番外編1 結婚前のできごと

第30話 初めての外出デート。二人で湖へ 前編

時間が戻って婚約後しばらくしてからのお話です。

第七話 『アナの発熱 アナスタシア視点』でジーノはアナに湖に行く約束をしています。

この番外編は二人が湖に行ったときのものです。



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アナがよく熱を出すのは体内魔力流、つまり魔力脈が不安定だからだ。

魔力脈を安定させたいが、医学知識が乏しい私に根本的な治療は無理だ。


だが、魔力脈を安定させる健康器具なら私でも作れるものがある。

前世でピップーエ・レキバールと呼ばれていた製品がそうだ。

これの魔力流調整原理は単純で、前世の小学生程度の知識があれば作ることが出来る。

効果は気休め程度だが、無いよりはましだろう。


長時間身に着けることにより効果を発揮するものなので、長時間身に着けられる装飾品が良い。

だから形は指輪型にした。

しかし私はアナの指のサイズを知らない。

アナの専属使用人であるブリジットさんに協力をお願いした。


「それで、どういったシチュエーションで指輪をお渡しするつもりですか?」


ブリジットさんからそんな質問をされた。

ブリジットさん専用の休憩室に行き、指輪のサイズについて教えて貰ったときのことだ。


「シチュエーション?

完成後、最初に会ったときにでも渡そうかと思っているのだが」


わずかな効果しかなくても健康器具なのだ。

渡すのは早い方が良い。


はああああ、とブリジットさんは深い溜め息をく。


「ジーノリウス様。

あなたはなんにも分かっていません。

本当に!

なーーんにも分かっていません」


大きく首を振りながらブリジットさんは言う。

私を見るアイスブルーの瞳は、ダメ男を蔑むようだ。

最近親しくなってきたせいか、彼女は私に対して容赦がない。


「よろしいですか。

お嬢様が男性から指輪を贈られるのはこれが初めてなんです。

幼い頃からずっとおそばでお仕えして、お嬢様のことならなーんでも知っている私が言うのですから間違いありません!

ジーノリウス様。

お嬢様にとって初めてとなる大切な想い出の一場面を、まさかこの屋敷の玄関先ですませようなんて思っていませんよね?」


ぐっ。

アナのことなら「なーんでも知っている」という言葉が引っ掛かり闘争心が湧き上がる。

私よりアナにずっと詳しいと言いたいのだろう。

明らかにマウントを取りに来ている。


確かに、アナと一緒に過ごした時間を考えればブリジットさんに分がある。

だが私だって!

アナに対する想いでは負けていないつもりだ!


……いや、今はそんなことはどうでも良い。

大事なのは、アナの想い出だ。


悔しいがブリジットさんの言う通りだ。

アナにとって初めてとなる大事な想い出なら、心に残る美しいものになるよう私も力を尽くさなくてはならない。

そこまで考えて気が付く。


もしかしてこれは!

私が、女性に指輪を贈るということではないのか!?


今までアナの魔力流不調の症状を抑えることしか考えていなかった。

健康器具を渡す程度の気持ちでしかなかった。

しかし、この魔道具は指輪型だ。


女性に指輪を?

この私が?


前世で八十二年、今世で十六年。

合計すると約一世紀生きてきた。

それだけ生きても、女性に指輪を贈るなんて一度もしたことがない。

全くしたことがないことをするとき、それをしなかった期間が長いほどにハードルは上がる。


顔が一気に熱を持つのが分かる。

頭が茹で上がったようになり極端に思考が働かなくなる。


「ジーノリウス様。

まさかおくしたわけではありませんよね?」


ゴミ屑を見るような目でブリジットさんが言う。


「そ、それは……」


図星を突かれて言葉に詰まる。

本当にそれほどのハードルを自分が越えられるのかと、ちょうど考えていたところだった。


「女性には不慣れのジーノリウス様です。

初めて女性に指輪を贈られるということで恥ずかしいのは分かります。

ですが、ジーノリウス様がその恥ずかしさを乗り越えれば、お嬢様はきっと喜ばれます。

ジーノリウス様。

あなたはお嬢様の笑顔を見たくはないのですか?」


笑顔だと?

見たいに決まっているではないか!


だが、あれほど素敵な女性に指輪を贈るなど、私に可能なのか?

アナの笑顔のためなら頑張りたい。

しかし、どれほど力を尽くしても、人間には限界というものがある。


「覚悟を決めなさいませ。

男でしょう?

