーノ様がそう仰って指差された場所は、木陰で、湖もよく見えて見晴らしも良く、しかもテーブルセットも置けそうです。

まさに昼食には絶好の場所です。


運が良いですわ。

湖の畔をよく知る方ならともかく、初めて来てこれだけ好条件の場所を探そうと思ったら大変ですもの。

しかもすぐに見付かりました。


まるでこの場所をご存知だったかのようにジーノ様はまっすぐここに来られました。

でも、そんなわけありませんわね。

お忙しい方ですもの。

観光を楽しまれる時間はないはずですわ。


湖畔を吹き抜ける爽やかな春の風を感じつつ、陽の光でキラキラと輝く湖面を見ながらのお食事は格別です。

景色は大変美しいです。

ですが、木漏れ日の中にいらっしゃるジーノ様は景色よりずっとお美しく、湖面に目を向けられた涼やかな横顔は芸術品のようです。

風で葉が揺れるとジーノ様に差す木漏れ日も揺れ、つややかな黒髪がキラキラと輝きます。


思わず見惚れてしまいます。

ちょうどそのとき、ジーノ様がこちらに目を向けられたので目が合ってしまいました。

ジーノ様は目を逸らされず、甘い笑みを浮かべられます。

恥ずかしくなって目を逸してしまいます。


食事を終えてから、いよいよボートに乗ることになりました。

醜いわたくしは、幼い頃から極力外出を避けて来ました。

湖に来たのもボートに乗るのも、これが初めてです。


ジーノ様のエスコートでボートに乗せて頂きます。

透明度が高い湖なので水底まで見ることが出来ます。

水底が白い砂ということもあり、お魚がよく見えます。

水の上に自分がいて、わたくしの下にお魚がいるというのは、何だか不思議な気分です。


「風が少し強いから、これを羽織ると良い」


ジーノ様はそう仰って、ご自身の上着をわたくしの肩に掛けて下さいます。

ジーノ様がお寒い思いをされるのではないかと思い遠慮しましたが、ボートを漕がれているので寒くないとのことでした。

服からジーノ様のぬくもりと匂いを感じてしまい、鼓動が速くなってしまいます。


ジーノ様のお言葉通り、本当に風が強くなりました。

まるで湖の上の風の流れを熟知されているかのようですけど、どうしてお分かりになったのでしょう。

地形から風の流れが分かるものなのでしょうか。


「まあ!

あそこに亀がいますわ!」


野生の亀なんて、この目で見たのは初めてです!

しかも、とても大きいですわ!

わたくしが腰掛けても大丈夫そうです!

すごいですわ! 驚きです!


「ジーノ様!

亀がこちらを見ましたわ!

わたくし、目が合いましたの!」


ジーノ様はにこにことお笑いになってわたくしをご覧になっています。


ふと、ボートから身を乗り出して亀を眺めるわたくしは、淑女らしからぬはしゃぎ様であることに気が付きます。

慌てて背筋を伸ばして膝を揃えてボートに座り直しますが、先ほどまでの振る舞いを思うと恥ずかしくなってしまいます。


おそらく赤くなっている顔を隠すために下を向いてしまいました。

ちらりと目を向けると、そんなわたくしをジーノ様はにこにことお笑いになってご覧になっています。

恥ずかしいですわ~。


「ふふふ。可愛い」


甘やかな笑顔でジーノ様がそう仰るので、別の意味で恥ずかしくなってしまいます。


ジーノ様がそれからまた話題を振って下さったので、わたくしたちはまたボートの上でお話をします。

ジーノ様と二人きりで、櫂を漕ぐ涼しげな水音を聞きながら、湖の上でのんびりとお喋りをします。

とても穏やかで、とても楽しい時間です。


突然強い風が吹いて、わたくしのお帽子が飛ばされてしまいました。


いけませんわ!

あのお帽子はジーノ様が!

ジーノ様がお褒め下さったものです!

わたくしが初めて頑張ってお洒落をして、ジーノ様がお褒め下さった大切なお帽子なのです!

水に落としては駄目ですわ!


「あ」

「はっ!?」


あああああああ!

やってしまいましたわあああ!


気が付いたら、袖の下に隠した紐付きの暗器を投げてお帽子を手元に引き寄せてしまっていました。


どうしましょうううう。

暗器を投げてお帽子を回収するなんて、淑女としてあるまじき失態ですわあああ。


「い、今のは一体……」


恥ずかしくて俯いていたお顔をちらりと上げると、ジーノ様は目を丸くされています。


「も、申し訳ありません。

淑女としてあるまじき振る舞いでしたわ」


「いや、それは構わないが……

驚いたな。

それは何という暗器なのだ?

