第32話 貧民街からの帰り道〜嫉妬するアナスタシア

25話『もう譲らない。人生を君と共に歩みたい』でアナがケイトに嫉妬してますが、そのお話です。

本編の補足みたいなもので、書籍版に準拠した内容です。

嫉妬するアナをかわいいと言ってくれる人がいたので、詳しいお話を載せてみました。



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◆◆◆◆◆ アナスタシア視点


婚約破棄されてから失踪されていたジーノ様ですが、ようやくお会いすることが出来ました。

お話をして、なんとか再婚約にジーノ様もご同意下さいました。

本当に良かったです。

これで、またジーノ様の婚約者に戻れます。


アモルーンの街から王都へと戻る旅が、今日始まります。

ジーノ様とご一緒です。

この街の貧民街で暮らされていたジーノ様を王都までお連れするのです。


王都からここまで、馬を交換することによりほぼ休まず馬車を走らせました。

帰路では往路でお借りした所に馬をお返しし、お借りした際に預けた馬をお返し頂くことを繰り返します。

定期的に疲れていない馬との交換になりますので、その気になれば休まずに馬車を走らせることも出来ます。

ですが、わたくしたちは急がずにのんびりした日程で王都へと向かいます。


久しぶりにジーノ様とお会いしたんですもの。

ジーノ様とゆっくり馬車の旅をご一緒したいですわ。


今日のわたくしには、大きな目標があります!

ジーノ様と馬車でご一緒しているときに手をお繋ぎするのです!


わたくしは、婚約者という地位に慢心していました。

アドルニー家のお義姉様の場合のように婚約が解消されてしまった例はいくつかあります。

そういうお話があることは知っていましたが、これまでわたくしは対岸の火事のように思っていました。

ですが、婚約破棄を自分自身で経験し、ようやく他人事ではないと心で理解出来ました。


そして、ジーノ様は女性から大人気です。

貧民街でも不安で仕方なくなるくらいモテモテでした。

わたくしはお心を繋ぎ止める努力をしなくてはなりません。

そのためのスキンシップです。


今日は一日、ジーノ様と馬車でご一緒です。

そのとき、手をお繋ぎしようと思います。

大冒険です。

でも、わたくし頑張りますわ!


手をお繋ぎするには、馬車での座る位置が大事です。

いつものようにジーノ様と向かい合わせに座っては、手をお繋ぎすることは難しいです。

遠すぎます。

ジーノ様のお隣に座らなくてはなりません。


「ありがとう存じます」


ジーノ様にエスコートで馬車に乗ります。

いつもなら、先に乗ったわたくしが先に席に座ります。

それでは駄目です。

わたくしの向かい側にジーノ様はお座りになってしまいます。

ジーノ様のお隣に座るためには、先ずジーノ様にお座り頂かなくてはなりません。


「お先にどうぞ」


「うん?

ああ。では先に座ろう」


ジーノ様がお座りになりました。

あの隣に、わたくしは座るのです。


普通はしないことをするのはとても緊張します。

でも、頑張ります!

この困難を乗り越えてみせますわ!


「えい!」


……大失敗です。

覚悟を決めて挑んだので、何とかお隣に座ることは出来ました。

ですが、勢い余って掛け声が漏れてしまいました。

掛け声とともに座る淑女なんて、あり得ません……。


ジーノ様は窓の外を向かれています。

お気付きにならなかったふりをして下さっているのです。

お肩は震えていらっしゃいます……。


恥ずかしいです……。




もう馬車が走り始めて時間が経ちますが、まだ手をお繋ぎ出来ていません。

ジーノ様の手はすぐそこです。

少し手を伸ばせば届く位置なのですが、行動に移す勇気が出ません。


エスコートなどの理由があるときは、抵抗なく手をお繋ぎ出来ます。

でも、何の理由もなく、わたくしの方から、というのはとても難しいです。


「アナ。熊がいるぞ」


ジーノ様がそう仰ったので窓の外に目を向けます。


「まあ!」


三メルトはありそうな大きな熊でした。

川岸でのんびりと日向ぼっこをしているのが、橋の上の馬車から見えます。


「凄いですわ!

本物の熊なんて、初めて見ましたわ!

びっくりするくらい大きいですわ!」


ジーノ様は、にこにことお笑いです。

熊ではなく、立ち上がって窓に身を乗り出すわたくしをご覧になっています。


「ふふ。可愛い」


えっ!?


