第20話 治療薬と両親の愛 (アナスタシア視点)

玄関の扉を抜けると、そこにはジーノ様が立っていました。


『ジーノ様!!!』


はしたなくも走り寄ってしまいました。


『アナ、お願いがあるのだ。

この子は私の子なのだが、一緒に育ててもらえないか?』


困ったように笑うジーノ様は、そうおっしゃいます。


『もちろんですわ。

ジーノ様にお戻り頂けるなら、愛情込めてお育てしますわ』


ジーノ様がお戻りになって下さる。

それだけでわたくしは十分です。

嬉しくて涙があふれます。


『それで、公爵家に戻る方法なのだが、君とも子供を作ってしまえば公爵も反対しないと思うのだ』


『ええ。ええ。

ジーノ様にお戻り頂けるのなら、わたくしは何でもしますわ。

こぶだらけで醜い体ですが、それでよろしければどうぞジーノ様のお好きになさって下さいませ。

ジーノ様が他の女性とお子様を作られたとお聞きして、わたくし、とても悲しく、とても悔しかったんですの。

わたくしもジーノ様のお子を欲しく思いますわ』


『ありがとうアナ。

君といつまでも一緒にいるよ』


「ジーノ様」


わたくしはジーノ様のお名前を口にし、ベッドの上で手を伸ばしていました。




……夢、でしたのね。


いつの間にか眠ってしまっていたようです。

眠ったら、少しは辛い気持ちが楽になった気がします。


ベッドの横を見ると、ブリジットが心配そうな顔でこちらを見ていました。

わたくしが寝言でジーノ様をお呼びするのを聞いていたのでしょうね。


ジーノ様がお子様をお連れになって戻ってきて下さる。

これは、起きているときに何度も妄想したことです。

その願望が夢になってしまったようです。


ですが現実は非情です。

セブンズワース家の家督を狙って、ジーノ様が奥様をお捨てになってわたくしの元へ戻られることはないでしょう。

もし奥様に何かあってもセブンズワース家への筋を通し、お一人でお子様を育てられるでしょう。


まして、婚前交渉をわたくしにお求めになるなどあり得ません。

以前、ブリジットがジーノ様に「お嬢様の貞操を汚すおつもりですか?」と言ったとき

「そんなこと、するわけがない!