少し見せてくれないか?」


ひょうというものですわ。

ご覧になりたいのでしたら……どうぞ」


腕からリングを抜き取って鏢をジーノ様に差し出します。

この暗器は、五セルチ程度の刃物とリングを金属製の糸で繋いだものです。

リングを腕に掛けておけば、慣れると投げた刃物を即座に手元に引き戻すことが出来ます。


しばらくご覧になってからジーノ様はお返し下さいました。

恥ずかしいので、すぐにまた身に着けて袖の下に隠してしまいます。


「驚いたな。

帽子が飛んでから水面に付くまでの僅かな間に投げる反応速度と言い、帽子に付いたリボンの輪を通す精確さと言い、凄い腕前だ。

いつから習っているのだ?」


ジーノ様は感心されているご様子です。

ご不快なお顔はされていません。


良かったですわ。

酷い振る舞いだったので落胆なさったらどうしようかと思っていました。


「……幼い頃にブリジットが練習しているのを見て、真似をし始めたのが最初ですの。

大人の使用人に見付かるとお母様に報告されてしまいますから、ブリジットと二人だけのときにこっそり遊んでいたんですの。

ブリジットにとっては使用人としての嗜みだったのでしょうけれど、わたくしにとっては的当てに似たお遊びでしたわ」


「使用人としての嗜み……なのか?」


それは間違いありません。

休憩時間などに目立たない場所で暗器の練習をする使用人をたまに見掛けますが、誰もが当家使用人の嗜みだと答えます。


ひょうは、公爵が用意してくれたものなのか?」


「いいえ。

これはブリジットからのプレゼントですの。

学園などブリジットが入れない場所で不埒ふらちな男性にお会いしたら、これで喉笛のどぶえを切り裂くようにと」


「……さ、さすがはブリジットさんだな」


開き直ったわたくしは、ブリジットとの想い出をジーノ様にお話ししました。

淑女にあるまじき想い出話だというのにジーノ様はお嫌そうなお顔一つされません。

それどころか逆にわたくしをお褒め下さいます。

包容力があってお優しい方ですわ。


公言出来ないわたくしの一面もお受け入れ下さったことで、ジーノ様との距離が一気に近付いた気がします。

うっかり暗器を投げてしまったときは大失敗だと思いました。

ですがこれは、思わぬ大成功だったのかもしれません。

ジーノ様を前よりもお近くに感じます。


ボートを乗り終えてから、馬に乗ることになりました。

馬車の見張り担当のために馬を使う予定がない騎士に馬を貸してもらい、二人乗り用の鞍に付け替えます。

後ろの女性用の席は横乗りで乗るために作られている鞍です。

貴族用に作られている鞍なので、前に座る男性と後ろの女性には距離があり直接触れ合うことはありません。

それでも、いつもよりもずっとお近くにあるジーノ様のお広いお背中に、わたくしの胸は高鳴りっぱなしでした。


「ここから少し歩こう」


ジーノ様のお言葉に従って馬を降りて、ジーノ様のエスコートで林の中へと入ります。

馬に乗ったままでは入りにくいようなところをジーノ様は進みます。

邪魔な枝などは綺麗に切り落とされていて服が枝に引っかかるといったこともありませんでした。


太い枝などの切り口を見ると、最近切り落とされたもののようです。

観光コースからは離れたこのような場所も、道を整備して下さる方がいらっしゃるのですね。


「まあ!」


林を抜けた先に広がっていたのは麝香連理草じゃこうれんりそうのお花畑でした。

一面に咲き乱れる麝香連理草じゃこうれんりそうは、紫の絨毯のようです。

お花畑の向こうには陽の光でキラキラと輝く湖面が見えます。

林を抜ける柔らかな春の風が花の甘い匂いを運んで来て、空気まで素敵です。


ジーノ様は見どころのこの場所をご存知であるかのように案内して下さいました。

どうしてこの場所をご存知なのでしょう。

ボートを漕いでいるときこの場所に気が付かれたのでしょうか。


「アナ!!」


突然ジーノ様が大きなお声を出されたので、驚いて振り返ってしまいます。

ジーノ様は、大変緊張されているご様子です。


「……これを……君に……」


そう仰ったジーノ様は、小さな木箱をわたくしに差し出されます。


「……こちらを、わたくしに下さるんですの?」


「……ああ」


だ、男性からのプレゼントですわ!!