……ずっと、ずっと、願っていました

ジーノ様に「可愛い」とお褒め頂ける日がまた来ることを、ずっと夢見ていました。


病気が治ってわたくしの容姿は変わってしまいました。

もう、ジーノ様がお褒め下さった昔の容姿ではありません。


それでも……ジーノ様は何一つお変わりありませんでした。

以前と同じ低いお声で、わたくしを「可愛い」とお褒め下さいます……。


駄目です。

嬉しくて涙を抑えることが出来ません。


「アナ!?

ど、どうした!?」


「すごく、すごく嬉しいですわ。

容姿が変わっても、わたくしを可愛いとお褒め下さるなんて」


ぽろぽろ涙を零しながらもジーノ様にそうお伝えします。

ジーノ様はとてもお優しい眼差しです。


「容姿など関係ない。

アナ、君が可愛いのだ」


そのお言葉が心に響いて、ますます涙があふれてしまいます。


そっと手を伸ばして、ジーノ様の手を握ります。

さっきまでは出来なかったことが、今は出来ます。

ジーノ様から勇気を頂いたのです。


やっぱりわたくしは、この方しか考えられません。

もう二度と、この方を離したくありません。

その想いを込めて、わたくしはジーノ様の手をしっかりと握ります。


◆◆◆◆◆ ジーノリウス視点


驚愕だった!


暮らしていた貧民街から王都に向かうの馬車の中で、アナは突然泣き出した。

慌てて慰めたら、アナはなんと!

私の手を握ったのだ!