万が一子供でも出来たら醜聞でアナが苦しむではないか。

一時の欲望のためにアナを傷付けたりなど、誰がするものか」

おっしゃって下さいました。


現実のジーノ様は、夢の中のジーノ様と違い誠実な方なのです。

現実のジーノ様も、夢の中のジーノ様のようにずるければ嬉しいのですが。

セブンズワースの爵位が目的でも構いません。

お戻りになって頂きたいです。



◆◆◆◆◆



わたくしが目を開けるとベッドの上でした。

いつの間にか眠っていたようです。

起きるとまたジーノ様のことを考えてしまいます。


お世辞にも華やかとは言えないわたくしのみじめな人生の中で、ジーノ様と共に過ごした時間だけは、本当にきらきらと輝く素晴らしい時間でした。

あれほど素敵な方に出会うことは、この先もうないでしょう。

こぶだらけの醜いわたくしを可愛いと言って下さる男性が、この先現れるとは思えません。


『幸せを諦めない』


ジーノ様に頂いたお言葉を糧にこれまで生きて参りました。

ですが、ジーノ様を失い、どうすれば幸せを望めるのでしょうか。

折れてしまいそうです。



◆◆◆◆◆



考えてみれば、これで良かったのかもしれませんわね。

ジーノ様は、このような醜女から解放されて普通の女性と愛を育むことが出来るのです。

幼い頃より『ゴブリン女』と罵られ、最近でもヒソヒソと話す周囲の声に『ゴブリン令嬢』という言葉が混じっていたことがあります。

そんなわたくしとご結婚なさるより、他の普通の女性とご結婚された方が幸せに決まっています。


そうですわ。

あれほど素敵な方がわたくしのような女の婚約者になったことが、そもそもの間違いなのですわ。

間違いなら、いずれ正されるのは当たり前のことですもの。

間違いが正され、本来あるべき状態に戻されただけです。

これで良かったのです。


ジーノ様がお幸せなら、それでいいではありませんか。

ジーノ様がお幸せそうに笑われるなら、わたくしも嬉しいです。

それもまたわたくしなりの幸せの在り方なのではないでしょうか。


ですが、どうしても涙があふれてしまいます。

ジーノ様がお幸せになったというのに、なぜわたくしはこんなに悲しいのでしょう


ジーノ様にお会いするまで、わたくしが恋をするなんて思ってもみませんでした。

恋する男性とピクニックをしたり遠乗りをご一緒したりなんて、夢でしかありませんでした。

実現するはずもないと思っていた夢のような体験を実際に体験出来たのです。

わたくしはそれで満足すべきなのです。


ジーノ様とご一緒出来た時間は色鮮やかな時間でした。

灰色一色だったわたくしの人生の中で、わずかな間でも色鮮やかな時間ときを持つことが出来たのです。

僅かな間だけの、夢のような幸運だったのです。



◆◆◆◆◆



今は卒業パーティからどれくらい経っているのでしょうか。

睡眠はほとんど取れていませんが、気付くと眠っていたということが何度かありました。

卒業パーティ以降、ほとんどの時間をベッドの中で過ごしています。


またわたくしが悲しい物思いにふけっていると部屋の扉がノックされました。

お父様でした。

何やら難しいお顔をされています。


「大分回復したようだな。

よかった」


お父様が優しい目でそうおっしゃいました。


「そうでしょうか」


回復したのでしょうか。

自覚はありません。

しかし会話は出来ているので、やはりこれでも少しは時間により癒やされたのでしょう。


お父様は木箱をテーブルの上に置かれました。


「これは、当家に匿名で届いた薬だ。

お前の病を治す治療薬とのことだ」


木箱をポンポンと叩きながらお父様はそうおっしゃいました。

わたくしは怪訝な目でお父様を見てしまいます。


「それで、その出処の不明な怪しげな薬を送り付けて、その方はどうされたいのでしょう。

まさか、その怪しげな薬をこちらが使うと思って送られたわけではないのでしょう?」


怪しげな郵便物は当家にもたまに届きますが、大抵は使用人の方で廃却してしまいます。

どちらの政敵からどのような意図で送られてきたものなのか。

それらを推測するのがお仕事のお父様はともかく、わたくしの前にそのような郵便物が出されることは普通ならありません。

お父様の意図が測りきれず、わたくしはお父様にそうお尋ねしました。


「これを見ろ。

この薬に同梱されていた書類だ。

お前の病の発症原理とその治療法についてまとめられた論文だ」


それほど専門的な内容ならわたくしに理解出来るとは思えないのですが……。

差し出された論文を受け取り、書類に目を落とします。


「えっ!!?

これって!!」


まだ読んでいませんが、それでも一目見てすぐに分かります。

年齢に合わない達筆な字、お人柄が現れるような崩れていない丁寧な書き方、少し角張った字の癖……。


見間違えるはずもありません。

ジーノ様の字です。


「その論文を急ぎで宮廷魔道士たちに読ませてみたよ。

知っての通り、魔法は一門で秘匿され公開されている部分など極一部だから、この論文がどのようなものなのか魔道士ではない我々には判断が付かない。

だから魔道士に見てもらったのだが……。

その論文は少なくとも現代の医療魔法より五百年は先を行く理論だそうだ。

中には千年先を行くと言う魔道士もいた」


涙があふれて来ました。

書類にこぼれ落ちそうだったので、慌てて書類をベッドの上に置きます。

もうジーノ様との繋がりは断たれてしまったと思っていたのに、その繋がりが今も尚ここに存在しているのです。


「一応、宮廷薬師に薬の成分は分析させた。

魔法が掛かっているらしいが、どんな魔法なのかは分からなかった。

しかし薬の成分は、その論文に書かれた治療薬と同じだそうだ。

どうするかはお前に任せる。

薬を飲むか?」


ポロポロと涙がこぼれるわたくしにお父様がおっしゃいます。


「もちろん。飲みますわ」


「やはりお前もジェニーと同じ結論か」


ふうと大きなため息をいた後、お父様はそうおっしゃいます。

どうやらお母様も飲むべきだとお考えのようです。


「あら? お父様は反対ですの?」


「効果の不明な魔法が掛かっているんだ。

最悪死ぬかもしれんのだぞ」


死ぬかもしれない、ですか。

わたくしがこの薬を飲んで死んでしまったら、ジーノ様は悲しんで下さるでしょうか。

ジーノ様のことです。

たとえわたくしへの想いが失くされてしまっても、責任をお感じになってお墓参りくらいはして下さるでしょう。


あら?