本当に、情けない!」


「……あ、ああ」


圧力に気圧されて指輪を渡すことを約束してしまった。

仕方がない。

ハードルは高いが頑張るしかない。


「そういえば、ジーノリウス様。

お嬢様と湖に行く約束をしていましたよね?」


「ああ」


風光明媚ふうこうめいびな湖のほとりなどでお渡しするのはいかがでしょうか?」


「そうか。湖か」


女性の扱いはさっぱりな私が自分で考えるより、女性であるブリジットさんの意見に従う方が賢明だろう。

よし。

湖で指輪を渡そう。


アナの大切な想い出になるのだから、失敗は絶対に許されない。

本番前に最低でも五回は下見が必要だな。

アナが転んだり、ハチに刺されたりしてもいけない。

踏みそうな石は片付けて、蜂の巣があったら除去しなくては。

いつ下調べに行こうか。

団体客と鉢合わせという事態も避けなくてはならない。

王都の宿屋全ての予約状況を確認しなくては……。

頭の中で今後の予定を組み立て始める。


「それからジーノリウス様。

お嬢様に指輪をお渡しするときは、しっかりとご自分のお気持ちをお伝え願います」


「な、なに!?」


「その驚きよう……

やはり、無言でモソッとお渡しするおつもりだったのですね?」


「それは……」


どうやって渡すかなど考えてもいなかった。

だが私の性格からして、無言でモソッと渡すというのはいかにもありそうだ。


「よろしいですか。

ジーノリウス様。

気の利いた上級貴族の令息は、指輪などを贈るときは同時に愛の歌を捧げるものです」


「う、歌だと!?」


「はあ……本当に、なんにも、なーーんにもご存知ないんですね。

そうです。歌です。

お嬢様を太陽や薔薇に見立てて、ご自身のお気持ちを込めて即興でお作りになった歌をその場で歌い上げて捧げるのです。

もちろん、使い回しの歌だと感じさせてはいけません。

そのときの季節や風景、お嬢様のドレスなどを歌詞に織り込むのです。

歌い方も、思いっ切り感情を込めての熱唱です。

貴族ですから、指輪を渡すのだって優雅さは当然求められます。

そこに情熱を加えたものが歌なんですよ」


……ハ……ハードル高すぎないか!?


極度の緊張の中、風景やそのときのドレスまで取り入れた愛の歌なんて即興で思い付くものなのか?

思い付いたとしても、プレッシャーの中でリズムや音程を外さず歌うなんて無理だろう。


「あー。

その顔は、やっぱり無理ですか。

まあ、そういうことをされるのは、上級貴族のご令息でも女性の扱いに長けた方ですもんね。

ジーノリウス様には無理かもしれませんね」


当たり前だ。

初心者がいきなり上級者の真似事なんて出来るわけがない。

五歳児に国家運営を丸投げするようなものだ。


「では、普通に愛の言葉を伝えましょう。

それなら出来ますよね?」


その場面を想像してみる。

……駄目だ。

とても出来るとは思えない。


「……もしかして、それも駄目なんですか?

なぜ出来ないのですか?

お嬢様には縁談のときにプロポーズされたでしょう?」


あのとき、私はアナを自分の前世と重ね合わせ過ぎてしまった。

それで、前世で溜め続けた鬱憤や後悔が爆発してしまい、自分を全く制御出来なくなってしまった。

だから出来たのだ。


今は違う。

アナという人間は、もうしっかりと見えている。

自分とは別の人間だと心で分かっているから、あれほど自分と同一視することはもうないだろう。


何より、アナへの気持ちが大きくなりすぎている。

私にとってアナはもう、ただ可愛らしいだけの女性ではない。


私は一世紀もの間、一度も女性と親密な関係になれなかった駄目な男だ。

アナとの婚約も、たまたま政略結婚の話が来たからだ。

言ってみれば運だけで婚約したのだ。

独力で女性の心を奪ったことなんて、一度たりとも無い。

こんなみじめな男を、アナが好きになってくれる可能性は低い。


私が愛を告白したら……アナはきっと……

困ったように笑うだろう……。


無理だ!

そんな悲惨な現実には絶対に直面したくない!

まだ夢から醒めたくないのだ!

答えなんて、聞きたくない!


「では逆にお聞きします。

どんな告白ならヘタレのジーノリウス様でも出来るんですか?」


ヘタレ……

ブリジットさん、最近本当に遠慮が無くなってきたな。


堅苦しいことを言えば、ブリジットさんの態度は非礼だ。

だが彼女の立場を考えれば、非公式の場なら許容範囲内でもある。


上級貴族の専属使用人は大きな権力を持っている。

あるじである上級貴族は彼らに意見を聞く機会も多く、また彼らに罰を与えればその上級貴族の不興を買ってしまうからだ。


ブリジットさんの場合は特にそうだ。

彼女が処罰されることになればアナが悲しみ、アナが泣けば娘を溺愛する公爵や義母上の不興を買ってしまう。

公爵はこの国の宰相で、義母上は陛下の実妹だ。

上級貴族家の当主だって、この二人との対立は避ける。


私としては、以前の遠慮がちな対応より今のブリジットさんの方がむしろやり易い。

平等主義なら前世で慣れ親しんでいる。

身分差など無い方が気楽にやれるのだ。


それからしばらくブリジットさんからの厳しい指導が続く。


「よろしいですか。

したくもないご助言をしているのは、全てお嬢様のためです。

お嬢様のお幸せのためにジーノリウス様をお助けしているんですからね。

絶対にお嬢様を落胆させないよう、くれぐれもお願いします」


ブリジットさんからしてみれば、私とアナが近付くこと自体面白くないことなのだろう。

それでもアナのためにこうして手伝ってくれるのだから、彼女の忠誠心は本物だ。



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このエピソードは書籍版の書き下ろしで、学園編の前日譚的なものです。

学園編を丸々カットしたWeb版では、このエピソードを入れていません。

除外はしましたが、このお話だけなら多少の補足説明だけでWEB版読者の皆様にも楽しんで頂けると思って番外編に掲載しました。


必要な補足説明は以下のものです。


補足説明

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白紫双星花は、アドルニー子爵家の庭でアナが見た花です。

この国では自生していない可愛らしい花で、この国でも育成可能なら商会で種を販売しようとジーノが試験的に庭で育てていました。

縁談時、シシスの花を見るより前にジーノはアナにこの花を見せています。


アナがこの花を刺繍の図案にしているのを見て、アナがこの花を気に入っていることをジーノは知ります。

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