アナを見ると耳まで赤くしている。

かなり無理をして私の手を握ってくれたことは、明らかだった。


「アナ! なんて可愛いのだ!」


「そこまでです! ジーノリウス様!」


衝動が抑えきれずアナに抱き着こうとしてしまった。

だが、顔のすぐ横に鋭く突き出された槍に驚き、私は動きを止めてしまう。

稲妻のような刺突を繰り出したのは、向かい側に座るブリジットさんだった。


馬車に乗るとき、普段ならアナと私は向かい合わせに座る。

ブリジットさんが座るのはアナと同じ側だ。


今日は何故か、アナが私の隣に座った。

だからブリジットさんは、私たちの向かいに一人で座った。

護身用に積んである短槍を取り出し手元に置きつつ、だ。


アナと再会したとき、私はアナにキスしてしまった。

あれ以降、ブリジットさんは最高レベルで私を警戒している。

槍を手に私を見据えるブリジットさんは、殺し合いをする覚悟を終えた開戦直前の兵士のようだ。


「すまない。

アナがあまりにも可愛くて理性が飛んでしまったのだ」


殺気にてられ背中に嫌な汗を掻きつつ、私は椅子に座り直す。


その後もアナは何度も圧倒的な可愛らしさを見せ、何度も私の理性を吹き飛ばした。

切れ味を想像すると総毛立ってしまうような槍の穂先が、その度に鋭い風切り音と共に私の顔のすぐ横に突き出された。


私のいた街まで、アナはかなりの強行軍で来ている。

昨日もベッドには早目に入ったが、高揚してなかなか寝付けなかったのだそうだ。

相当疲れていたようで、馬車の中でアナは眠ってしまった。


私の手を握ったまま、私の肩に頭を預けアナは幸せそうに眠っている。

それを見たブリジットさんは、真っ赤になった目に何度もハンカチを当てていた。

ブリジットさんにとっても、アナは大切な人なのだ。


アナの希望で、帰り道はのんびりと帰ることになった。

まだ日が高いうちに河辺の高級宿に入る。

宿にチェックインして少し休み、平民の服に着替えてからアナと一緒に軽く街中を散策する。


「まあ」


木彫りの装飾品が売られている露店でアナが感嘆する。

アナが見ているのは腕輪だ。

黄楊つげの木材にデフォルメされたクマの顔が彫られ、それに革紐を通したものだ。


安価な上にドレスに合うものではなく、およそ貴族令嬢が身に着ける装飾品ではない。

だがアナは、デフォルメされたクマが大好きなのだ。


「それを貰おう」


クマを愛でるアナの可愛らしさにほっこりしつつ、その装飾品を買う。

平民向けの、しかも店舗ではなく露店にある装飾品だ。

この程度なら今の私の手持ちでも十分に買える。

しばらく散策した私たちは、宿に戻り酒場でアナと酒を飲むことにする。


この国では飲酒に法的な年齢制限はない。

しかし学園のパーティで酒が出るようになるのは高等科からだ。

その酒もアルコール度数はかなり低い。

度数の高い大人向けの酒は、学園を卒業して成人してから飲むものだ。

それがこの国の上級貴族の慣例だ。


私は、商人として大人に混じって仕事をしていた。

普通の上級貴族とは違い、大人向けの酒を飲んだことはある。

だが卒業パーティで婚約破棄して以来、アナとは会っていなかった。

卒業後初めてアナと酒を飲むので、大人向けの酒をアナと飲むのもこれが初めてだ。


宿の最上階にある酒場の一番上等な個室の窓からは広く流れる河が見える。

穏やかな水面みなもには、夕日が砕けずにうつっている。

夕暮れの陽を浴び、河も景色も朱色に染まっていく。

アナと一緒にそれを眺め、二人でゆったりと葡萄酒を飲む。


人払い出来る状況になったので、ケイト嬢についてアナに尋ねる。

彼女もまた、セブンズワース家からの報復があり得る人だ。


「もちろんご無事ですわ。

当家に事情をお教え下さった功労者ですもの。

現在は当家の隠密をたくさんお付けして、十分な安全を確保していますわ」


無事と分かってほっとする。

ケイト嬢が事実を秘匿してしまうと、事実を聞き出すためにセブンズワース家が彼女を拷問に掛ける危険もあった。

聞かれたら自分の身の安全を最優先に考えて包み隠さず話すよう、ケイト嬢には伝えてあった。

その通りにしてくれたようだ。


「ケイト様は、ジーノ様にお戻り頂きたいみたいですわ」


アナはケイト嬢と連絡を取っていて、私への伝言を彼女から頼まれていた。

商会の持分の六割を返すから商会の会頭として戻って来てほしいとのことだ。

ケイト嬢の持分は四割だけ、地位も副会頭で良いと言う。

経営雑務は副会頭として全て担当するので、経営方針と商品開発は私に任せたいのだそうだ。


私が短期間で商会を急成長させたことを、ケイト嬢は知っている。

一人で商会を経営するより私を利用した方が利は大きいと判断したのだろう。

地位より儲けを選ぶのは、いかにもケイト嬢らしい。


アナはぐいっと一気に葡萄酒を飲み干す。

二杯続けてだ。


大丈夫だろうか。

ケイト嬢の話になってから、アナはかなりのハイペースで飲んでいる。


「ジーノ様は……どうされますの?」


どうするのが最適だろうか……。

アナとまた婚約するなら、公爵家の後継者として実務に携わらなくてはならない。

商会経営をする時間はない。

だが、経営に関する雑務を全て引き受けてくれる者がいるなら公爵家の仕事と両立出来る。


私が起こした商会は、今や国内大手商会の一角だ。

セブンズワース家の立場で考えても、手放すのは大きな損失だ。

そして、私が少し関与するだけでも商会は更に成長出来る。

両立可能なら両立が最善だろう。


前向きに考えていると私が答えると、何故かアナは不機嫌そうな顔をする。

商会経営の話をしていたのだが、ケイト嬢の胸の大きさの話へとアナは話題を変える。


「ジーノ様も、ケイト様のようにお胸の大きな女性がお好きなのでしょう?」


アナはそう言うと、ぷいっと顔をそむけて頬をまん丸に膨らませる。


ケイト嬢はかなりの巨乳だ。

だが、アナだって平均より大きいし、人よりずっと美しい曲線なのだから何も問題ないと思う。


気を取り直して話題を商会経営の話に戻すが、アナはまたケイト嬢の胸の話へと話題を戻す。


「お胸も大きくて、お可愛らしいお顔で、明るくてお話も面白くて……ケイト様は素敵な方だと思いますの」


アナはまたそっぽを向いてぷうっと頬を膨らませる。

仕方がないので完全に話題を変える。


しばらく話しているとアナの呂律が怪しくなって来た。

元々あまり酒が強くないのに、先ほど商会の話をしているときにかなりハイペースで飲んだからだろう。

何だかとても機嫌が良さそうだ。


「えい。ハサミ」


指をじゃんけんのチョキのようにしたアナは、テーブルの上に置かれた私の手を人差し指と中指で挟む。


「アナ! なんて可愛いのだ!」


「そこまでです! ジーノリウス様!」


心臓が飛び出るかと思うほどの可愛さに、つい理性が飛んでしまった。

気付いたらアナを抱き締めようとしてしまっていた。

人払いしていたので壁際に控えていたブリジットさんだが、瞬間移動のように突然目の前に現れてそれを阻止した。


「酒席で女性に抱き着こうとするなんて!

ジーノリウス様、あなたはケダモノですか!?」


ぐうの音も出ない。

貴族としてはあり得ないマナー違反だ。


「さあ、お嬢様。

ケダモノがいる部屋からはさっさと退散して、今日はもうお休みしましょう」


ブリジットさんは私のエスコートを許さず、陽気にふらふらと歩くアナを部屋へと連れ帰った。



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