いいかもしれませんわね。

十年先もわたくしを憶えていて下さり、わたくしの命日には毎年ジーノ様がお墓参りにいらして下さる。

もしかして花束などをご持参下さるのでしょうか?


素敵ですわ!


今のわたくしが一番怖いのは、ジーノ様がわたくしを忘れてしまわれることです。

わたくしは生涯、ジーノ様のことを忘れません。

ジーノ様にも、わたくしのことを憶えていてほしく思います。

たとえ心に刺さった棘だとしても、ずっとわたくしをお忘れにならずにいて下さるのなら……。

この上ない幸せです。


失恋して初めて知りました。

愛する方の記憶からも消えてしまうのは、とても苦しいことです。

死んでも悪い結果にはならないのですから、これはもう薬を飲むしかありませんわね。


それと、お父様はお忘れですわ。


「ジーノ様は、わたくしの病を治す手立てを求めて未発掘の遺跡ダンジョンにまで挑まれたのですよ。

この薬はその集大成なのでしょう。

飲まないなど、あり得ませんわ」


未発掘の遺跡ダンジョンに挑んだときの生還率は平均で三分ほどだと学園で習いました。

遺跡により差はありますが、危険度が低い遺跡でも生還率が一割を超えることはないでしょう。

それほど危険なことを、わたくしのためにして下さったのです。

ジーノ様が未発掘の遺跡ダンジョンに行かれたと気が付いたときは、本当に血の気が引きました。


「そうだが、あいつはお前を裏切ったのだぞ」


「大丈夫ですわ。

別の女性に心を移してしまわれましたが、わたくしのことを憎んではいないと思いますの」


卒業パーティでもわたくしのことを悪くはおっしゃっていませんでした。

というよりも褒め過ぎなほどお褒め下さいましたわ。

ですから、わたくしをお嫌いではないと思いますの。


そういえば、わたくしを世界最高の女性だともおっしゃっていましたわね。

あのときはジーノ様のことだけで頭がいっぱいで気になりませんでした。

わたくしのような醜女をそのように評価されて、周りの方々はどんな目でわたくしをご覧になっていたのでしょうか。

……考えるのも怖いですわね。


「それからこれを読め」


それは論文とは別に書かれたジーノ様からの手紙でした。


あら。

わたくし、いつ死んでもおかしくないんですの?

それなら薬を飲んで死んでも同じですわね。

また一つ、薬を飲む理由が出来ましたわ。


それにしても、匿名の手紙だというのに、こんなにわたくしを気遣う文面では、どなたが書かれたのかすぐ分かってしまいますわよ。

ここ一ヶ月ほどジーノ様とは上手く行っていませんでしたし、婚約も破棄されてしまいました。

それなのに、今になってこんなにも温かい手紙を下さるのですね。

涙で字がよく読めませんわ。




手紙に書かれていた注意書きに従い、わたくしは体調を整えることに専念します。

食欲がなくても食事を摂り、夜は睡眠薬を使って寝てしまいます。


ジーノ様が苦心してお作り下さった薬ですもの。

しっかりと体調を整えて必ず治療を成功させてみせますわ。


あら?