今日は、お祝いをして頂くような日でもありません。

それなのに、何でもない日に、こうやって不意打ちのようにプレゼントを頂ける日が来るなんて……。


――幸せを諦めない――


縁談のときジーノ様から頂いたその言葉を心の指標に、昨日とは違う自分になれるよう努力してきました。

本当に、頑張って良かったですわ。


「あ、ありがとう存じます。

開けてもよろしいでしょうか?」


婚約者から頂いたプレゼントは、許可を頂いた上でその場で開けるのが礼儀です。

ですので、ジーノ様にご許可を願い出ます。


「……ああ」


ジーノ様はそっぽを向かれたままそう仰います。


開けてみると、箱の中に入っていたのは指輪でした。

プラチナの指輪に六角星の形のお花をモチーフにした宝石が埋め込まれています。

宝石のお花は二色に分かれていて、内側はエメラルドです。

外側は見たこともない紫の宝石です。


「まあ。

これは白紫双星花ですわね」


忘れもしません。

色合いは違いますが、ジーノ様との縁談のときに庭園で見せて頂いた想い出のお花ですわ。


「君は……この花が好きだと言っていただろう?」


「お、憶えていて下さったのですね!

嬉しいですわ!」


何気なく口にした一言を憶えていて下さったなんて。

心が温かくなってしまいます。


「そ……その指輪は……わ……わ、わ、わ、私の気持ちだ」


相変わらずそっぽを向かれたままジーノ様はそう仰います。


白紫双星花の星型の花びらは、二色に分かれた一枚の花びらです。

その色が綺麗に別れていることから、外側の紫のお花の内側に別の白いお花が咲いているように見えます。

咲いてから枯れるまで、外側の紫のお花が内側の白いお花を守るように寄り添って咲いているように見えることから、このお花の花言葉は


『永遠に変わらない愛』


白紫双星花は内側が白、外側が紫です。

ですがこの指輪の宝石は内側が緑、外側が紫です。

内側はわたくしの瞳と同じ緑、外側はジーノ様の瞳と同じ紫……。


『私の気持ちだ』


ジーノ様のこのお言葉の意味が分かってしまいました……。


ど、ど、ど、どうしましょう!?

こ、こ、こういうとき、わ、わたくしはどうすればいいんですの!?


恥ずかしさのあまり思わず俯いてしまいます。

鼓動が凄くて胸は破裂しそうで、お顔は熱くて焼けるようです。

自分でも分かるぐらいに動転してしまっています。

頭が混乱して何をしたら良いのかも、全然分かりません。


お顔をちらりと上げると、そっぽを向かれているジーノ様もまたお耳まで赤くされていました。


ああ。

恥ずかしいのはわたくしだけではないのですね。

ジーノ様を拝見して、混乱していた頭が少し冷静になります。


「あ、あ、ありがとう存じます。

と、とっても、とっても嬉しいですわ!」


もちろん、心は完全には落ち着きません。

声も震えてしまいました。

ですが、何とかお礼を言うことは出来ました。


「……いや」


ジーノ様はぽつりと仰います。

相変わらずお顔を逸らされたままで、相変わらずお耳まで真っ赤にされています。


お顔もお耳も熱いので、おそらくわたくしも真っ赤になっていることでしょう。

風が麝香連理草じゃこうれんりそうの甘い匂いを運んでくるお花畑の中、お互い真っ赤になったまま、わたくしたちはしばらく無言でした。



◆◆◆◆◆



『永遠に変わらない愛』


その花言葉のお花をモチーフにした指輪が私の指に着けられています。

これを見る度に転げ回りたいほどの嬉しさと、赤面してしまうほどの恥ずかしさを感じてしまいます。


指に嵌めてからも、何度も何度も指輪を眺めてしまいます。

そして何度も何度も、お顔を赤くされたジーノ様を想い出してしまいます。

氷のような美貌をお持ちで、あまりお笑いにならず、歳よりもずっと大人びていらっしゃる方が、あのようにお可愛らしいお顔をされるなんて……。


当時のわたくしは混乱してしまい、正気を保つので精いっぱいでした。

ジーノ様のご様子を拝見して何か思うどころではなかったのです。

ですが、今になって思い返すと、わたくしに指輪をお贈り下さるためにあのようなお顔をされたことが嬉しくて、ジーノ様への愛しさで胸がいっぱいになってしまいます。


そしてこの指輪、なんとジーノ様ご自身がお作りになられたものなんです!

デザインの緻密さも仕上げの丁寧さも、まるで熟練の職人が創り上げたかのようです。

お忙しいジーノ様が、この指輪のために相当なお時間を割いて下さったのです。

とても申し訳無く思いますが、一方で心にじーんと温かい感動が広がってしまいます。


自室のソファに座るわたくしが指輪を眺めながら笑みを浮かべていると、ブリジットはなぜか満足気な笑顔でした。

まるで一仕事をやり遂げた後のようです。




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