ついこの前まで、わたくしは死ぬことを考えていたはずですのに、今は治療を成功させることを考えていますわね。

体調が戻って少しは元気が出てきたのでしょうか。



体調も十分整ったので、いよいよ薬を飲むことにします。

治療薬を飲むと高熱が出るから、こちらの解熱剤兼睡眠薬も一緒に飲めばよいのですね。


「お父様、お母様。

今から薬を飲みますわ。

治療薬による治療は約十四時間かかるそうですから、明日のご昼食はご一緒出来ると思いますわ」


「気をしっかり持つのだぞ。

必ず生き抜くという心持ちを忘れるな」


「病気が治っても治らなくても、あなたはわたくしたちの娘よ。

明日の昼食はご馳走を用意しておくから、食堂までちゃんと来てね」


お父様とお母様が順番にわたくしを抱き締めて励まして下さいます。


「ブリジット。

途中起きてしまうと効果が出ないそうだから、わたくしが自然に目覚めるまで近くで騒ぎを起こさないように手配をお願いね」


「それは、この家の女主人であるわたくしが厳に命じておくわ」


ブリジットにお願いしようとしましたが、お母様が指示して下さるようです。

これで騒ぎを起こす者もいないでしょう。


皆様が部屋を退出されたので、わたくしはベッドに潜り込み薬を飲みます。

さすが魔法が付与された睡眠薬だけあって、一分もしないうちに強烈な眠気が襲って来ました。

魔法薬は普通の薬よりずっと早く効果が出るのですが、この奇病の治療薬は十四時間もかかるのですね。

随分と特殊な薬ですわね。

そんなことを考えているうちにわたくしは眠りに就いてしまいました。



◆◆◆◆◆



ゆっくりと意識が覚醒していき、わたくしは目を開けました。

ふと横を見ると、声を出さずにボロ泣きしているブリジットがいました。


「うわあああん!

お嬢ざま゛あああ!

よがっだあああ!

目を覚まざれだあああ!」


そう言って泣きながらブリジットが抱き着いて来ます。

ああ。わたくしが目を覚まさないのではないかと心配してくれていたのですね。


「お嬢ざま゛あああ!

早ぐ見でくだざいいい」


そう言ってブリジットは鏡を差し出します。



「これが……わたくし……?」



鏡に映るのは、銀色の髪と若草色の瞳をした、お母様によく似た顔立ちの美しい女性でした。


……これ、本当にわたくしの顔なんでしょうか。

一晩にして全く別人の顔になってしまいましたわ。

見慣れない女性の顔が自分の顔だという実感が持てず、何度も角度を変えて鏡を覗き込んでしまいます。


「さあ、お嬢様。

お着替えをして、そのお姿を旦那様と奥様にお見せしましょう。

お二人とも、朝からずっと食堂でお待ちです」


わたくしが長いこと鏡を眺めていると、いつの間にか立ち直ったブリジットが朝の支度の準備を調えてくれていました。

着替えるときに確認しましたが、顔だけではなく全身からもこぶが消えていました。


(やりましたわ! ジーノ様!

治療薬の作製は成功しましたわ!)


心の中でジーノ様にそうお伝えします。



◆◆◆◆◆



「アナ!? アナなのね!?」


「ほ、本当に……アナ……なのか?」


食堂の扉を使用人が開けると、お父様とお母様が立ち上がられるほど驚愕されます。

お父様もお母様もわたくしに駆け寄って来られ、お二人でわたくしを抱き締めて下さいます。


お父様は目を真っ赤にして何度もハンカチで涙を拭っていらっしゃいます。

お母様は、お顔をくしゃくしゃにして声を上げて泣かれ、ずっとわたくしを抱き締めて下さいます。

王女としての教育を受けられたお母様がここまで感情を顕わにするのは、大変珍しいことです。


『どうしてわたくしは、こんなお顔なの?』


幼い頃、容姿を理由にいじめられて帰って来たわたくしは、お母様にそうお尋ねしたことがあります。


『ごめんなさい。綺麗に産んで上げられなくて、ごめんなさい』


お母様はそうおっしゃって泣かれました。

大きな手でわたくしを抱き締められて、わたくしの肩にぽろぽろと涙を零されたのです。


お母様が涙を流されたことに大きな衝撃を受けたわたくしは、それ以降いじめられてもそれを隠すようになりました。

お母様を悲しませてはいけない、そう思ったのです。


きっとお母様は、今日までずっとご自分を責めていらっしゃったのでしょう。

わたくしを綺麗に生めなかったことを、ずっと悔やんでいらっしゃったのでしょう。

だからここまで取り乱されているのだと思います。


お父様とお母様のお心が温かすぎて、涙がこぼれます。

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